『橋のない川』という被差別部落を語った著名な小説があります。その作者の住井(すみい)すゑさんは、晩年は、老子のいう自然についてよく語っています。
住井さんによると、差別はもともとそこにある区別ではなく、その時々に、人間が作ったものである。本来、人の作り物であるのに、それを、もともとそこにあるものとして、実体として、絶対視して、本来的なものとして、受け入れてしまうことから、差別が出てくるのだというのです。人が作為をもって作る前に存在するのは自然です。そこには差別はありません。ですから、そういった意味での自然に戻るべきだとなります。そこに真実があるというのです。
住井さんはここで面白いことを言います。人と為すという漢字を一緒にすると、つまり、人偏(にんべん)に為すは、「偽」という字になります。だから人の作ったものはすべて偽なのだというのです。人の作らないところに真実はある事になります。
このことを応用して考えると、差別だけでなく、苦しみや、悩みもやはり、人の世にのみあるもの、人の作ったものです。なぜなら、人以外の、家畜や昆虫や植物や石ころの世界、自然の世界には、決して悩みも苦しみもありません。苦しみや悩みは、人の作り物、やはり、本来ないもの、偽なのです。人は、自分で悩みを作ってそれに悩む、自分で作り出した苦に苦しむ、そういうことをやっています。もしそうだとすれば、実体のない作り物に振り回されるのはつまらないことです。
差別も、悩みも、苦しみも、すべて作り物です。だから幻の如く、偽なるものなのです。そのように承知することが、それに由来する問題の解決の鍵になります。