佐清はすすり泣くように息をうちへひいて、
「なにをいわれても私はもう|唯《い》|々《い》|諾《だく》|々《だく》でした。私
は悪酒に酔ったような気持ちで、ただ、|命《めい》これに従うのみだったのです。する
と静馬君は展望台をおりていって、どっからか日本刀を持ってきました。ぼくがびっくり
して、なにをするのかとききますと、これもみんなおまえのおふくろを救うためだ。犯行
が残虐であればあるだけ、女に疑いはかからぬと……」
さすがにそのあとは佐清も語るに忍びず、また金田一耕助も語らせようとはしなかった。
宮川香琴はわが子の恐ろしい所業を思いうかべて、わなわなと薄い肩をふるわせている。
佐清はほっとふかいため息をついて、
「しかし、あとから思えばそのことは、私の母を救うためばかりではなく、自分の母の|
呪《のろ》いを果たそうとしたんですね。さて、佐武君の首を|斬《き》りおとしてしま
うと、私たちは着物を着かえ、私はあの気味悪いゴムの仮面をかぶりました。そのとき静
馬君が、私にどこからきたかときくので、柏屋のこと、また醜聞をおそれてだれにも絶対
に顔を見せなかったことを話すと、静馬君は手をうって笑いました。よしよし、それじゃ
あした一日、おまえはここでおれの身代わりをつとめろ、おれはこれから柏屋へ行って、
おまえの身代わりをつとめてやる……」
金田一耕助は橘署長をふりかえって、
「署長さん、おわかりですか。佐清君がマフラで顔をかくしていたことが、ここで役に立
ってきたんです。十一月十五日から十六日へかけて、この家と柏屋で、二重の身代わり二
重の二人一役が演じられていたわけです。眼だけ出しているぶんにゃ静馬君の、あの恐ろ
しい顔の|崩《ほう》|潰《かい》も、だれにも気づかれる心配はありませんからね」
なんという奇妙な話であろう。すべてが偶然であった。なにもかもが偶然の集積であっ
た。しかし、その偶然をたくみに|筬《おさ》にかけて、ひとつの筋を織りあげていくに
は、なみなみならぬ知恵がいる。静馬はそういう知恵の持ちぬしであり、こうしてここに、
世にも怪奇な犯行|隠《いん》|蔽《ぺい》のためのカムフラージが行なわれたのである。
「着物を着かえ、マフラで顔をかくすと、静馬君は下へおりていって、ボートハウスから
ボートを|漕《こ》ぎだしました。私は展望台のはしから、佐武君の首無し死体と日本刀
をボートのなかに投げおとしました。ボートはすぐに沖を目ざして漕ぎ出しました。私は
静馬君の命令どおり、佐武君の生首を、菊人形の首とすげかえ、それから静馬君に教えら
れた部屋へ、こっそり忍んでかえったのです」
佐清の顔にはありありと疲労の色が濃くなった。|瞳《ひとみ》がぼんやり光をうしな
い、上体がふらふらふらついて声の調子にもかげりが多くなった。
そこで金田一耕助がひきとって、
「以上が十五日の晚のできごとなんですね。そうしてその翌日、十六日に手型くらべがあ
ったわけですが、あの手型くらべこそぼくにとっては、致命的な盲点となったんですよ。
なぜといって、人間の手型、指紋ほどたしかな身分証明書はありませんからね。まさかそ
こにあのような、大胆な大手品が演じられていようとは、夢にも知らなかったものですか
ら、あの顔のくずれた佐清君こそ、ほんものの佐清君にちがいないと、ぼくは信じこんで
しまったんです。そしてそのことが、ぼくの推理にとって、大きな妨げとなったんです。
しかし、珠世さん、あなたはそのことに気がついていたんです」
珠世は驚いたように、金田一耕助の顔を見る。
「手型くらべが終わって、仮面の佐清さんがほんものの佐清さんにちがいないとわかった
とき、あなたは二度までなにか発言しかけてよしましたね。あのときあなたはいったいな
にをいおうとしたのですか」
「ああ、あのこと……」
珠世はいくらか青ざめると、
「あたし……知っていたんです。いいえ、知っていたといえばまちがいですわ。感じてい
たんです。全身でもって感じていたんです。くずれた顔を、あの気味の悪い仮面でかくし
たひとが、佐清さんでないということを……それは女の直感といいますか……?」
「それとも恋する者の直感では……?」
金田一耕助がことばをはさむと、
「あら!」
と、珠世は|頬《ほお》を染めたが、すぐ、悪びれずに体をまっすぐに起こして、
「そうかもしれません。いいえ、きっとそうなのでしょう。とにかく、あたしはあのひと
が、佐清さんではないと確信していたのに、手型が一致したというものですから、びっく
りしてしまって、これがやっぱり顔のくずれたひとだろうかという疑いが、一瞬頭にひら
めいたのです。そこで……」
「そこで?」
「そこで、あたしはいいたかったのです、仮面をとって……仮面をとって顔を見せて……
と」
金田一耕助のくちびるから、鋭いうめき声がほとばしった。
「そのときあなたがそれをいってくれたら……少なくともあとの事件は起こらずにすんだ
のでしょうに……」
「すみません」
珠世は愁然として首うなだれる。金田一耕助はいくらかあわてて、
「いやいや、これはあなたを責めているのじゃない。ぼく自身の不敏を責めているのです。
さて、あの晚、また佐清さんは静馬君といれかわったんですね」
佐清は無言のままものうげにうなずいた。
「あなたは展望台の下で静馬君と出会った。そしてすばやく着物を交換すると、静馬君の
もとめに応じて、?ッパーカットの一撃をくらわしておいて逃げだした。あのとき、静馬
君が仮面をはずして、わざとあの醜い顔を露出していたのは、身代わりなどは使っちゃい
ないぞ、これ、このとおり、おれはやっぱり顔のくずれた男だぞということを、みんなに
見せつけるためだったんですね」
佐清は、また力なくうなずいたが、そのときだった、珠世がことばをはさんだのは。
「でも、先生、あの晚、あたしの部屋へしのびこんだのはいったいだれだったんです」
「むろん、静馬君ですよ。静馬君がこの家へやってきたのは、約束の時間より早かった。
その時分はまだ佐武君のお通夜で、みんなこのお座敷に集まっていたので、そこであなた
のお部屋へしのびこんだのですよ」
「なんのために……!」
「それはね、静馬君の死んだいまとなっては、想像でいくより手がありませんが、おそら
く静馬君はあの時計――指紋のある時計を取りもどしにきたのだろうと思いますよ」
「あっ!」
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