闇の中で手をとられて、その場を離れた。四五歩もあるくと、シュウとマッチがすられて、再び蝋燭が輝いた。いそいでうしろを見たが、さっきのふしぎな曲線の物体は見えなかった。老人は用心ぶかく、あの物体に覆いの布をかけてしまったのかも知れない。
「これですよ。この中ですよ」
燭台をかざしたのは、一つの大きな黒い箱の上であった。それは西洋の装飾寝棺に似ていた。そと側の黒い色が漆のように光っていた。
老人は燭台をおくと、またポケットから鍵束をとり出して、その黒い長い箱の錠前をはずした。そして、燭台をかざしながら、その蓋をソロソロとひらいて行った。
蝋燭の光といっしょに、目がチラチラした。箱の中には、白いなめらかなものが横たわっていた。蓋がすっかりひらいてしまうと、それは美しい裸体の女であることがわかった。
蘭堂は愕然として、一歩うしろにさがった。蝋人形というものが、こんな恐ろしい美を持っているとは、思いもよらなかった。ああ、これが生きた人間でなく蝋細工だなんて、そんなバカなことがあるものか。
「お気に入りましたか。美しい女でしょう。これは生きているのですよ」
老人はささやくような低い声で云った。すると、その声が蝋人形に通じたように、美しい瞼がブルブルとふるえて、パッと目をひらいた。蝋細工ではない、ほんとうの目であった。それがじっと蘭堂の顔を見つめていた。蘭堂の皷動が早くなった。逃げ出したいような恐怖を感じた。
伴天連爺さんとはよくも名づけた。彼は伴天連の魔術を心得ているのであろうか。
「ハハハ、大江蘭堂さんは、こんなものに驚く方ではないと思いましたがね。あなた、顔が青くなっていますよ。ハハハハハ、わたしは天下の大江蘭堂をびっくりさせましたね。先生のお書きになる怪談と、わたしの発明した怪談と、どっちが怖いでしょうかね」
爺さんは顔じゅうを、すぼめた提灯のように皺だらけにして、歯の抜けた口を耳まで拡げて、悪魔のように笑っていた。
「これが蝋人形ですか。なにかカラクリ仕掛けでもあるのですか。ああ、目だけじゃない。唇が動いている。息をしている……」
「生きているでしょう。あなた、わたしのトリックにかかりましたね。これはほんとうに生きているのですよ。人造人間じゃありません。さわってごらんなさい」
老人は無理に蘭堂の手を引っぱって、箱の中に横たわっている美女の肌にさわらせた。その肌は暖かくて弾力があった。
すると、人形が、くすぐったいと云うように、身もだえして、ムクムクと起き上がった。その時は、さすがの怪奇小説家も心臓が止まる思いをしたが、すぐに、それは老人形師の子供らしいトリックであることがわかった。箱づめになっていたのは、人形ではなく、ほんとうの生きた人間にすぎないことがわかった。