「いけません。うちの裏表に、五、六人はりこんでいやあがる。刑事かどうかわかりませんが、とにかく、われわれの帰るのを待ち伏せしているのはたしかですよ」
「そうか。それじゃ、品川の事務所へやれ。御殿山の家だ」
車はふたたび走りだした。御殿山にも殺人会社の事務所があるものとみえる。事務所というのは、つまりかれらの隠れ家なのだが、この調子では、そういう隠れ家をほうぼうに持っているらしい。それほどの用意がなくては、殺人会社などというだいそれた事業はできないのであろう。
御殿山の近くまで走ると、また車をとめて、運転手だけが物見に出かけていったが、まもなく、顔色をかえて走りもどってきた。
「だめだ。ここにも張りこんでいやあがる。こんどはどこにしましょう」
「尾久だ」
須原はひとこといったきり、だまりこんでしまった。車は矢のように走った。品川から尾久までは相当の距離であった。尾久の隠れ家に近づくころには、もうあたりが薄暗くなっていた。
驚いたことには、尾久の隠れ家にも見張りがついていた。
小男須原の顔には、四方から追いつめられた野獣の相貌が現われてきた。
車はさらに三カ所の隠れ家に走ったが、どこにも手まわしよく見張りの者がついていた。これはもう、私立探偵単独の行動ではない。警視庁も力を合わせているのだ。
右に左に逃げまどっていた野獣が、ついに逃げ場を失ったように、須原たちの自動車は世田谷区の、とある街道に立ち往生をしてしまった。
須原は長いあいだ考えこんでいた。このぶんでは、もう非常線が張られているかもしれない。東京から外へ出ようとするのは危険だ。といって、都内の大道路でもいつ検問を受けないともかぎらない。早くどこかへ隠れなければならぬ。
須原はとうとうかぶとを脱いだ。こういう場合には何よりも鋭い知恵が頼みだからである。かれは後部席のすみにぐったりとなっている影男の肩をそっとつついて話しかけた。
「様子はきみも聞いていただろう。わしがつかまれば、きみも同罪だ。きみはわしの仕事をてつだったばかりじゃない。きみ自身でも、ずいぶん悪事を働いている。つかまったら、当分日の目を見ることはできまい。だからね、ものは相談だ。隠れ場所を教えてくれ。明智の手も、警視庁の手も、絶対に届かぬような、安全な隠れ場所を教えてくれ。教えてくれる気なら、さるぐつわをといてやるが、どうだ」
それを聞くと、影男が深くうなずいてみせたので、すぐさるぐつわを解いてやった。
「また仲直りか」
影男は口がきけるようになると、直ちに皮肉の一矢を放った。
「うん、しかたがない。お互いの利害が一致すれば、一時休戦だ。とにかく、今はきみもわしも、身の安全を図らなければならない。こういう場合、いつも名案を持っているのは、きみのほうだ。お互いのために、ひとつ知恵をしぼってくれ」
「窮余の講和というわけか。きみもずいぶんかってなやつだな。まあいい、それほどにいうなら、ひとつ名案をさずけてやろう。影男は融通むげ、窮するということを知らない人間だからな」
「たのむ、たのむ。こうなれば、きみの知恵にすがるばかりだ」
「それじゃあ、この細引きを解いてくれ。からだの自由がきかなきゃ、名案も浮かばないよ」
「うん、解いてやる。だが、だいじょうぶだろうな。わしを裏切って、逃げ出す気じゃないだろうな」
「そんなに疑うなら、よしたらいいだろう。おれのほうから頼んだわけじゃない」
「わかった、わかった。それじゃあ、解いてやる。そのかわり、もし逃げようとすれば、わしもやけくそだ。ピストルをぶっぱなすよ。ほら、これだ。こんどはから玉じゃないぞ」
須原は例のコルトを見せておいて、細引きを解いてやった。
影男は自由になった両手をさすりながら、
「ここはどこだ」
「下高井戸の近くだよ」
運転手がふりかえって答えた。
「荻窪まで、どれほどかかる?」
「十五、六分だな」
「よし、荻窪だ。荻窪から青梅街道を少し行ったところだ。そのまえに電話をかける。公衆電話があったら止めてくれ」
車は走りだした。西の空の夕焼けがだんだん薄らいで、街灯の光が目だちはじめていた。
じきに公衆電話のボックスがあった。影男は、ポケットの中でピストルを構えた須原につき添われて車を降り、ボックスにはいった。
「うまいぐあいだ。隠れ場所が見つかったぞ。これから、きみにおもしろいものをみせてやる」
影男は、やがてボックスを出ると、ニヤニヤ笑いながら、そんなことをいった。
ふたたび車は矢のように走りだした。国鉄の線路をこえて、青梅街道に出ると、影男が右、左とさしずをした。そして、止まったのは、高いコンクリートべいでかこまれた大きな屋敷の門前であった。電話で知らせてあったためか、車がとまると、アラベスクのすかし模様の鉄の門扉が、音もなくいっぱいにひらいた。車はその中へすべりこんでいった。すると、門扉は静かに、ふたたびとざされた。