[書き下し文]樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す、知を問う。子曰く、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰く、直きを挙げて諸(これ)を枉れる(まがれる)に錯けば(おけば)、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅退き、子夏に見えて(まみえて)曰く。嚮(さき)に吾夫子に見えて知を問いしに、子は直きを挙げて諸(これ)を枉れる(まがれる)に錯けば(おけば)、能く枉れる者をして直からしむと曰えり(のたまえり)。何の謂(いい)ぞや。子夏曰く、富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち(たもち)、衆に選んで皐陶(こうよう)を挙げしかば、不仁者遠ざかりぬ。湯(とう)、天下を有ち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者遠ざかりぬ。
[口語訳]樊遅が仁について質問した。先生は言われた。『人を愛することである』。知について質問した。先生は言われた。『人を知ることである。』。樊遅は意味が十分分からない。先生が言われた。『正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる。』。樊遅は退席して子夏に聞いてみた。『先ほど先生にお会いして、知について質問したが、「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」といわれた。どういう意味なのか。』。子夏が言った。『何と含蓄のある豊かな言葉だろうか。舜が天下を統治していた時、群衆から正直者の皐陶(こうよう)を取り立てたので、不仁者が遠ざかった。商の湯が天下を統治していた時、群衆から徳のある伊尹(いいん)を取り立てたので、不仁者は遠ざかっていったのである。』。
[解説]樊遅の質問を通して、美徳が悪徳を駆逐して教化するという儒教の基本について書いている。子夏は樊遅の問いを受けて、『正直者が不正直者を改善させるという故事には、古代の聖王?舜と商の建国者?湯の事例がある』と教えてあげたのである。