巨人のかげ
それから四―五日たった、ある晩のことです。少年探偵団員の
井上君とノロちゃんとは、たいへん仲よしでした。井上君は団員のなかでも、いちばん大きく力も強いのですが、ノロちゃんは、はんたいに、いちばんこがらで力も弱く、おくびょうものです。そのふたりが、どうしてこんなに仲がいいのか、ふしぎなほどです。
井上君のおとうさんは、若いころに、ボクシングの選手をやったことがあり、いまでも、ボクシングの会の役員をしているので、ボクサーがよく家へ遊びにくるのです。井上一郎君は、そういう人たちに、ときどき、ボクシングを教えてもらうので、少年ににあわない腕っぷしの強い子でした。学校でも、井上君にかなうものは、ひとりもありません。
そういうわけでノロちゃんは、しょっちゅう井上君の家へ遊びにいくのです。きょうも、井上君のおとうさんにつれられて、いっしょに映画を見せてもらった帰りに、銀座でお茶をのんで、
「あらっ、ピカッと光ったね、いなずまかしら?」
ノロちゃんが、びっくりしたように、いいました。ノロちゃんは、かみなりがきらいなので、いなずまにも、すぐ気がつくのです。
しかし、いなずまにしてはなんだかへんな光りかたでした。空を見あげると、星が出ています。かみなりの音もしません。
「いなずまじゃないよ。なんだろう?」
井上君も、ふしぎそうにあたりを見まわしています。
すると、また、まっ白なひじょうに強い光が、銀座通りをかすめて、恐ろしいはやさで、サーッと通りすぎました。
「ああ、わかった。サーチライトだよ。デパートの屋上で、照らしているんだよ。」
井上君のおとうさんが、ノロちゃんを安心させるようにいいました。デパートは、もう、しまっていましたけれど、屋上からサーチライトを照らすことは、べつに、めずらしくもありません。
「あっ、また、光った。なんだか、いたずらしているみたいですねえ。」
井上君がいいますと、おとうさんもうなずいて、
「そういえば、へんだねえ。サーチライトなら、空を照らすのが、ほんとうだからね。」
と、ふしん顔でした。
そのサーチライトは、下にむけて、銀座通りを照らしているのです。光が新橋のほうに、ポツッと出たかとおもうと、銀座の電車通りを、矢のようにサーッと走って、たちまち
それから、しばらくすると、またサーチライトが光りましたが、こんどは、京橋のほうから、サーッとやってきて、井上君たちが歩いている、まむこうの大きな建物を、まっ白に照らしたまま、動かなくなってしまいました。
「おや、へんだなあ。あの銀行ばかり、じっと照らしているよ。」
ノロちゃんが、
いかにもへんです。銀行は窓も入口も、すっかりよろい戸がおろされて、三階だての前面が、まるで映画のスクリーンのように、
こちらの三人は、おもわず立ちどまって、そのほうをながめていました。
すると、まっ白に光った銀行の壁に、上のほうから、黒い雲のようなかげが、スーッとおりてきたではありませんか。まっ黒なでこぼこのかげです。
まん中に、出っぱったところがあります。その下に、深い谷のようにくびれたところがあります。そのくびれたところが、開いたり閉じたり、動いているのです。
「あっ、人の顔だ。ねっ、井上君、あれ人間の顔だよ。」
ノロちゃんが井上君の肩に手をかけて、ささやくようにいいました。
まっ白に光った三階だてのコンクリートの壁に、実物の千倍もあるような人間の横顔が、うつっていたのです。だれかが、サーチライトのすぐ前に、顔をだしているのです。それがくっきりと、むこうの壁にうつったのです。生きた人間の証拠には、口を動かしているではありませんか。谷間のような深いくびれは、巨人の口だったのです。その上の出っぱったところは、
ちょうどそのとき、銀行の前は、ふしぎに人どおりがとだえていましたが、そこへ、左のほうから、ひとりの女の人が歩いてきたのです。その人はサーチライトの光を、まぶしそうにしていましたが、まだ巨人のかげには気がつきません。あまり大きすぎて、近くではわからないのでしょう。
洋服を着た若い女の人でした。たぶんおじょうさんです。そのおじょうさんが、サーチライトの光の中にはいったとおもうと、どこからともなく、みょうな音が聞こえてきました。
「ウワン……ウワン……ウワン……。」
という、教会のかねの音のようなかんじでした。それがよいんをひいて、銀座の夜空いっぱいに、ひびきわたるのです。