と、珠世は口をおさえる。彼女にもはじめて納得がいったのだ。
「静馬君はこの土地に佐清さんの手型がのこっていようなどとは、夢にも知らなかった。
ところが十五日の晚手型をおすおさぬの|悶着《もんちゃく》があったことから、はじめ
てあなたの策略に気がついた。ひょっとすると、あれは時計に指紋をとるためではなかっ
たかと。……静馬君は佐清さんを使って手型をおさせました。ああして一度手型をとれば、
二度と指紋をとろうとはいうまいと考えたのでしょうが、もしあなたがあの時計を持ち出
して、那須神社からもって帰った、佐清君の手型とくらべたら、なにもかもぶっこわしで
す。そこで時計をさがしにいったんですが、このことは静馬君が十六日の日、この家にい
なかったことを示しています。この家にいたものならば、十六日の朝のあなたの告白から、
時計は佐武君にわたり、その夜行方不明になっていることをみんな知っているはずなんで
す。それにしてもあの時計は……」
「その時計ならばここにあります」
つめたい声でそういったのは松子である。松子はたばこ盆の小引き出しをあけると、い
っぱい詰まった刻みたばこのなかから、金側の懐中時計を取り出して、それを金田一耕助
のほうへ押しやった。くるくると畳の上を回転しながら滑っていく金色の物件を見たとき、
一同は思わず総毛立つような感じだった。あっ、その時計こそもっとも有力な罪のあかし
ではなかろうか。その時計をもっているものこそ、佐武殺しの犯人なのだ。
松子夫人は渋い微笑をうかべて、
「わたしは指紋のことなど知りませんよ。でも、佐武をうしろからさしたとき、よろよろ
とまえのめりになって倒れた佐武の胸から、すべり落ちたのがその時計、手にとってみる
と珠世さんが、佐清……にせものの佐清に、修繕をたのんで断わられた時計です。それを
どうして佐武が持っているかわからなかったけれど、なんとなく|腑《ふ》に落ちなかっ
たものですから、持ってかえって、こうしてかくしておいたのです」
これまた偶然であった。松子夫人はその時計のもつ、真の価値を知ってかくしたのでは
なかったのだ。事実はいつもそんなものなのであろう。こうしてだいぶなぞは解けたがし
かし、そこにはまだ語りつくされぬ、多くのなぞがのこっている。……
悲しき放浪者
「いや、松子奥さま、ありがとうございました。この時計さえ出てくれば|完《かん》|
璧《ぺき》です」
金田一耕助はギゴチなく、のどにからまる|痰《たん》をきりながら、佐清のほうをふ
りかえって、
「佐清さん、いままでのお話で、だいたい第一の事件はわかりましたから、それでは第二
の事件にうつろうじゃありませんか。お見受けするところひどくお疲れのようですから、
ぼくから質問させていただきます。あなたは適当にこたえてください。いいですか」
佐清は力なくうなずく。
「さて、十一月十六日の晚、ここをとび出して以来、あなたがどこに潜伏していられたの
か知りませんが、第二の事件の起こった十一月二十五日には、あなたは豊畑村の空き家に
いられた。そこへ佐智君が珠世さんをつれこんで、けしからぬふるまいに及ぼうとしたの
で、あなたがとび出し、格闘のすえ佐智君を椅子にしばりつけた。そうして猿蔵に電話を
かけたのですね」
佐清は力のない眼でうなずいて、
「そうです。そうしておけば猿蔵が、珠世さんを救いにきたとき、佐智君のいましめを解
いてくれると思ったのです」
「なるほど、ところが猿蔵は佐智君など見向きもせず、珠世さんだけつれていったので、
佐智君が苦心|惨《さん》|澹《たん》のすえ、いましめを解くことができたのは、それ
からよほどのちのこと、おそらく七時か八時ごろのことでしょう。佐智君はいましめを解
くと、ぬぎすてたシャツやワ?シャツ、さては上着などを着て外へとび出したが、モータ
ーボートのほうは猿蔵が乗ってかえったので、猿蔵の乗ってきたボートでこの家へかえっ
てきた。……」
「な、な、なんですって。そ、それじゃあの晚佐智君は、この家へかえってきたんですか」
橘署長の驚きの声である。
「そうですよ、署長さん、あなたもごらんになったでしょう。佐智君の肌にいっぱいつい
ていた縄目のかすり傷、あれだけのかすり傷がつくには、よほど縄目がゆるんでいなけれ
ばならぬはずだのに、われわれが発見したときには、縄はガッキリ小ゆるぎもなく、佐智
君の素肌にくいいっていましたよ。だからあれはあとからまただれかがしばりなおした証
拠です。それからまた佐智君のワ?シャツのボタン、あれは小夜子さんが持っていました
が、小夜子さんはあの日以来一步もこのお屋敷を出ないのですから、どこで拾ったにしろ
このお屋敷のなかにちがいないのです。だからぼくはあの晚きっと、佐智君はここへかえ
ってきたにちがいない。そしてこのお屋敷のどこかで殺されたのだろうとにらんでいたの
です」
橘署長がまたううむとうめいた。
「それをまた佐清君が、豊畑村の空き家へはこんでいったんですか」
「そうだろうと思います。佐清さん、そのところをあなたの口からお伺いしたいんですが
ね、あなたはどうしてこの家へ来られたんです」
佐清はまたはげしく肩をふるわせた。そして光のない眼で、ぼんやりと畳の目を見つめ
ながら、ひくい声で語りだした。
「恐ろしい偶然です。なにもかもが|呪《のろ》わしいめぐりあわせなんです。豊畑村の
空き家をとび出した私は、もう二度とあそこへかえれなくなりました。佐智には絶対に顔
を見せませんでしたけど、顔をかくした復員風の男がそこにいたということはすぐ警察に
知れるでしょう。そうすれば、警察の追及がきびしくなるにきまっています。それまで私
はなんとなく、この湖畔から離れがたくて、転々としてあちこちにひそんでいたんですが、
もうこうなったらしかたがない。東京へでも行ってしまおう。そう思ったのですが、それ
には相当まとまった金がいる。そこでそのことを相談するために、私はここへ忍んできて、
口笛で静馬君を呼び出したのです。実はまえにも一度、そうして静馬君に会って金をもら
ったことがあるので、あの晚も静馬君はすぐに出てきました。私たちはいつものとおりボ
ートハウスのなかで会ったのですが、私がその日のいきさつを話し、東京へ行きたいとい
うと、静馬君はとてもよろこんでいました。あの男はまえからぼくを、那須周辺から追っ
ぱらいたくてしようがなかったんですからね。ところがそんな話をしているところへ、だ
れかが水門の外へかえってきました。そして、水門がひらかぬと見ると、塀をかけのぼっ
て、屋敷のなかへ入ってくる様子です。私たちはびっくりして、ボートハウスの窓からそ
っとのぞいてみましたが、それが佐智君でした」
佐清はそこでほっとひと息入れると、
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