猟奇の果の演出者最後の告白を為すこと
愛之助は怪老人の
「それで分りましたよ。だから品川四郎が二人いたのですね。第二の品川四郎を作り出したのはあなただったのですね」
「イヤ、名前は禁物じゃ。わしはあんたの名前も聞こうとは思わぬ。名前も身分も何も聞かないで御依頼に応ずるというのがわしの営業方針でね。品川四郎なんて無論わしは知りませんよ」
「アア、そうですか。そうでしょうね。そうあるべきですね」愛之助はしきりに感心しながら、「じゃ品川の写真を見せれば、お分りになるでしょう。しかし、残念ながら今あの男の写真を持っていないので…………」
「ウン、写真があれば、どういう手術をしたかということを思出すじゃろう」と
愛之助は気が遠くなるような気がした。何かしら驚天動地の怪事が勃発する前兆のようなものが、じかに心臓の中へ躍り込んで来た。
老人は目尻に皺をよせてニヤニヤしながら、長い
顔中の
愛之助はヒョイト[#「ヒョイト」はママ]立上って、いきなり逃げ出そうとした。鬘とつけ髯の下から現われて来る顔を見たくなかったからだ。しかし見てしまった。もう逃げ出す力もない。ヘナヘナと元の椅子に腰をおろした。
怪老人の顔の下から新らしく生れた別人の顔がニヤニヤ笑っていた。笑っている口がどこまでも無限に拡がって行くような感じであった。
「ハハハハハハハ、どうです。品川四郎というのはこんな顔じゃなかったかね」
老人の声が品川四郎の声に変っていた。顔も品川と寸分違わなかった。三人目の品川四郎が忽然としてここに現われたのである。
「オオ、あんたは? 君は?」
それ以上口を利くことも出来なかった。愛之助は恐ろしい悪夢の中に悶えていた。
「オイ、青木君、どうだね。これが猟奇の果というものだぜ」
三人目の品川四郎が、品川四郎の声で、品川四郎の
「ウ、猟奇の果だって?」
「そうさ。これが猟奇の行きつまりというわけさ。どうだい、堪能したかい」
「堪能だって?」
「君の持病の退屈が救われたかというのさ」
「退屈だって?」
「フフフフフフ、君は退屈を忘れていたね。退屈病患者の君が退屈を忘れていた。これは一大奇蹟だぜ。その奇蹟料が一万円は廉かろう」
「エ、一万円?」
「さっきのポンピキ青年に君が渡した一万円さ。人間改造術なんて嘘っぱちだよ。あんなお能の面のような顔の青年を傭って、怪老人の改造術をまことしやかに見せかけたというわけだよ」
「ウウ、そうか。すると君も…………」
「ウン、正真正銘の品川四郎、科学雑誌社長の品川四郎兼スリの品川四郎、君の奥さんをたぶらかした品川四郎、生首接吻の品川四郎、ハハハハハハハ、どうだね、正に一万円は廉いものだぜ」
愛之助はポカンと口を開いたまま阿呆のように黙りこんでいた。
「種あかしが必要かね。どうも必要らしいね。いいか、君は退屈病患者だ。あらゆる猟奇をやりつくして、あとには本物の犯罪が残っているだけだった。人殺しが残っているだけだった。だが君はそこまで進む勇気が無かった。無くって仕合せさ。でなければ今頃は刑務所か首吊台だぜ。その出来ないことを見事にやって見せた。君のため又僕のためにね。君はそれで暫く退屈を忘れ切ることが出来たし、僕は僕でまた、君のような利口なやつをだましおおせる楽しみを、つくづく味わったのだからね」
愛之助の目はまだ空ろであった。彼は信ずべからざる事柄を信じようとして苦悶していた。
「何もかもトリックさ。という意味はね、先ず九段のスリだ。あれは僕だった。態と君の傍へ行って呼びかけさせ、人違いらしく見せかけたのさ。石垣の中にあった財布は別にスリを働いたものじゃない。古道具屋に頼んで買い集めた古財布にすぎなかった。
東京のホテルで君と昼飯を食っていた僕が、同じ日京都で活動写真に撮られていたというのも嘘だよ。あれは心易い映画監督に頼んで、ああいう手紙を書かせたのさ。態々京都へ行って群集に混って映画に入ったのは別の日なんだよ。これも同じ監督の好意でね。考えて見れば僕という男も
麹町の例の覗き一件は、僕の最大の力作だった。最初君が一人で覗いた時に、馬になってはい廻ったのはかく云う僕だ。露出狂というやつかね。大芝居だったよ。それとも知らず、君が僕を誘い出して、二人で覗いた時のは、僕の替え玉だ。相手の女が同じなので、雰囲気を作るのはわけは無かった。顔は違うけれどからだの恰好が僕とそっくりの男を傭ったのさ。思出して見たまえ。あの男は上手にふるまって、決して君に顔を見せなかった。君はからだの一部分や後姿ばかり見て、服装も同じだし、相手の女も同じものだから、うまく錯覚を起してくれたのさ。そこへ持って来て、僕が覗いた時には僕とそっくりの奴と面と向いあったように装い、震え上って見せたものだから、いよいよ君はだまされてしまったというわけだよ。
それから新聞写真に品川四郎が二人顔を並べていた一件だね。これもわけはない。新聞社の写真部員を買収して、群集の中へ僕の顔をうまく貼りつけて、写真銅版の原版を作らせたのさ。群集の中に何者がいようと、ニュース・ヴァリウは変らないからね。新聞社にとっちゃ何の
池袋の怪屋、これがクライマックスだったね。あれはただの空家にすぎない。それを僕がちょっとの間借りておいて、いろいろ細工をしたのだよ。君に殺された男? ウン、あれもかくいう僕さ。とうとう君の念願の人殺しをさせて、最上のスリルを味わせて上げたという次第だ。ハハハハハハ、ボンヤリしてしまったね。信じられないかい。あのピストルは空砲、僕のワイシャツの胸には血紅の入ったゴム袋が忍ばせてあったのだよ。君が発砲すると、そのゴム袋が開らいてドクドク血のりがふき出すという仕掛けさ。あんな子供だましが成功したのは凡て雰囲気だよ。イリュウジョンを作り出す僕の芸の力だったのさ。
それは実に驚嘆すべき遊戯であった。青木愛之助の猟奇の癖もさることながら、品川四郎の執拗深刻な
「あの時の生首の接吻かい。ハハハハハハ、無論手品さ。切断された首ではなくて、あの台の下にからだを隠して、首だけがのっかってるように見せかけたのだよ。血みどろのね」
「待ってくれ。ちょっと、品川君、若し君の云うことが本当だとすると、僕には腑に落ちないことがある」愛之助は夢から醒めて、愕然として叫んだ。「君は態とそれに触れなかったが、一番大切なことがある。分っているだろう」愛之助の青ざめた顔がピクピクと痙攣していた。果然自失から醒めたのである。醒めざるを得ないような重大問題に気づいたのである。
「分っている。君の奥さんのことだろう。僕が奥さんをどうかしていたということだろう。名古屋の鶴舞公園の闇の中の囁き、それから君の奥さんが僕宛てに送って来たラヴ・レターだね」
品川四郎が言葉を切っても、愛之助は何も云わなかった。云えないのだ。ただ死にもの狂いの目で相手を
「無論トリックだよ。君の奥さんの貞節は保証するよ」
「証拠がほしい」愛之助は額に汗の玉を浮べて、プツリとただ一こと要求した。
「証拠? よろしい。先ずラヴ・レターの方だが、これは簡単だ。無論偽筆だよ。僕が君の奥さんの筆くせを真似て書いたのさ。例によって子供だましだよ。それから、鶴舞公園であいびきしていた男は、君に呼びかけられて人違いらしく答えたけれど、正に僕だった。僕と同じ人間がこの世に二人いる筈は無いのだからね。だが安心したまえ。相手の女は君の奥さんじゃなかった。後姿と声だけが奥さんに似ている別人なんだよ。僕は随分苦労をしてその女を探し出した。あるカフェの女給なんだがね」
「証拠を見せたまえ」愛之助はまだ信じ切れなかった。
「よろしい。証拠はちゃんと用意してある。待ちたまえ、今見せるから」
品川はテーブルの上の呼鈴に指をかけた。どこかでブザーの音がした。部屋の一方のドアが静かにひらいた。そして、ドアの向うにスラッと背の高い女が、うしろ向きに立っているのが見えた。
「アッ、芳江……」愛之助はガタンと椅子から立上って、その方へ駈け出そうとした。
「君、よく見たまえ。あれは芳江さんじゃない。……ホラ、ね」
女はゆっくりこちらに向きを変えて、しずしずと部屋の中へは入って来た。後姿は芳江とそっくりであったが、顔はまるで違う。愛之助の愛妻とは似てもつかぬ、しかしこれも
愛之助は緊張がとけてガックリと椅子に倒れこんだ。
女はその間近かまで近づいて来た。そして、さもしとやかに一礼すると、愛くるしい