「ひどいいたずらをしますね。可哀そうにこのお嬢さんは、箱の中で、さぞ息ぐるしかったことでしょう」
蘭堂はそう云いながら、美しい裸女の手をとって、引き起し、箱のそとへ出るのを手伝ってやった。
「ごめん、ごめん。これが怪奇小説家のあなたには、何よりのご馳走だと思いましてね。実はこの女は、わたしのモデルなんですよ」
だが、ふしぎなことに、この美しいモデル娘は、少しも裸体をはにかむ様子がなかった。無言のまま、向うの衝立の蔭にはいって、しばらくすると、素肌の上にガウンを着たらしい様子で出て来た。
「先生、まだ心臓が静まりますまい。こういうときは一ぱいやるに限ります。この子に酌をさせて、あちらで又一ぱいやりましょう」
老人形師は燭台を持って先に立ち、その次にガウンの美女、あとから蘭堂がつづいた。
以前の書斎で、それぞれ椅子にかけると、またコニャックの酒盛りがはじまった。心がときめいているので、酒の廻りが早く、蘭堂はじきに酔い心地になった。
美女は殆んど口をきかなかった。何か云われると、ニッコリ笑って頷いたり、かぶりを振ったりするばかりであった。しかし、彼女も酒は少しずつ飲んだ。やがて目のふちがポーッと赤くなって来た。
娘は人形から人間になって、またもとの人形に戻っていくように感じられた。生きた人間にしては余りに美しすぎた。ホフマンのオリンピア嬢はこんな美しさだったかも知れない。若し生きているとすれば――いや、生きているにちがいないのだが――この皺くちゃの老人が、どうしてこんな美しい女を手に入れたのか、ふしぎでたまらなかった。
「このモデルの娘さんは、なんとおっしゃるのですか」
「最上令子と云います。これをモデルにして、寸分ちがわない美人人形を造りたいのです。いま、からだの調子を見ているのですよ。最良の状態のときに、石膏をぬりつけるのです」
令子はパチッとまばたきをした。まるで自動人形のようなまばたきであった。人間らしくなくて、人形とそっくりの娘。そこからこの世のものならぬ、あやしい美しさが発散した。人間らしくないところに、名状しがたい強烈な魅力があった。
「令子さん、あなたは、自分とそっくりの人形ができるのを、怖いとは思いませんか」
蘭堂ははじめて娘に話しかけた。
「いいえ」
彼女はかすかに微笑んで、小さな声で答えた。人形が何かの仕掛けで口をきいているようであった。シャンとした姿勢で椅子にかけ、顔は正面を向いたまま、少しも動かさなかった。
蘭堂と老人形師とは、この美女をかたわらにして、一時間近く、コニャックを傾けながら、人形の話をつづけた。
「それじゃ、令子さんをモデルにして仕事をはじめたら、知らせてください。ぜひ見たいのです。約束しましたよ」
恐ろしく酔って、ろれつが怪しくなっていた。そして、二人に見送られてそとに出たのだが、そのとき、玄関の戸口で、令子の手が蘭堂のからだにさわった。意味ありげにさわった。
彼は暗い町に出て、電車の駅の方へヨロヨロと歩きながら、その感触を思い出していた。ふと、若しやと気づいたので、さわられた側のポケットに手を入れて見ると、小さな紙きれがはいっていた。街燈の下まで急いで、その紙きれを調べると、鉛筆で次のような走り書きがしてあった。
「この爺さんは大悪人です。助けて下さい。わたしは殺されます」
【附記】これも一挙掲載で、私の次の発展篇を角田喜久雄君、解決篇を山田風太郎君が執筆した。