「聖しこの夜、星は光り、救いの御子は馬ぶねの中に眠りたもう、いと安く。」
そうです。このごろ町に出かけてみると、町のあちらこちらでこの歌を始め数多くのキャロルが、通る人々の心を捕らえています。そして人々の心の中をウキウキさせたり、なごやかにさせたりします。なぜいきなり一年中静かな町が、12月、それもクリスマスともなると浮ついた気持ちになるものでしょうか。これはただ日本のみならず、全世界、宗教と国境を越えて現れた現象なので、クリスマスという言葉が持っている意味は幅広いと思われます。
さて、まず私が知っているクリスマスの意味を述べます。クリスマスは今から二千年前、イスラエルの小さい町ベツレヘムというところで、一人の赤ん坊が生まれた所から始まるということです。それではなぜ、この生まれたばかりの赤ん坊に、大切な意味があるのでしょうか。その方はよい家庭環境でもない馬ぶねの中で生まれたのです。その方は33年間何も持っていない空身で、特別な教えさえもらったことなしに、一人でおおぜいの人々を変化させました。その方はいつも金持ちより貧しい人、強い人より弱い人、病気の人、子どもたち、また一般の人々には地位階層関わらず愛と勇気、希望など生に対する前向きな理想像を導いたのです。その方の教えは二千年過ぎた今日でも否定できないものです。
一方そんなイエスの誕生のクリスマスが、サンタクロースの誕生日だと間違って覚えているような現代人も多いということです。サンタは、ただあるクリスマスの日、フィンランドという国のある神父が、貧しい家の子どもたちにプレゼントをあげるため、赤い帽子、着物を着て、赤い網袋の中にプレゼントを入れて配ったということから由来するものです。それが商人と大勢の人々の誤解によって、若い男女が飲んだり食べたりする日、それから無秩序になったりして、本当のクリスマスの意味が消えつつあるようです。
私たち現代人は色あせたクリスマスとともに、物質的には豊かな生活を営んでいるのですが、精神的には貧しい生活をしています。世界の所々では異常自然現象がおこったり、倫理的に納得が行かないショッキングな事件があちらこちらで生じています。基本秩序の枠が崩れつつある。恐ろしいことです。
それで一部社会学者たちは、迫っている二千年のことを「不確実な時代」「展望が不透明な時代だ」と悲観論をあげています。それは豊かな生活とともに人間のとどまるところを知らぬ欲望、情緒が枯れたことが原因になって、この世は暗くなるということです。
ここで私は自分自身を大切にしてクリスマスの暖かい心とイエスの愛を実践すればこれからの二千年、この世の展望は明るくなると思います。今度のクリスマスは大切な自身を振り返って考えながら、回りの人々にも愛を配ってあげたらいかがでしょうか。
(韓国、男性)
教師より
クリスマスを宗教行事と考えて、敬虔な気持ちで祝う日本人は多くないでしょうね。日本よりキリスト教徒が多い韓国でも、クリスマスは日本と同じような騒ぎ方をするのでしょうか。