大鳥氏は、恐怖にたえぬもののように、ソッと天井を指さしながら、ささやくのでした。
しかし、明智探偵は少しもさわぎません。口をつぐんだまま、じっと大鳥氏を見かえしています。
と、とつじょとして、どこからともなく、まったく別の声がひびいてきました。
「おいおい、子どもだましはよしたまえ。
ぼくが腹話術を知らないとでも思っているのか。ハハハ……。」
大鳥氏はそれを聞いて、ゾッとふるえあがってしまいました。ああ、なんというふしぎなことでしょう。それはまぎれもなく明智探偵の声でした。天井から明智の声がひびいてきたのです。しかも、当の探偵は目の前に、じっと口をつぐんですわっています。まるで魔法使いです。明智探偵が、とつじょとしてふたりになったとしか考えられないのです。
「おわかりになりましたか、ご主人。これが腹話術というものです。口を少しも動かさないでものをいう術です。今のようにぼくがこうして口をふさいでものをいうと、まるでちがった方角からのように聞こえてくるのです。天井と思えば天井のようでもあり、床下と思えば床下からのようにも聞こえます。おわかりになりましたか。」
今こそ、大鳥氏にもいっさいが明白になりました。腹話術というものがあることは、大鳥氏も話に聞いていました。さいぜんからの声が、みんな腹話術であったとすれば、すっかりつじつまがあるのです。天井や床下などをあれほどさがしても、二十面相の姿が発見されなかったわけが、よくわかるのです。それでは、やっぱり二十面相は門野老人に化けているのでしょうか。
大鳥氏はまだ半信半疑のまなざしで、じっと門野老人を見つめました。門野老人はまっさおになっています。しかし、まだへこたれたようすは見えません。顔いっぱいにみょうなにが笑いをうかべて、何かいいだしました。
「腹話術ですって、おお、どうしてわたくしが、そんな魔法をぞんじておりましょう。明智先生、あんまりでございます。このわたくしがおそろしい二十面相の賊だなんて、まったく思いもよらぬ、ぬれぎぬでございます。」
ところが、この老人のことばが終わるか終わらぬに、部屋の板戸を、外からトントンとたたく音が聞こえてきました。
「だれだね。用事ならあとにしておくれ。今はいって来ちゃいけない。」
大鳥氏が大声にどなりますと、板戸の外に意外な声が聞こえました。
「わたくしでございます。門野でございます。ちょっと、ここをおあけくださいませ。」
「エッ、門野だって? きみは、ほんとうに門野君か。」
大鳥氏は仰天して、あわただしく板戸をひらきました。すると、おお、ごらんなさい、そこにはまぎれもない門野支配人が、やつれた姿で立っていたではありませんか。
「だんなさま。じつに申しわけございません。賊のためにひどいめにあいまして、つい先ほど、明智先生に助けだしていただいたのでございます。」
門野老人はわびごとをしながら、部屋の中のもうひとりの門野を見つけ、思わずさけびました。
「アッ、あんたはいったい何者じゃ!」
なんというふしぎな光景だったでしょう。いや、ふしぎというよりも、ゾーッと総毛立つような、なんともいえぬおそろしいありさまでした。そこには、まるで鏡に写したように、まったく同じ顔のふたりの老人が、敵意に燃える目でにらみあって、立ちはだかっていたのです。おそろしい夢にでもうなされているような光景ではありませんか。
だれひとり、ものをいうものもなければ身動きするものもありません。数十秒のあいだ、映画の回転がとつぜん止まったような、ぶきみな静止と沈黙がつづきました。
その静けさをやぶったのは、五人のうちのだれかがはげしい勢いで動きだしたのと、それから、少女の洋服を着ている小林少年が、
「アッ、先生、二十面相が!」
とさけぶ、けたたましい声とでありました。
さすがの二十面相も、ほんものの門野支配人があらわれては、もう運のつきでした。いかにあらそってみても勝ちみがないとさとったのでしょう。彼はやにわに畳をあげたままになっていた床下へとびおりました。そして、そこにかがんで何かしているなと思ううち、とつじょとして、まったく信じがたい奇怪事がおこったのです。
ふしぎ、ふしぎ、アッと思うまに、にせ支配人の姿が、まるで土の中へでも、もぐりこんだように、消えうせてしまいました。
またしても、二十面相は魔法を使ったのでしょうか。彼はやっぱり、何かしら気体のようなものに化ける術をこころえていたのでしょうか。