そして、つぎのしゅんかん三人の眼はいっせいに、そこに昏睡している松代のほうへ注
がれた。それじゃやっぱり松代が殺したのか……?
「へえ、あの、しかも由紀ちゃんは、素っ裸で水のなかに浮いてるんです」
金田一耕助はしずかに女の胸をかくすと、磯川警部のほうをふりかえって、
「警部さん、あなたお出掛けになるんでしょう」
「はあ……あの、それはもちろん……」
「そう、それじゃわたしもお供しましょう」
「先生、どうも恐縮です。せっかく御静養にいらしたのに、またとんでもないことがもち
あがっちまいまして……」
「いいですよ。ちょっと考えるところがありますから……」
金田一耕助は松代の顔から貞二君のほうへ視線をうつすと、
「貞二さん、君も出かけるんでしょう」
「はあ……そ、それはもちろん」
「そう、それじゃちょっと待っていてください。警部さんとふたりで支度をしてきますか
ら……ああ、そうそう、それからこの患者ですがね。みんな出かけたあとで、うっかり意
識をとりもどして、また無分別を起すといけませんからだれか気の利いたものをつけてお
いてください」
「はあ、あの、それは大丈夫です。まもなく先生がきてくださると思いますから」
こういう山奥の湯治場だから、医者までそうとう遠いのである。
「ああ、そう、それじゃ、警部さん」
「承知しました。それじゃ貞二君、ちょっと待ってくれたまえ」
もとの座敷へかえって支度をするあいだも、磯川警部はしきりに恐縮していた。
「金田一先生、表はそうとう寒いですよ。そのおつもりでお支度をなさらなきゃ……」
「はあ、二重廻しを着ていきましょう」
「そうなさい。わたしもレーン・コートを着ていきますから」
磯川警部はそうとうくたびれた背広のうえにレーン・コート、金田一耕助は例によって
例のごとく、よれよれのセルの袴はかまに足をつっこんだうえに、さいわい用意してきた
合あいトンビを肩にひっかけて、もとの女中部屋へかえってくると、松代の枕もとに夜具
をつみかさねて、肥ふとり肉じしの老婆がひとりよりかかっていた。
それを見ると磯川警部は眼をまるくして、
「おや、御隠居さん、あんたが付添いをなさるんですかな」
「はあ、あの……これがあまり不ふ愍びんでございますから、せめてお医者さんがお見え
になるまでと思って、貞二にここへつれてきてもらいました。そちらの先生もご苦労さま
でございます」
半身不随のお柳さまは、重い口で挨あい拶さつをすると、不自由なからだを動かして、
それでもキチンと坐すわりなおした。
「ああ、そうそう、金田一先生、ご紹介しておきましょう。こちらがここの御隠居のお柳
さま、御隠居、こちらがいつもわたしがお噂うわさしている金田一先生」
磯川警部はこの薬師の湯とは遠縁にあたっているとかで、祝儀不祝儀にやってくるの
で、この家の内情にはそうとう精通しているのである。
お柳さまが改めてくどくどと挨拶をするのを、金田一耕助がほどよく応対しているとこ
ろへ、貞二君も支度をして出てきたので、万造をさきに立てて一同は薬師の湯を出た。
時刻はもう真夜中を過ぎて暁ちかく、なるほど外はそうとう冷えこむのである。月もも
うだいぶん西に傾いていた。
稚児が淵は薬師の湯から直線距離にして、五、六丁下手に当っているが、これを街道づ
たいにいくと、道が曲りくねっているので二十分はかかるのである。しかし、お柳さまの
隠居所のすぐ下をながれている谿流の磧かわらづたいに歩いていくと、わずか数分の距離
だという。
それを聞いて金田一耕助は、磧づたいの道をいくことを提案した。
「先生、危いですよ。大丈夫ですか。石ころ道なんですが……」
「なあに、大丈夫ですよ。月が明るいから提灯ちようちんもいらない」
磧へおりるまえにふりかえってみると、さっき金田一耕助がのぞいていた廁の窓が、す
ぐ鼻先に見えている。
松代もこの道をいったのだ。
月がもうだいぶん西に傾いているので、谿谷は片かげりになっているが、金田一耕助の
歩いていく磧のこちらがわは、提灯の灯りもいらぬくらい明るいのである。
時刻はもう三時をまわっているので、二重まわしをはおっていても、山奥の夜の風は肌
につめたかった。