「いや、恐れいりました。それです、それです。先方を主人公にして、先方の好奇心に訴える。一つ一つの細かい手法はいろいろですが、帰するところはそれでございますよ。女優とか芸能人は、いくら有名なかたでも、わけはありません。有名なかたほど好奇心が強いものですからね。ぐっと上流の家庭の奥さまでも、箱入りのお嬢さまでも、好奇心の強いかたは、なんとでも手段があります。苦手は好奇心の乏しいおかたです。そういうおかたは、この地底世界へおつれすることさえむずかしい。これにはまた、まったく別の手段がいるのですが」
「その場合は、お客の男のほうに細工をする」
「エッ、なんとおっしゃいました?」
「たぶんそうだろうと思ったのです。ぼくならぼくをですね、その女の人のご主人なり、恋人なりに化けさせる」
「いや、驚きました。あなたさまはほんとうにわたくしの親友です。カムレードです。さあ、もう一度お手を、お手を」
ちょびひげの柔らかい手が、ギュッと握りしめてきた。豊満な女の手であった。かれはそのまましゃべりはじめる。
「こういう例がございました。ある老年の高位高官のおかたが、ご自分の年の三分の一の若い美しいお嬢さまと再婚なさったことがあります。ここへこられたあるお客さまが、その若い新婦を連れてこいとおっしゃるのです。有名な結婚式から一週間もたっていないのです。それに、新婦になられたお嬢さまというのが、実にしつけのよろしい、封建的な家庭に育ったおかたで、ごくごく内気なおかただものですから、このご要求は難題中の難題でございました。
わたくしは、しかたがないので、お客さまに変装をしてもらいました。つまり、その高位高官のご老人に化けていただいたのです。わたくし、変装術は多年研究しております。特殊の化粧料、かつら、つけひげのたぐいは、ことごとくそろえております。それでもって、お客さまをすっかり変装させたのです。そして、ここから地上世界へつれ出しました。
一方、高位高官のご老人を、有名な宗匠のお茶会に連れ出して、ある手段によって、夜ふけまでひっぱっておいたのです。そして、ご老人になりすましたお客さまを、その晩、お屋敷へ送りこみました。むろん、表門からではありません。裏庭のへいのくぐり戸の錠をはずしておいて、そこからどろぼうのように忍びこませたのです。
これには数人のわき役がいります。お屋敷の女中のひとりも味方についていました。あらかじめ、ご老人とそっくりの声で電話がかかり、『今夜はおそくなるから、若奥さまはさきにやすむように』と伝えてある。やすむまえのお茶に、適量の眠り薬が入れてある。寝室にはぼんやりしたまくら電灯がついているだけです。ね、それでうまくいったのですよ。お客さまはまたこっそり庭のくぐり戸から逃げ出しました。そのあとへ、ほんもののご老人がお帰りになったというわけです。
え、あとでばれたかとおっしゃるのですか。ところが、ばれません。ちゃんとその心理が計算にはいっていたのです。内気な、しつけのよい若奥さまが、死んでもそんなことを口外するものではありません。だまされっぱなしというわけです。若奥さまに生涯の秘密ができたわけです……この世の裏側には、どんなことがあるか、わかったもんじゃございませんね」
ちょびひげは色白の顔をかわいらしくゆがめて、まっかなくちびるでニヤニヤと笑ってみせた。
「なにごとも原理は簡単ですね。しかし、実行がむずかしい。一分一厘の狂いがあっても、たいへんなことになるのですからね。つまりは、まったくすきのない注意力と、才能ですね。あなたにはその才能がおありになる。やはり、天才を要する事業です」
「いや、おほめで恐れ入ります。まったくさようでございますね。大軍を指揮する注意力と才能がいります。そこが楽しいところでございます」
「ここへは、女のお客はありませんか」
「一度だけございました。お金持ちの未亡人で、まだ四十に間のある美しいおかたでした」
「その注文は?」
「有名な俳優とか芸能人は、いつでも思うままになるから珍しくないとおっしゃるのですね。角力とり、スポーツ選手、大学生、そういうものは、なで切りにしているような、おぞましいおかたでございました。そして、おっしゃるには、位人臣をきわめたおかたに、一度会ってみたいとおっしゃるのです。つまり、高官中の高官でございますね。
ところが、女のお客さまの場合は、どんなむずかしそうなご注文でも、こちらとしましては、実にたやすいのです。つまり、相手方を主人公にして、その好奇心をそそり、先方から望むようにしむければ、もう百発百中でございますね。ちょうどあなたさまが、あの白ひげのじいさんの誘いに乗ってここへおいでになったのと同じことです。適当な誘いてを使って、適当に誘惑すれば、偉い人であればあるほど、ひっかかりやすいと申すものです。芸者などが、しろうとの女には思いも及ばない有名なかたを、なんなくものにするというのも、まあ同じ心理によるものでございましょう。その高官中の高官のおかたも、ある宴席からの帰りがけ、酔いにまかせて、わたくしどもの婦人客の望みをかなえてくださいましたですよ」
地底王国の主人公、ちょびひげ紳士は、万能の名医のように、柔和な顔、赤いくちびるにおだやかな笑みをたたえて、じっとこちらの顔を見つめるのであった。