名探偵の危急
「ええ、なんだって、あの野郎をひっさらうんだって、そいつあおもしれえ。ねがってもないことだ。手つだわせてくんねえ。ぜひ手つだわせてくんねえ。で、それはいったい、いつのことなんだ。」
赤井寅三は、もうむちゅうになってたずねるのです。
「今夜だよ。」
「え、え、今夜だって。そいつあすてきだ。だが、どうしてひっさらおうというんだね。」
「それがね、やっぱり二十面相の親分だ、うまい手だてを工夫したんだよ。というのはね、子分のなかに、すてきもねえ美しい女があるんだ。その女を、どっかの若い奥さんにしたてて、明智の野郎の喜びそうな、こみいった事件をこしらえて探偵をたのみに行かせんだ。
そして、すぐに家をしらべてくれといって、あいつを自動車に乗せてつれだすんだ。その女といっしょにだよ。むろん自動車の運転手も仲間のひとりなんだ。
むずかしい事件の大すきなあいつのこった。それに、相手がかよわい女なんだから、ゆだんをして、この計画には、ひっかかるにきまっているよ。
で、おれたちの仕事はというと、ついこの先の青山墓地へ先まわりをして、明智を乗せた自動車がやってくるのを待っているんだよ。あすこを通らなければならないような道順にしてあるんだ。
おれたちの待っている前へ来ると、自動車がピッタリとまる。するとおれときみとが、両がわからドアをあけて、車の中へとびこみ、明智のやつを身動きのできないようにして、麻酔剤をかがせるというだんどりなんだ。麻酔剤もちゃんとここに用意している。
それから、ピストルが二丁あるんだ。もうひとり仲間が来ることになっているもんだから。
しかし、かまやしないよ。そいつは明智にうらみがあるわけでもなんでもないんだから、きみに手がらをさせてやるよ。
さあ、これがピストルだ。」
乞食に化けた男は、そういって、やぶれた着物のふところから、一丁のピストルをとりだし、赤井にわたしました。
「こんなもの、おらあうったことがねえよ。どうすりゃいいんだい。」
「なあに、弾丸ははいってやしない。引き金に指をあててうつようなかっこうをすりゃいいんだ。二十面相の親分はね、人殺しが大きらいなんだ。このピストルはただおどかしだよ。」
弾丸がはいっていないと聞いて、赤井は不満らしい顔をしましたが、ともかくもポケットにおさめ、
「じゃ、すぐに青山墓地へ出かけようじゃねえか。」
と、うながすのでした。
「いや、まだ少し早すぎる。七時半という約束だよ。それより少しおくれるかも知れない。まだ二時間もある。どっかで飯を食って、ゆっくり出かけよう。」
乞食はいいながら、小わきにかかえていた、きたならしいふろしき包みをほどくと、中から一枚の釣り鐘マントを出して、それをやぶれた着物の上から、はおりました。
ふたりが、もよりの安食堂で食事をすませ、青山墓地へたどりついたときには、トップリ日が暮れて、まばらな街燈のほかは真のやみ、お化けでも出そうなさびしさでした。
約束の場所というのは、墓地の中でももっともさびしいわき道で、宵のうちでもめったに自動車の通らぬ、やみの中です。
ふたりはそのやみの土手に腰をおろして、じっと時のくるのを待っていました。
「おそいね。第一、こうしていると寒くってたまらねえ。」
「いや、もうじきだよ。さっき墓地の入り口のところの店屋の時計を見たら七時二十分だった。あれからもう十分以上、たしかにたっているから、今にやってくるぜ。」
ときどきポツリポツリと話しあいながら、また十分ほど待つうちに、とうとう向こうから自動車のヘッド・ライトが見えはじめました。
「おい、来たよ。来たよ、あれがそうにちがいない。しっかりやるんだぜ。」
案のじょう、その車はふたりの待っている前まで来ると、ギギーとブレーキの音をたててとまったのです。
「ソレッ。」
というと、ふたりは、やにわに、やみの中からとびだしました。
「きみは、あっちへまわれ。」
「よしきた。」
二つの黒い影は、たちまち客席の両がわのドアへかけよりました。そして、いきなりガチャンとドアをひらくと客席の人物へ、両方からニューッと、ピストルの筒口をつきつけました。
と同時に、客席にいた洋装の夫人も、いつのまにかピストルをかまえています。それから、運転手までが、うしろ向きになって、その手にはこれもピストルが光っているではありませんか。つまり四丁のピストルが、筒先をそろえて、客席にいる、たったひとりの人物に、ねらいをさだめたのです。
そのねらわれた人物というのは、ああ、やっぱり明智探偵でした。探偵は、二十面相の予想にたがわず、まんまと計略にかかってしまったのでしょうか。
「身動きすると、ぶっぱなすぞ。」
だれかがおそろしいけんまくで、どなりつけました。
しかし、明智は、観念したものか、しずかに、クッションにもたれたまま、さからうようすはありません。あまりおとなしくしているので、賊のほうがぶきみに思うほどです。
「やっつけろ!」
低いけれど力強い声がひびいたかと思うと、乞食に化けた男と、赤井寅三の両人がおそろしい勢いで、車の中にふみこんできました。そして、赤井が明智の上半身をだきしめるようにしておさえていると、もうひとりは、ふところから取りだした、ひとかたまりの白布のようなものを、手早く探偵の口におしつけて、しばらくのあいだ力をゆるめませんでした。
それから、やや五分もして、男が手をはなしたときには、さすがの名探偵も、薬物の力にはかないません。まるで死人のように、グッタリと気をうしなってしまいました。
「ホホホ、もろいもんだわね。」
同乗していた洋装婦人が、美しい声で笑いました。
「おい、なわだ。早くなわを出してくれ。」
乞食に化けた男は、運転手から、ひとたばのなわを受けとると、赤井に手つだわせて、明智探偵の手足を、たとえ蘇生しても、身動きもできないように、しばりあげてしまいました。
「さあ、よしと。こうなっちゃ、名探偵もたわいがないね。これでやっとおれたちも、なんの気がねもなく仕事ができるというもんだ。おい、親分が待っているだろう。急ごうぜ。」
ぐるぐる巻きの明智のからだを、自動車の床にころがして、乞食と赤井とが、客席におさまると、車はいきなり走りだしました。行く先はいわずと知れた二十面相の巣くつです。