「猟奇の果」もうひとつの結末
(前篇の末尾より続く)老科学者人体改造術を説くこと
「オオ、お客さんか。こちらへお入りなさい」
その人物は手術着のような白衣を着た白髪白髯の老人であった。薄暗くてよくは分らぬが、顔中白ひげに覆われたむく犬のような怪老人である。
愛之助は何かしら催眠術でもかけられたような気持で、フラフラと奥の部屋へは入って行った。やはり薄暗い部屋であったが、見た所化学実験室と外科手術室とを兼ねたような感じの部屋であった。大きな
「マア、おかけなさい」
白衣の老人は検微鏡の置いてある机の前に腰かけて、前の椅子をさし示した。愛之助は無言のままそこにかける。
「あんた、生れ変りたいのだね」
「エッ、生れ変るといいますと?」
愛之助がびっくりしたように聞返すと、老人はニヤリと笑った。
「そう。あんたは自分を消してしまいたいのじゃろう。イヤ、何も秘密をうちあけるには及ばん。わしはあんたの身の上など聞きたくはない。何も訊ねないで御希望に応じるのがわしの商売です。あんたからはもうちゃんと莫大な前金を頂いておる。わしはただ黙ってあんたを生れ変らせて上げればよいのじゃ」
愛之助は何か途方もない狂人の国にまぎれこんで来たような感じがした。こちらも気違いの気持になって考えて見ると、どうやら老人の言う意味が分るような気がする。だが、そんな馬鹿馬鹿しいことが、いったいこの世にあり得るのだろうか。
「生れ変ることが出来たら、誰だって生れ変りたいでしょうね。しかし、あなたのおっしゃる意味はどういう事でしょうか」
「つまり、あんたという人間がこの世から無くなってしまうんだ。死ぬのだね。そして、全く別の一人の人間がこの世に生れて来るのだ。その代価が一万円。どうです、
「そんなことが、本当に出来るのですか」
「ウン、出来る。厄介じゃが一つ説明するかな。ここへ来る客人は皆、わしの説明を聞くまでは手術を承知しないからね。あんたもそうじゃろう」
「手術といいますと?」愛之助はビクッとして顔色を変えた。
「ハハハハハハハ、怖がっているね。イヤ無理はない。最初は誰でも死刑台へでものぼるような顔をするものじゃ。よろしい、素人分りのするように一つ説明しましょう」老人はやおら居ずまいを直して語りはじめる。「あんたは泥棒や探偵の用いる変装術というものを御存知じゃろう。
怪老人の講義はこんな風にして長々とつづいた。その要点を記せば、次のような意味になる。
人間の容貌の基調をなすものは骨格と肉附である。容貌を変改するためには先ず骨格から改めて行かなくては嘘だ。骨を削り、骨を継ぐ。今日の外科医学ではそれは不可能なことではない。分り易い例で云えば、歯根膜炎や蓄膿症の手術の如き、日常茶飯事のように顔面の骨を削ることを実行しているではないか。ただ容貌を変えるだけのために、骨を削り骨を継ぐような大胆な外科医がないまでのことだ。それを怪老人はやってのけたのである。
肉附を変えることは一層容易である。栄養供給の多寡によって肥痩せしめるのも一法だが、もっと手っとり早い方法がある。それは現に隆鼻術に行われているパラフィン注射だ。頬をふっくらさせるためには、含み綿の代りに、その部分へパラフィンを注射すればよい。額でも顎でも凡て同じことだ。
だが、従来の隆鼻術でも分るように、パラフィン注射は変形し易い。長い間にはパラフィンが皮膚の内部で団子みたいに固まって変る[#「変る」はママ]形になる。又温度を加えるとグニャグニャになって、指で
怪老人のやり方は、縦横に織り成された皮膚組織内に、ごく細いパラフィン線を別々に幾度も注入して、パラフィンの肉質化を計り、永久に同じ形状を保たしめる。決して団子になったり溶けて流れたりしないのである。
肥満せる肉は口腔内から脂肪剔出手術によって巧みに変形せしめることが出来る。かくして骨格と肉附とを変形すれば、それだけでもうその人の容貌は著しく変ってしまうのだが、それでは無論不充分だ。次に頭髪の変形変色が必要である。生え際を変えるためには殖毛術、脱毛術が応用されねばならぬ。髪の癖を直すためには特殊の電気装置があり、染毛剤の利用、毛髪の色素を抜出して適宜の白毛を作る施術が行われる。眉と髭についても同様に脱毛、殖毛、変色の方法がある。
瞼の変形、二重瞼の創作等は現に眼科医によって行われている所だが、怪老人はその手術を更らに拡張して、睫毛の殖毛術、瞼の切れ目の拡大縮小、つぶらな目、細い目、自由自在に変形することが出来る。
鼻は前述の改良隆鼻術と、軟骨切除によって随意に変形し、口も目と同様広狭自在である。
口腔内部
皮膚の色沢については、ある限度まで電気的又は薬品施術によって改めることが出来るが、それ以上はやはり外用の化粧料にまたねばならぬ。
之を要するに怪老人の「人間改造術」はその個々の原理には別段の創見があるわけではない。ただ従来
実在の人間をモデルにしてそれと全く同じ容貌を創造するためには、最もモデル近き身長骨格容貌の人物が素材として探し出される。怪老人は丁度指紋研究家が指紋の型を分類したように、人間の頭部
怪老人は大体右のような事柄を、一種異様の気違いめいた表現で講演したのである。これを聞かされた青木愛之助が、悪夢にうなされているような何とも云えぬ変な気持になったことは云うまでもない。