八
四月二十日、故人の命日に当るので、静子は仏参をしたのち、夕刻から親戚や故人と親しかった人々を招いて、仏の供養を営んだ。私もその席に連ったのであるが、その晩湧き起った二つの新しい事実、(それはまるで性質の違う事柄であったにも拘らず、後に説明かす通り、それらには、不思議にも運命的な、あるつながりがあったのだが)恐らく一生涯忘れることの出来ない、大きな感動を私に与えたのである。
その時、私は静子と並んで、薄暗い廊下を歩いていた。客が皆帰ってしまってからも、私は暫く静子と私丈けの話題(春泥捜索のこと)について話合った後、十一時頃であったか、余り長居をしては、召使の手前もあるので、別れを告げて、静子が御出入の帳場から呼んでくれた自動車にのって帰宅したのであるが、その時、静子は私を玄関まで見送る為に、私と肩を並べて廊下を歩いていたのだ。廊下には庭に面して、幾つかのガラス窓が開いていたが、私達がその一つの前を通りかかった時、静子は突然恐ろしい叫び声を立てて私にしがみついて来たのである。
「どうしました。何を見たんです」
私が驚いて尋ねると、静子は片手では、まだしっかりと私に抱きつきながら、一方の手でガラス窓の外を指さすのだ。私も一時は春泥のことを思出して、ハッとしたが、だがそれは何でもなかったことが、間もなく分った。見ると窓の外の庭の樹立の間を、一匹の白犬が、木の葉をカサカサ云わせながら、暗闇の中へ消えて行った。
「犬ですよ。犬ですよ。怖がることはありませんよ」
私は、何の気であったか、静子の肩を叩きながら、いたわる様に云ったものだが、そうして何でもなかったことが分ってしまっても、静子の片手が私の背中を抱いていて、生温い感触が、私の身内まで伝わっているのを感じると、アア、私はとうとう、矢場に彼女を抱き寄せ、八重歯のふくれ上った、あのモナ・リザの唇を盗んでしまったのである。そして、それは私にとって幸福であったか不幸であったか、彼女の方でも、決して私をしりぞけなかったばかりか、私を抱いた彼女の手先に、私は遠慮勝ちな力をさえ覚えたのであった。
それがなき人の命日であった丈けに、私達は罪を感じることが一入深かった。二人はそれから私が自動車に乗ってしまうまで、一言と口を利かず、目さえもそらす様にしていたのを覚えている。
私は自動車が動き出しても、今別れた静子のことで頭が一杯になっていた。熱くなった私の唇には、まだ彼女の唇が感じられ、皷動する私の胸には、まだ彼女の体温が残っている様に思われた。そして、私の心には、飛び立つばかりの嬉しさと、深い自責の念とが、複雑な織模様みたいに交錯していた。車が、どこをどう走っているのだか、表の景色などは、まるで目に入らなかった。
だが、不思議なことは、そんな際にも拘らず、先程から、ある一つの小さな物体が、異様に私の眼の底に焼きついていた。私は車にゆられながら、静子の事ばかり考えて、ごく近くの前方をじっと見つめていたのだが、丁度その視線の中心に、私の注意を惹かないでは置かぬ様な、ある物体が、チロチロと動いていた。初めは無関心にただ眺めていたのだけれど、段々その方へ神経が働いて行った。
「なぜかな。なぜ俺はこれをこんなに眺めているのかな」
ボンヤリとそんな事を考えている内に、やがて事の次第が分って来た。私は偶然にしては余りに偶然な、二つの品物の一致をいぶかしがっていたのだった。
私の前には、古びた紺の春外套を着込んだ、大男の運転手が、猫背になって前方を見つめながら運転していた。そのよく太った肩の向うに、ハンドルに掛けた両手が、チロチロと動いているのだが、武骨な手先に似合わしからぬ上等の手袋が被さっている。しかもそれが時候はずれの冬物なので、一入私の目を惹いたのでもあろうが、それよりも、その手袋のホックの飾釦……私はやっとこの時になって悟ることが出来た。嘗つて私が小山田家の天井裏で拾った、金属の丸いものは、手袋の飾釦に外ならぬのであった。私はあの金属のことを糸崎検事にも一寸話はしたのだったが、丁度そこに持合せていなかったし、それに、犯人は大江春泥と明かに目星がついていたので、検事も私も遺留品なんか問題にせず、あの品は今でも私の冬服のチョッキのポケットに入っている筈なのだ。あれが手袋の飾釦であろうとは、まるで思いも及ばなかった。考えて見ると犯人が指紋を残さぬ為に、手袋をはめていて、その飾釦が落ちたのを気づかないでいたということは、如何にもあり相なことではないか。
だが、運転手の手袋の飾釦には、私が屋根裏で拾った品物を教えてくれた以上に、もっともっと驚くべき意味が含まれていた。形といい、色合といい、大きさといい、それらは余りに似過ぎていたばかりでなく、運転手の右手にはめた手袋の飾釦がとれてしまって、ホックの坐金丈けしか残っていないのは、これはどうしたことだ。私の屋根裏で拾った金物が、若しその坐金にピッタリ一致するとしたら、それは何を意味するのだ。
「君、君」私はいきなり運転手に呼びかけた。「君の手袋を一寸見せてくれないか」
運転手は私の奇妙な言葉に、あっけにとられた様であったが、でも、車を徐行させながら、素直に両手の手袋をとって、私に手渡してくれた。見ると、一方の完全な方の飾釦の表面には、例のR・K・BROS・CO・という刻印まで、寸分違わず現われているのだ。私は愈々驚きを増し、一種の変てこな恐怖をさえ覚え始めた。
運転手は私に手袋を渡して置いて、見向きもせず車を進めている。そのよく太ったうしろ姿を眺めると、私はふとある妄想に襲われたのである。
「大江春泥……」
私は運転手に聞える程の声で、独言の様に云った。そして、運転手台の上に小さな鏡に映っている、彼の顔をじっと見つめたものであった。だが、それが私の馬鹿馬鹿しい妄想であったことは云うまでもない。鏡に映る運転手の表情は少しも変らなかったし、第一大江春泥が、そんなリュウパンみたいな真似をする男ではないのだ。だが、車が私の宿についた時、私は運転手に余分の賃銭を握らせて、こんな質問を始めた。
「君、この手袋の釦のとれた時を覚えているかね」
「それは初めからとれていたんです」運転手は妙な顔をして答えた。「貰いものなんでね、釦がとれて使えなくなったので、まだ新しかったけれど、なくなった小山田の旦那が私に下すったのです」
「小山田さんが?」私はギョクンと驚いて、慌だしく聞返した。「今僕の出て来た小山田さんかね」
「エエ、そうです。あの旦那が生きている時分には、会社への送り迎いは、大抵私がやっていたんで、御ひいきになったもんですよ」
「それ、いつからはめているの?」
「もらったのは寒い時分だったけれど、上等の手袋で勿体ないので、大事にしていたんですが、古いのが破けてしまって、今日初めて運転用におろしたのです。これをはめていないとハンドルが辷るもんですからね。どうしてそんなことを御聞きなさるんです」
「いや、一寸訳があるんだ。君、それを僕に譲って呉れないだろうか」
という様な訳で、結局私はその手袋を、相当の代価で譲受けたのであるが、部屋に入って、例の天井裏で拾った金物を出して、比べて見ると、やっぱり寸分も違わなかったし、その金物は手袋のホックの坐金にもピッタリとはまったのである。
これは先にも云った通り、偶然にしては余りに偶然過ぎる、二つの品物の一致ではなかったか。大江春泥と小山田六郎氏とが、飾釦のマークまで同じ手袋をはめていたということは、しかもそのとれた金物とホックの坐金とがシックリ合うなどと云うことが、考えられるであろうか。これは後に分ったことであるが、私はその手袋を持って行って、市内でも一流の銀座の泉屋洋物店で鑑定して貰った結果、それは内地では余り見かけない作り方で、恐らくは英国製であろう。R・K・BROS・CO・なんて云う兄弟商会は内地には一軒もないということが分った。この洋物店の主人の言葉と、六郎氏が一昨年九月まで海外にいた事実とを考え合せて見ると、六郎氏こそその手袋の持主で、随って、あのはずれた飾釦も、六郎氏が落したことになりはしないか。大江春泥が、そんな内地では手に入れることの出来ない、しかも偶然六郎氏と同じ手袋を所有していたとは、まさか考えられないのだから。
「すると、どういう事になるのだ」
私は頭を抱えて、机の上によりかかり、「つまり、つまり」と妙な独言を云い続けながら、頭の芯の方へ、私の注意力をもみ込んで行って、そこから何かの解釈を見つけ出そうとあせるのであった。
やがて、私はふっと変なことを思いついた。それは、山の宿というのは、隅田川に沿った細長い町で、そこの隅田川寄りにある小山田家は、当然大川の流れに接していなければならないということであった。考えるまでもなく、私は度々小山田家の洋館の窓から、大川を眺めていたのだが、何故か、その時、始めて[#「始めて」はママ]発見したかの様に、それが新しい意味を持って、私を刺戟するのであった。
私の頭のモヤモヤの中に、大きなUの字が現われた。Uの字の左端上部には山の宿がある。右端の上部には小梅町(六郎氏の碁友達の家の所在地)がある。そして、Uの底に当る所は丁度吾妻橋に該当するのだ。あの晩六郎氏は、Uの右端上部を出て、Uの底の左側までやって来て、そこで春泥の為に殺害されたと、我々は今の今まで信じていた。だが、我々は河の流れというものを閑却してはいなかったであろうか。大川はUの上部から下部に向って流れているのだ。投込まれた死骸が殺された現場にあるというよりは、上流から流れて来て、吾妻橋下の汽船発着所につき当り、そこの澱みに停滞していたと考える方が、より自然な見方ではないだろうか。死体は流れて来た。死体は流れて来た。では、どこから流れて来たか。兇行はどこで演ぜられたのか。……そうして、私は深く深く、妄想の泥沼へと沈み込んで行くのであった。