古く仏教で皆が集まって修行する集団をサンガ(僧伽)といいますが、そのサンガでみながまとまって仲間とうまくやっていくのに4つの心構えがいわれます。四摂法(ししょうぼう)と言われるものですが、そのひとつがこの愛語です。
愛語とは、やさしい言葉、おもいやりある言葉、慈愛の言葉、そういった言葉を人にかけなさい、ということです。具体的には、一番簡単には、人に対して「こんにちは」「おはよう」「元気ですか」と声をかける、そのことです。これらは何か情報を伝えようというのではない、特に意味のある言葉ではないのですが、これによってお互いの心がひらいていく、それは体験的に分かると思います。いまは特に若い人はその意味で無口になりました。いったん知り合った仲間のなかでは饒舌にしゃべるのですが、面識のない人、初対面の人にたいして、言葉を掛け合うことについては逃げ腰です。とくにこういった用向きではないなにげない言葉はでてきません。ある学生にそのことについて聞いたら、声をかけてもし返事が返ってこない、いわば無視されたらどうしようと思って声がでないのだといっていました。それでも敢えて、言葉を掛けるのを愛語というのです。それだけでなくて、逆に話しかけられたら、それなりに受ける、というのも愛語です。受けることも大事なことです。今は話しかけもしない、受けもしないという人が多い。
人間は言葉によって互いに繋がれている動物で、言葉のやりとりにこそ生きている楽しみがあります。もっといえば言葉があってこそ人間があるのです。言葉を用いることがすなわち人間の生活です。用事のとき、しゃべるのも必要ですが、その前に人間生活の第一歩はこうした特別に内容があるわけではない言葉の掛け合いにあるのです。