これは浄土仏教の経典「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」のなかの言葉です。この句のあとに「代わる者有ることなし」と続きます。
ある人、今は名を成している人ですが、若い頃、親に死なれ貧しい境遇のなかで、先の見通しもなく、悩みながら自暴自棄的な生活を続けていました。たまたまその人はお寺の出身でしたから、自分のところにあった「大無量寿経」を読み直してみたというのです。そしてこの文句のところにきたときはたと感じました。「大変だ、大変だ」。つまり今自分はヤケ気味な生活をしている。そこにはしかし、今の境遇は自分の責任ではない、人のせいだという、甘えがあるのではないか。だが仮に人のせいであったとしても、自分の生活は自分の生活であり、何が起ころうと事柄はすべて自分で身に受けなければならない。代わってくれる者はいない。原因が何であろうと、また理屈がどうであろうと、結果を引き受けるのは全部自分です。だからよく考えてみれば、大変だ、というわけです。
幸せな境遇にいる人にもそれなりの甘えがあります。いつまでもそういう境遇が続くはずだと思っていることです。しかし境遇は変化します。そのとき、変化した例えば悪い境遇でも、受けなければならないのは自ら以外にはありません。反対に、不幸な境遇にいる人は、この場合のようにそれを他人のせいにします。そうするとそれは他人の事になってしまいます。しかし事柄は、すべて自分にかかってくるのです。誰も代わってはくれません。
経典には、その前にさらにこうあります。「我々は独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」ものである。ですから、どういう人生を送るにしても、すべては「身自ら之に当たる 代る者有ることなし」なのです。