很久很久以前,在吉敷川的边上,住着一个老奶奶。
ある日の事、汚い身なりをしたお坊さんが通りかかっておばあさんに言いました。「旅の僧ですが、のどがかわいてこまっております。どうか水を一杯、飲ませてくだされ」
有一天,穿着一身脏衣服的和尚经过,对老奶奶说道:“我是旅行僧,现在口渴的难受。请赏我一杯水喝吧。”
するとおばあさんは、手を振って言いました。「だめだめ。よそ者に飲ませる水は、一てきもないよ。この辺りの川の水は、全部あたしの物なんだよ。しっ、しっ、あっちに行きな」
老奶奶摇着手说道:“不行不行。给生人喝的水一滴也没有。这附近河里的水,全部是我的东西。去去去,到那边去。”
「お願いです。一杯だけで、いいのです」
“拜托了。一杯就好。”
「うるさい坊さんだね。はやくあっちへ行かないと、しょうちしないよ!」おばあさんは手を振り上げて、お坊さんを追い返しました。
“真是个烦人的和尚。不快点到那边去的话,我可不饶你!”老奶奶举起手赶走了和尚。
「まったく、ずうずうしい坊さんだよ。さあ、のどがかわいたから水を飲もうかね。このおいしい水を。・・・あれあれ、どうしたんだい!?」
“真是个厚颜无耻的和尚啊。啊,口渴了,喝点水吧。这么美味的水啊。・・・哎呀呀,这是怎么回事!?”
おばあさんが川の水をすくおうとすると、何と川の水が川底に吸い込まれるように消えてしまったのです。
老奶奶想喝河里的水时,发现河里的水就好像被吸进河底了一样消失了。
それも不思議な事に、おばあさんの家の近くの川の水だけがなくなったのです。
而且不可思议的是,只有老奶奶家附近的河水是这样的。
おばあさんはその後、あの時のお坊さんが有名な弘法大師(こうぼうだいし)だと知って自分の行いをこうかいしましたが、川の水はそれから何年もかれたままだったそうです。
之后,老奶奶知道那时候的和尚就是有名的弘法大师时后悔极了,可是那河里的水在过了几年之后还是那样干枯的。
この辺りに住む人たちは今でも、この川を水無川(みずなしがわ)と呼んでいるそうです。
听说住那附近的人们至今还喊这条河为水无川。