56の民族で形成された中国は、多様な文化に恵まれている。そんな中で、私は少数民族(朝鮮族)として、多数を占めている「本当」の中国人との接触を通じ、もう異文化には触れていた。しかし、日本に来てまた新しい異文化との接触なのだ。なぜならば、中国は長い歴史の中で異文化と言う境界線がだんだん薄くなって来て、異文化らしくなくなったからだ。
新たな環境の中で、私はいろいろな相違点に気づいた。まず、外国人に対する受け入れの面で、日本は単一民族のせいか、私の国に比べると、あまり寛容ではないと思う。従って、偏見もあると思う。最近、日本では外国人による犯罪が増えている。だからといって、何でも外国人を疑うことはないのではないか。
先週の日曜日、バイト先でお金が盗まれた。私は何かひっかかった人がいたので、店長に言ったら、店長の口から始めて出た言葉が「外国人?」だった。何で物事に対して、曖昧な言い方をするのに有名な日本人が、こんな問題に対しては何の根拠もなく露骨に外国人を疑うのだうろ。私にとってはどうしても納得できないのだ。
たぶん、人はいいものより悪い方がもっと印象に残るくせがあるかもしれない。実はよく考えてみると、自分が(日本に)慣れてからは、そのいい面が見えなくなるのだ。
日本と私の国を比べると一番感じたのは、国民全体の素質だ。小さな場面で見ても、電車を待つ時、三列に並んで待つ。国ではなかなか見られない光景だ。また、ゴミの面で、日本は本当にきれいだ。これも人々の意識が一定のレベルまで到達したからこそ実現できるのだ。細かい問題に見えるが実は、大きい問題も細かさから大きく発展するのだから、軽視できないのだ。
中国も日本同様の発展を果たすためには、まだまだ勉強しなければならない問題がたくさんある。そのためにはいろんな異文化を体験して、その中から優劣を区分して、いい面を受けいれ、悪い面を捨てるのが近道になるのではないだろうか。
(中国、女性)
教師より
「外国人だから」と言う理由で、日本人からあらぬ嫌疑をかけられる人はたまにいて、私たちも怒りを抑えられないことがあります。いくら日本にいい点を見つけようとしても、こんなことがあったらなかなかむずかしいのではないでしょうか。