学問や勉強について、学問や勉強は役に立つものでなければいけないと、しばしばいわれたりします。しかし多く、学問や勉強は、少なくともすぐには役立たない、あるいは全然役立たないように見えます。ファーストフードで食事をするのとは違うのです。そうすると今の我々は非常に不安になります。すぐに役立たないことをするのはバカげたことだ、悪いことだと思いこんでいるからです。しかし、そうでしょうか。
論語に「学べば禄其のなかにあり。耕せば飢え其のなかにあり。」という言葉があります。禄とは、俸禄のことで、今でいえば給料、生活の糧のことです。生活の糧になるというのは役立つということの究極の意味でしょう。この句の意味は、勉強は一見、生活あるいは生活の糧とは無縁なようにみえる。つまり、せいぜい趣味的な、無駄なことのようにみえる。だからそんなことをやって何になるんだと、不安になる。しかし心配しないでよろしい。生活のもと、禄は必ずそのなかにあるのだ。それどころか禄というのは学ぶことを基礎としてその上に大きく開かれるものである。その証拠に、かえって目先の効果ばかりねらって小さく動いていると、その時一時はいいかも知れないが、すぐ行き詰まってしまう。「耕せば飢え其のなかにあり」である。つまり耕していれば食いっぱぐれはないはずだが、学ぶことの基礎なく単に耕しているだけでは視野が狭いから、往々にして耕していて最終的には逆に飢えてしまうことがある。そういうことです。(もっともここは、違った解釈もあります。)
せっかく大学に入った、大学は勉強するところです。勉強によっては見たところすぐに役立たないものもあります、またなぜこんなことをやるのか見えてこないものもあります。しかし禄はそのなかにこそあるのです。一旦大学に入ったのだから、人がなんと言おうと、迷わずに勉強に専念せよ、そういうことです。