「そっちに用がなくても、こっちにだいじな用があるんだ。苦労をしておびきよせたきみたちを、帰してたまるものか」
「ぼくたちになんの用事があるんだ。そして、きみはいったい何者だ」
こちらはもう震え上がっているのだけれど、虚勢を張ってどなり返す。
「おれは人殺しのブローカーだよ」
「エッ、なんだって?」
「人殺し請負業さ。わかったかね」
「それじゃ、きさま、川波良斎に頼まれたというのか」
「だれに頼まれたかはいえない。営業上の秘密だよ。いま川波良斎とかいったな。そんな人は知らないよ。聞いたこともないよ」
そのとき、美与子が昌吉のそでを引いた。ふりむくと、彼女のおびえた目が、ドアの側の壁の天井に近いところを見つめている。昌吉もその視線を追った。今まで少しも気づかなかったが、その壁の上部に、一尺四方ぐらいの小さな窓があった。窓といっても通風のためのものではなくて、厚いガラス板がはめこんである。ひらかない窓だ。
その四角なガラスの向こうに、何かもやもやとうごめいていた。よく見ると、人間の顔であった。見知らぬ中年男の顔であった。それが薄気味わるくニヤニヤと笑っていた。昌吉はその顔を下からにらみつけて、
「おい、きみはぼくたちをどうしようというのだ?」
すると、ガラスの向こうの男の口がモグモグ動いた。そして、見当ちがいのラウドスピーカーから、いやらしい、しわがれ声が聞こえてきた。
「それが聞きたいかね。よろしい、聞かせてやろう。きみたちはそのへやへはいるときに、ドアのところだけが廊下の壁から深くくぼんでいるのを気づかなかったかね。壁からのくぼみが六、七寸もあるんだ。そのアーチのようになった内側は、ちかごろ塗りかえたように、漆喰が新しくなっているのを見なかったかね。
このへやはね、つい一カ月ほどまえまでは、そのドアの外も壁になっていたのさ。わかるかね。ドアの外の壁のくぼみいっぱいにレンガを積んで、漆喰でかためて、廊下の壁と見分けがつかぬようになっていたのさ。つまり、外から見たのでは、こんなところにへやがあることは、少しもわからなかったのだよ。ハハハハハ、まあ、ゆっくり考えてみるがいい。それが何を意味するかをね」
そして、ガラスの外の顔が消えると、その四角な窓がまっくらになってしまった。ふたを締めたらしい。
昌吉は、もう一度ドアにぶつかっていった。
勢いをつけて走っていって、肩で突き破ろうとした。しかし、ドアはびくともしない。よほどがんじょうな板でできているらしい。
かれはあきらめて、ぐったりとイスにかけた。美与子もその前のイスにかけていた。ふたりはだまって目を見かわすばかりだった。
「さっきの電話は、たしかに速水さんの声だったのかい?」
「ええ、速水さんとそっくりだったわ。でも、そうじゃなかったのね。だれかが速水さんの声をまねてたんだわ」
ふたりは速水の筆跡を知らなかったけれど、あの運転手が持ってきた手紙も、速水の筆ぐせがまねてあったのかもしれない。なんという悪がしこい悪魔だ。
あいつはさっき「おれは殺人ブローカーだ」といった。気ちがい良斎が頼んだのにきまっている。だが、こんなへやへ閉じ込めて、どうする気なのだろう。ふたりが飢え死にするのを待つのだろうか。それとも……。
あいつは変なことをいった。ドアの外にレンガが積んであったといった。それはどういう意味なのだ。飢え死によりも、もっと恐ろしいことではないのか。
ああ、残念だ。ピストルさえあったらなあ。たまをドアの錠にぶちこめば、わけなくひらくのだが、せめてナイフでもあれば、錠を破ることができるかもしれないのだが、それさえ持っていない。
昌吉はまたいらいらと立ち上がって、へやのまわりをぐるぐる歩いた。そして、けばけばしい花模様の壁紙をたたきまわった。壁紙が何かを隠しているかもしれない。もしや、その下に、秘密の出入り口でもあるのではないかというそら頼みからだ。
その壁紙はひどく不完全なはり方なので、たたいたり、ひっかいたりしているうちに、その一カ所が破れた。紙の下には白い壁があった。その表面に縦横に傷がついている。そのよごれを隠すために、壁紙をはったのかもしれない。