「杉山君、どのへんまで自動車で行けるだろう」
署長が運転台にいる警部にたずねた。
「この雪じゃたいしたことはありません。八合目くらいまでは行けるでしょう。相当スリ
ップするでしょうがね」
「八合目まで行けりゃあ楽だ。この年になってスキーをやるとは思わなかったよ。山のぼ
りは元来苦手でね」
なるほど狸というあだ名があるくらい、酒ぶとりにでっぷり腹のつん出た橘署長には、
雪の登山は苦手であろう。
「署長さん、それにしても、いったいなにが起こったんです。佐清がいったい、なにをや
らかしたんです」
「そうそう、金田一さんにはまだ話してなかったな。昨夜、佐清がやってきてな、珠世を
殺そうとしたんだよ」
「珠世さんを……」
金田一耕助は思わず大きく眼を見はった。
「ああ、そう」
署長の話によるとこうである。
昨夜、珠世は金田一耕助の招請に応じて、応接室のほうへやってきたが、佐清がしのび
こんだのはその留守中のことだろうといわれている。佐清は珠世の寝室の、押し入れのな
かにひそんでいたのである。
珠世は十一時ごろ寝室へさがると、電気を消してベッドへ入った。しかし興奮している
せいか、なかなか寝つかれず、一時間あまりも|輾《てん》|転《てん》反側していたが、
そのうちになんとなく押し入れのなかが気になりだした。ごくかすかながらもののうごめ
く気配、息遣いがきこえるような気がするのである。
珠世は気丈な女である。電気をつけてスリッパをひっかけると、押し入れのまえへ行っ
てド?をひらいた。そのとたん、なかからとび出してきた男が、珠世におどりかかり、ベ
ッドの上に押し倒すと、両手をのどにかけたのである。マフラで顔をかくした男であった。
この物音に廊下から隣室へとびこんできたのは猿蔵だった。
寝室のド?はなかから|鍵《かぎ》がかかっていたが、巨人猿蔵にかかってはもののか
ずではなかった。ド?がうち破られ、猿蔵がなかへとびこんだときには、珠世は|曲《く
せ》|者《もの》にのどをしめられ、すでに|昏《こん》|睡《すい》しかけていた。猿
蔵はすぐに曲者におどりかかった。曲者も珠世をすてて猿蔵にむかってきた。
もし、このとき尋常にとっくんでいれば、相手は猿蔵の敵ではなかったのだが、二、三
合わたりあっているうちに、相手のマフラがパラリと落ちたのである。猿蔵はその顔を見
て立ちすくんでしまった。昏睡しかけていた珠世も悲鳴をあげた。
曲者は佐清だった。
佐清は立ちすくんでいる猿蔵を尻眼にかけて、寝室から外へとび出したが、そこへ寅之
助や幸吉がかけつけてきた。かれらも佐清の顔を見ると|呆《ぼう》|然《ぜん》として
立ちすくんでしまった。そのあいだに佐清は雪のなかへとび出してしまったのである。
「この報告がわしの耳にとどいたのが、一時ごろのことでな。それから非常線を張るやら
なにやら大騒ぎさ。わしは雪のなかをのこのこと犬神家へ出かけていったが、かわいそう
に、珠世はのどに無残な|痣《あざ》をこさえて、ヒステリーを起こしたように泣いてい
たよ」
「珠世さんが泣いていたんですって?」
金田一耕助はびっくりしたようにきき返した。
「そりゃあ泣くだろうさ。あやうく殺されるところだったんだからね。勝ち気なようでも
そこは女だ」
「それで松子夫人は?」
「ああ、松子夫人か。どうもわしゃあの女は苦手ですな。ウ?ッチみたいな顔をして、眼
ばかりギロギロ光らせながら、ひとことも口をきかない。あいつの口をわらせるのはひと
とおりのことじゃないな」
「それにしても佐清は、なんだって危険をおかして、珠世さんを殺しにきたんでしょうな。
それにいままでどこにいたのか。……」
「そりゃ、佐清をつかまえてみなければわからない」
そろそろ解決の曙光が見えてきたので橘署長は上きげんだったが金田一耕助はそれきり
黙って考えこんでしまった。
自動車はすでに雪ケ峰の登山路にさしかかっている。|狭《はざ》|間《ま》新田をす
ぎ狭間の部落をとおり過ぎると、もうその上には人家はない。すでに相当のスキーヤーが
登っていったと見えて、雪もかなり踏みならされて、予想よりはるかに楽な自動車行であ
った。
「署長、このぶんじゃ八合目までは大丈夫ですぜ」
「うむ、ありがたいな」
笹の海のあたりまで来ると、スキーをつけた私服がひとり、道ばたで待っていた。
「署長、たしかにこの道です。いま連中が追いこんでます」
「よし」
自動車は雪をきしらせながら勇躍走りつづける。|拭《ぬぐ》いをかけたように晴れわ
たった空には、|陽《ひ》が美しくかがやいて、山々谷々を埋めつくした雪の反射が眼に
いたかった。おりおり道ばたの|梢《こずえ》から、ドサリと大きく雪が落ちてくる。自
動車は間もなく八合目の地蔵坂へたどりついた。これより上は自動車では無理である。
一同は自動車からとびおりると、それぞれスキーをはいた。
「金田一さん、大丈夫ですか」
「大丈夫、そのかわり相当珍妙な格好をお眼にかけますが」
なるほど、そのときの金田一耕助の格好こそ、世にも見ものであった。かれは二重回し
をぬぎ、羽織をぬぎ、|袴《はかま》をぬぐと、尻はしょりをして、メリヤスの|股《も
も》|引《ひ》きの上に靴下をはきスキー靴をつけた。
「金田一さん、そいつは……あっはっは」
「笑っちゃいけません。そのかわり手練のほどを見てください」
なるほど豪語するだけあって、一行のなかではかれがいちばん達者だった。両肩にステ
ッキをかついで、タ、タ、タと登っていった。橘署長は大きな腹を持てあましながら、ハ
?ハ?いってついてくる。
間もなく一行は九合目を過ぎ、頂上の沼の平のちかくまで来たが、そのとき上から滑っ
てくる私服のひとりに出会った。
「署長さん、早く来てください。いま、見つけて追っかけているところです。野郎、ピス
トルを持ってやあがんで」
「よし」
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