執念ぶかい松子夫人は、今もなお、当時の怒りを忘れかねるらしく、ギリギリと歯をか
み鳴らすような音をさせて、
「菊乃がみごもったにつき、佐兵衛さんはあの女を、正妻としてこの家へ入れ、そのかわ
り私どもをここから追い出してしまうつもりらしいという評判でございます。ああ、それ
をきいたときの私の怒り、御想像くださいませ。いえいえ、それは私だけの怒りではござ
いませんでした。私が母からうけついだ恨みと怒りでございます。そして、同じ恨みと怒
りは、竹子さん、梅子さんの胸にももえていたのでございます」
松子夫人はふりかえって、竹子と梅子の顔を見た。ふたりとも同意するようにうなずい
た。この一件に関するかぎり、この三人の異母姉妹も、いつも意見が合うのである。
「皆さんもお聞きおよびでございましょうが、私たち三人は三人とも母がちがっておりま
す。そして三人の母たちは三人とも、父の正妻にはなれず、生涯、|妾《めかけ》として
おわり、そのことを三人の母たちは、どれほど無念とも残念とも思ったことでございまし
ょうか。菊乃の一件の起こったころには、私どもの母は三人とも、すでにみまかっており
ましたが、私の記憶にのこっている、亡父のそれらの三人の女に対する扱いは、とても人
間扱いとは思えませんでした。皆さんはこの家のあちこちに、離れのついているのを不審
におぼしめすでしょうが、あれこそはその当時の、畜生のような亡父の生活の名残りなの
でございます。亡父はあの離れにひとりずつ、三人の女を飼っていたのでございます。え
え、それはもう飼っていたというよりほかに、言い表わしようのない扱いでした。亡父は
三人のだれにも、愛情などは|微《み》|塵《じん》だになく、ただそのときどきの、け
がらわしい男の情念を、みたす道具として飼っておいたのでございます。いえいえ、愛情
どころか、亡父は内心その三人をさげすんでさえいたのです。それですからその三人がひ
となみに、亡父の情欲の結果をやどして、私どもを生んだときには、いつもひどく不きげ
んだったといわれております。亡父にしてみれば、私どもの母たちは、ただおとなしく亡
父に身をまかせておりさえすればよいので、子どもを生むなどとは、よけいなことだとい
う腹だったらしいのでございます。そんなふうでございましたから、生まれてきた私ども
に対して、どんなに冷たい父だったか、御想像ねがえることと存じます」
松子夫人の声は怒りにふるえ、ネツい言葉つきがいつか火のように熱くなっていた。竹
子も梅子も頬をこわばらせてうなずいていた。
「亡父が私どもを育てあげたのは、犬や猫の子とちがって、まさか捨てるわけにも、ひね
りつぶすわけにもいかなかった、ただそれだけの理由からでございましょう。亡父はいや
いやながら私どもを育てたのです。亡父は私どもに対して、微塵も親らしい愛情はもって
いなかった。しかもいまや亡父は、どこの馬の骨とも牛の骨ともわからぬような、小便く
さい娘の愛におぼれて、私どもを追い出して、その娘をこの家へひっぱりこもうとしてい
る。しかも正妻として。……私の怒りが爆発したのも無理ではございますまい」
金田一耕助はわきの下をながれる冷たい汗を、禁ずることができなかった。そこに語ら
れる親と子の|葛《かっ》|藤《とう》、憎しみは、とても尋常のものとは思われなかった
のである。
それにしても――と、金田一耕助は考える、――いかなればこそ犬神佐兵衛翁は三人の
側室や、その側室の所出になる娘たちに対して、かくまで冷たくありえたか。佐兵衛翁の
性格には、なにかしら大きな人間的欠陥があったのであろうか。
いやいや、「犬神佐兵衛伝」によると、犬神佐兵衛というひとは、あれだけの成功をした
ひととしては珍しいほど、人情にあつく、|情誼《じょうぎ》にもろいひとだったといわ
れている。むろん、そこにはいくらかの誇張や曲筆があるかもしれないけれど、げんに耕
助が那須へきて以来、おりにふれ耳に入るところによっても「犬神佐兵衛伝」と、同じよ
うなことがいわれておるのである。那須市のひとたちはいまでも、佐兵衛翁を慈父のよう
に慕っている。それにもかかわらず佐兵衛翁は、自分の子どもや妾に対してだけ、なぜか
くも冷酷でありえたか。――金田一耕助はそのときふと、いつか大山神主からきいた、若
き佐兵衛にからまる、けしからぬ風説を思いだした。珠世の祖父の野々宮大弐と、若き日
の佐兵衛とのあいだに|衆《しゅ》|道《どう》の契りがあったということ、ひょっとす
るとそのことが、佐兵衛翁の妾や子どもに対する態度に、なにか大きな影響をあたえてい
るのではあるまいか。すなわち人生のはじめにおいて、同性愛の経験をもったことが、そ
の後の佐兵衛翁の性生活に影響して、妾や娘たちに対しても人間らしい感情をもつことが
できなかったのではあるまいか。しかし、まだそれだけでは、佐兵衛翁の妾や娘たちに対
する、異常な冷酷さを説明できたとは思えなかった。まだある。まだまだそこに、もっと
もっと容易ならぬ原因があるに違いないが、いったいそれはなんであろう。……
だが、そのとき、松子夫人の話がふたたびつづけられたので、金田一耕助の|瞑《めい》|
想《そう》は、そのへんではたととぎれざるをえなかった。
松子夫人は語るのである。
「あのとき、私が怒りにもえたのは、もうひとつの理由がございました。その時分、私は
すでに結婚しておりまして、その春、子どもを産んだばかりでございました。それがここ
にいる佐清でございます。父は私の夫には、絶対に家督をゆずろうとはしませんでしたが、
佐清こそは父の直系の孫なのですから、ゆくゆくはこの子が犬神家をつぐものとひともい
い、私もよろこんでいたのでございます。ところが、いまもし菊乃が父の正妻におさまり、
もし男の子を生むとなれば、その子こそ父の嫡男ということになり、犬神家の全財産はそ
の子にとられねばなりません。私は二重の怒りにもえました。母からうけついだ恨みと、
わが子のための怒りとで、身も心ももえただれました。そして、同じ恨みと怒りは竹子さ
んや梅子さんにもあったのです。竹子さんもそのころすでに、寅之助さんと結婚しており、
妊娠のきざしが見えてきました。梅子さんはまだ結婚してはおりませんでしたが、幸吉さ
んと約束ができており、来春を待って式をあげる予定になっていました。私たち三人はす
でに生まれている子どもや、これから生まれてくる子どものためにたたかわねばなりませ
んでした。そこであるとき私たちは三人そろって菊乃の|妾宅《しょうたく》へおしかけ
ていき、父と菊乃を口をきわめてののしったのでした」
松子夫人のくちびるは異様にねじれ、言葉はいよいよ火をふいた。金田一耕助はまたな
んともいえぬ無気味な汗をねっとりとわきの下に感じるのである。橘署長と古館弁護士は、
眉をひそめて顔を見合わせた。
「こんなことをお話しすると、さぞや慎しみのない女、はしたない女とおぼしめすでしょ
うが、なんと思われてもかまいません。これが母というものです。それに積年の恨みもご
ざいますし、三人でさんざん父をののしったあげく、最後に私がこういったのでございま
す。もし、あなたがあくまでも、この女を正妻になおそうとなさるならば、私のほうにも
覚悟がございます。私はこの女が子どもを生まないまえに、あなたがたふたりを殺し、私
もさしちがえて死んでしまいます。そうすれば犬神家の財産は、佐清のものとしてのこる
でしょう。たとえ人殺しの母をもつ子という汚名はのこるとしても……」
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