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日本作家-阿部 知二

时间: 2013-10-07    作者: jpmayl    进入日语论坛
核心提示:阿部 知二(あべ ともじ、1903年(明治36年)6月26日 - 1973年(昭和48年)4月23日)は、日本の小説家、英文学者、翻訳家である。 1903年(明治36年)6月26日、岡山県勝田郡湯郷村大字中
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阿部 知二(あべ ともじ、1903年(明治36年)6月26日 - 1973年(昭和48年)4月23日)は、日本の小説家、英文学者、翻訳家である。

1903年(明治36年)6月26日、岡山県勝田郡湯郷村大字中山(現・美作市中山)に出生。父は阿部良平、母はもりよ。次男。中学教師であった父の赴任により、生後2ヶ月で島根県大社町に移り、さらに9歳のとき姫路市坊主町(ぼうずまち)に移る。旧制姫路中学(現・姫路西高校)を5年制のところを4年で修了し、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類(英文学科)、東京帝国大学(現・東京大学)英文学科を卒業。兄・公平の影響で文学に近づき、短歌を学んで島木赤彦に接し、またトルストイやチェーホフを愛読する。東京帝大時代にはじめての小説「化生」を大学の文芸部の雑誌「朱門」に発表し、その後、小説を中心に取り組む。1930年(昭和5年)、27歳で雑誌新潮に「日独対抗競技」を発表してデビュー。同年、「主知的文学論」を発表、また結婚する。1936年発表の『冬の宿』が代表作となる。その後も小説や翻訳を発表し、明治大学教授として英文学を講じる。1941年『白鯨』を初めて訳し、これが翻訳の代表作となる。1954年の長編『人工庭園』は、女子寄宿舎を描いて、「女の園」として木下恵介監督で映画化、キネマ旬報ベストワンになった。翻訳も活発に行ない、「世界文学全集」の編者として翻訳界の盟主の観があった。シャーロック・ホームズシリーズの訳者としても知られる(創元推理文庫)。「捕囚」の口述筆記中に、1973年(昭和48年)4月23日、食道ガンのため死去。69歳。河出書房新社より、『全集』全13巻が出された。
 

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