「でも、速水さんて人、よくわからないわね。わたしたちを助けてはくれたけれど、やっぱり悪人にはちがいないわ。良斎をゆすって、お金を取るために助けたようなもんだわ」
「そうだよ。ぼくもなんだか安心ができないような気がする。このチョコレートは、ほんとうは警察に届けたほうがいいんだがね」
「でも、そんなことしちゃ、速水さんが迷惑するでしょう。困ったわね。いのちを助けてくれた人が、まともな世渡りをしていないなんて」
「それに、ぼくたちのほうにも弱みがあるんだしね」
「あたし、このあいだから考えていることがあるのよ」
美与子の目に、妙な輝きが加わったので、昌吉は、不思議そうに、その顔を見つめた。
「明智小五郎っていう私立探偵知ってるでしょう? あの人ならば、警察じゃないんだから……」
「相談してみるというの?」
「ええ、このチョコレートも、あの人のところへ持っていって、分析してもらえばいいと思うわ」
「ぼくが行ってみようか」
「そうしてくださる? でも、尾行される心配があるわ。よほど注意しないと」
「タクシーをいくつも乗りかえるんだよ。逆の方角へ行って、別の車に乗って、また別の方角へ行くというふうに、何度も乗りかえて、尾行をまけばいい」
「そうね。じゃ、あなた行ってくれる?」
相談がまとまったので、美与子は下へ降りていって、電話帳で明智探偵事務所を捜して、電話をかけた。すると、明智はさいわい在宅で、待っているからという返事だった。昌吉はチョコレートの箱を新聞紙に包んで、出かけていった。
二時間ほどして帰ってきた。もう夜になっていた。
「だいじょうぶ?」
美与子が心配そうに、かれの顔を見上げて尋ねた。
「尾行のことかい?」
「ええ」
「タクシーを乗りかえるたびに、じゅうぶんあたりを見まわして、ほかに車のいないことを確かめたから、絶対にその心配はないと思う。だが、タクシー代はずいぶんかかったよ」
昌吉はそこにすわって、タバコをつけた。
「あのチョコレートには、やっぱり青酸化合物がはいっていた。明智さんが簡単な反応試験をやってくれた」
「まあ、やっぱり……」
「きみが注意してくれたので、いのち拾いをしたよ」
だが、美与子には、いのち拾いをしたということよりも、今後の恐怖のほうが大きかった。
「で、明智さんは、なんておっしゃるの?」
「アパートを変わるのもわるくはないが、相手に見つからないように変わるのは、ちょっとむずかしいだろうというんだ。明智さんは速水さんのことも知ってたよ。あれは不思議な男だといってた。なんだか速水さんのことを、まえから調べてるらしいんだよ。あの人は、やっぱり相当悪いことをしているんだね。それからね、明智さんは、毒チョコレートを送ったり、ぼくに自動車をぶっつけようとしたのは、川波良斎自身じゃない。第三者が介在しているというんだよ。その第三者というのが、なんだか恐ろしいやつらしい。明智さんは、そいつに非常に興味を持っているように見えた」
「良斎がその男に頼んだのね」
「うん。明智さんはそうらしいというんだ。なにかいろいろ知っている様子だが、ぼくにははっきりしたことはいわなかった」
「で、あたしたちはどうすればいいの?」
「なるべく外出しないようにしていろっていうんだ。速水さんがアパートをかわれというなら、かわってもいいが、引っ越しのときは、じゅうぶん気をつけるようにというんだ」
「それで?」
「どういう方法か知らないが、明智さんがぼくらを守ってくれるというんだ。報酬なんかいらない。速水という男も、良斎が頼んだもうひとりの男も、非常に興味のある人物だから、進んで調べてみるというんだよ」
「それだけでだいじょうぶかしら?」
「ぼくが不安な顔をしているとね、明智さんは、絶えずあなたがたの身辺を見守っているから、わたしに任せておけばいい。少しも心配することはないと、請け合ってくれた」
ふたりはいちおうそれで満足しておくほかはなかった。警察に届けられないとすれば、これ以上の方法は考えられないからだ。
だが、そういううちにも、悪魔の触手はすでにしてこの可憐なる恋人たちの身辺に迫っていたのである。