返回首页

怪盗二十面相-佛像的奇迹

时间: 2021-10-22    进入日语论坛
核心提示:仏像の奇跡 さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。 午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ
(单词翻译:双击或拖选)

仏像の奇跡


 さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。
 午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、あけはなったままの、羽柴家の門をくぐりました。
 盗人(ぬすびと)たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、
「お約束の品物をいただきにまいりましたよ。」
と、すてぜりふを残しながら、間どりを教えられてきたとみえて、まよいもせず、ぐんぐん奥のほうへふみこんでいきました。
 美術室の入り口では、壮太郎氏と近藤老人とが待ちうけていて、賊のひとりに声をかけました。
「約束はまちがいないんだろうね。子どもはつれてきたんだろうね。」
 すると、賊はぶあいそうに答えました。
「ご心配にゃおよびませんよ。子どもさんは、もうちゃんと、門のそばまでつれてきてありまさあ。だがね、さがしたってむだですぜ。あっしたちが荷物を運びだすまでは、いくらさがしてもわからねえように工夫がしてあるんです。でなきゃあ、こちとらがあぶないからね。」
 いいすてて、三人はドカドカ美術室へはいっていきました。
 その部屋は土蔵のような造りになっていて、うす暗い電燈の下に、まるで博物館のようなガラス棚が、グルッとまわりをとりまいているのです。
 よしありげな刀剣(とうけん)甲冑(かっちゅう)、置き物、手箱の類、びょうぶ、掛け軸などが、ところせましとならんでいるいっぽうのすみに、高さ一メートル半ほどの、長方形のガラス箱が立っていて、その中に、問題の観世音像が安置してあるのです。
 れんげの台座の上に、ほんとうの人間の半分ほどの大きさの、うす黒い観音様がすわっておいでになります。もとは金色(こんじき)まばゆいお姿だったのでしょうけれど、今はただ一面にうす黒く、着ていらっしゃるひだの多い(ころも)も、ところどころすりやぶれています。でも、さすがは名匠(めいしょう)の作、その円満柔和(えんまんにゅうわ)なお顔だちは今にも笑いだすかと思われるばかり、いかなる悪人も、このお姿を拝しては、合掌(がっしょう)しないではいられぬほどにみえます。
 三人の泥棒は、さすがに気がひけるのか、仏像の柔和なお姿を、よくも見ないで、すぐさま仕事にかかりました。
「ぐずぐずしちゃいられねえ。大いそぎだぜ。」
 ひとりが持ってきたうすぎたない布のようなものをひろげますと、もうひとりの男が、そのはしを持って、仏像のガラス箱の外を、ぐるぐると巻いていきます。たちまち、それとわからぬ布包みができあがってしまいました。
「ほら、いいか。横にしたらこわれるぜ。よいしょ、よいしょ。」
 傍若無人のかけ声までして、三人のやつはその荷物を、表へ運びだします。
 壮太郎氏と近藤老人は、それがトラックの上につみこまれるまで、三人のそばにつききって、見はっていました。仏像だけ持ちさられて、壮二君がもどってこないでは、なんにもならないからです。
 やがて、トラックのエンジンが、そうぞうしくなりはじめ、車は今にも出発しそうになりました。
「おい、壮二さんはどこにいるのだ。壮二さんをもどさないうちは、この車を出発させないぞ。もし、むりに出発すれば、すぐ警察に知らせるぞ。」
 近藤老人は、もう、一生けんめいでした。
「心配するなってえことよ。ほら、うしろを向いてごらん。坊ちゃんは、もうちゃんと玄関においでなさらあ。」
 ふりむくと、なるほど、玄関の電燈の前に、大きいのと小さいのと、二つの黒い人かげが見えます。
 壮太郎氏と老人とが、それに気をとられているうちに、
「あばよ……。」
 トラックは、門前をはなれて、みるみる小さくなっていきました。
 ふたりは、いそいで玄関の人かげのそばへひきかえしました。
「おや、こいつらは、さっきから門のところにいた親子の乞食じゃないか。さては、いっぱい食わされたかな。」
 いかにもそれは親子と見えるふたりの乞食でした。両人とも、ぼろぼろのうすよごれた着物を着て、にしめたような手ぬぐいでほおかむりをしています。
「おまえたちはなんだ。こんなところへはいってきてはこまるじゃないか。」
 近藤老人がしかりつけますと、親の乞食がみょうな声で笑いだしました。
「エヘヘヘヘヘ、お約束でございますよ。」
 わけのわからぬことをいったかと思うと、彼はやにわに走りだしました。まるで風のように、暗やみの中を、門の外へとびさってしまいました。
「おとうさま、ぼくですよ。」
 こんどは子どもの乞食が、へんなことをいいだすではありませんか。そして、いきなり、ほおかむりをとり、ぼろぼろの着物をぬぎすてたのを見ると、その下からあらわれたのは、見おぼえのある学生服、白い顔。子ども乞食こそ、ほかならぬ壮二君でした。
「どうしたのだ、こんなきたないなりをして。」
 羽柴氏が、なつかしい壮二君の手をにぎりながらたずねました。
「何かわけがあるのでしょう。二十面相のやつが、こんな着物を着せたんです。でも、今までさるぐつわをはめられていて、ものがいえなかったのです。」
 ああ、では今の親乞食こそ、二十面相その人だったのです。彼は乞食に変装をして、それとなく、仏像が運びだされたのを見きわめたうえ、約束どおり壮二君をかえして、逃げさったのにちがいありません。それにしても、乞食とは、なんという思いきった変装でしょう。乞食ならば、人の門前にうろついていても、さしてあやしまれないという、二十面相らしい思いつきです。
 壮二君はぶじに帰りました。聞けば、先方では、地下室にとじこめられてはいたけれど、べつに虐待(ぎゃくたい)されるようなこともなく、食事もじゅうぶんあてがわれていたということです。
 これで羽柴家の大きな心配はとりのぞかれました。おとうさまおかあさまの喜びがどんなであったかは、読者諸君のご想像におまかせします。
 さていっぽう、乞食に化けた二十面相は、風のように羽柴家の門をとびだし、小暗(こぐら)い横町にかくれて、すばやく乞食の着物をぬぎすてますと、その下には茶色の十徳姿(じっとくすがた)のおじいさんの変装が用意してありました。頭はしらが、顔もしわだらけの、どう見ても六十をこしたご隠居(いんきょ)さまです。
 彼は姿をととのえると、かくし持っていた竹の(つえ)をつき、背中をまるめて、よちよちと、歩きだしました。たとえ羽柴氏が約束を無視して、追っ手をさしむけたとしても、これでは見やぶられる気づかいはありません。じつに心にくいばかりの用意周到なやりくちです。
 老人は大通りに出ると、一台のタクシーを呼びとめて、乗りこみましたが、二十分もでたらめの方向に走らせておいて、べつの車に乗りかえ、こんどは、ほんとうのかくれがへいそがせました。
 車のとまったところは、戸山ヶ原(とやまがはら)の入り口でした。老人はそこで車をおりて、まっくらな原っぱをよぼよぼと歩いていきます。さては、賊の(そう)くつは戸山ヶ原にあったのです。
 原っぱのいっぽうのはずれ、こんもりとした杉林の中に、ポッツリと、一軒の古い洋館が建っています。荒れはてて住みてもないような建物です。老人は、その洋館の戸口を、トントントンと三つたたいて、少し間をおいて、トントンと二つたたきました。
 すると、これが仲間のあいずとみえて、中からドアがひらかれ、さいぜん仏像をぬすみだした手下のひとりが、ニュッと顔を出しました。
 老人はだまったまま先に立って、ぐんぐん奥のほうへはいっていきます。廊下のつきあたりに、むかしは、さぞりっぱであったろうと思われる、広い部屋があって、その部屋のまんなかに、布をまきつけたままの仏像のガラス箱が、電燈もない、はだかろうそくの赤茶けた光に、照らしだされています。
「よしよし。おまえたちうまくやってくれた。これはほうびだ。どっかへ行って遊んでくるがいい。」
 三人の者に数枚の千円札をあたえて、その部屋を立ちさらせると、老人は、ガラス箱の布をゆっくりとりさって、そこにあったはだかろうそくを片手に、仏像の正面に立ち、ひらき戸になっているガラスのとびらをひらきました。
「観音さま、二十面相の腕まえは、どんなもんですね。きのうは二百万円のダイヤモンド、きょうは国宝級の美術品です。このちょうしだと、ぼくの計画している大美術館も、まもなく完成しようというものですよ。ハハハ……、観音さま。あなたはじつによくできていますぜ。まるで生きているようだ。」
 ところが、読者諸君、そのときでした。二十面相のひとりごとが、終わるか終わらぬかに、彼のことばどおりに、じつにおそろしい奇跡がおこったのです。
 木造の観音さまの右手が、グーッと前にのびてきたではありませんか。しかも、その指には、おきまりのハスの茎ではなくて一(ちょう)のピストルが、ピッタリと賊の胸にねらいをさだめて、にぎられていたではありませんか。
 仏像がひとりで動くはずはありません。
 では、この観音さまには、人造人間のような機械じかけがほどこされていたのでしょうか。しかし鎌倉時代の彫像に、そんなしかけがあるわけはないのです。すると、いったいこの奇跡はどうしておこったのでしょう。
 だが、ピストルをつきつけられた二十面相は、そんなことを考えているひまもありませんでした。彼は「アッ。」とさけんで、たじたじとあとじさりをしながら、手むかいしないといわぬばかりに、思わず両手を肩のところまであげてしまいました。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
[查看全部]  相关评论