三原は、胸がおどったが、すぐに不安がきた。
一月二十一日といえば、すでに一カ月以上になる。乗船客名簿は、はたして保存されているだろうか。破棄されていたら、せっかくの糸も切れたことになる。
駅にきけばわかるに違いない。彼は息せく思いで札幌駅に向かった。
鉄道公安官室にはいって、三原は身分を言い、名簿の保存期間のことをききあわせた。
「青函連絡船の乗船客名簿は」と、いあわせた中年の公安官は、顔をなでて言った。
「保存期間は、六カ月です」
六カ月。それなら十分である。三原はほっとした。
「じゃ、青森駅に行けば、保管してあるわけですね?」
「青森から、乗船したのですか?」
「そうです」
「青森まで行く必要はないでしょう。函館駅にも保存があるはずです」
三原がわからない顔をしたので、公安官は説明した。
「乗船客名簿は、甲・乙両方に名前住所を書きます。駅ではこれを切り離して、甲片は発駅に保存、乙片は船長が受け取って到着駅に引きつぐのです。だから函館駅にもあるわけです」
ああ、そうか、と三原は納得した。自分も両方書いたことをおぼえている。
「何日のをお調べになりたいのですか?」
公安官はきいた。
「一月二十一日です。ええと、函館に十四時二十分に着いた連絡船です」
「そりゃ17便です。あなたが行かれるのでしたら函館に電話をかけて、その便の名簿を出してもらうように言っておきましょうか?」
「そうしていただけばありがたいですね。ぜひ、お願いします」
三原は、今晩の夜行に乗るから、明日の朝早く函館駅に出向く旨の伝言を頼んで公安官室を出た。
夜行は二十二時に出る。それまで八時間の間があった。早く結果が知りたい。一刻も早く名簿を調べたいのだが、彼の前には、乗車前と列車中と都合十六時間の長い時間が意地悪く拒(こば)んでいた。
三原は乗車までの八時間をもてあまし、札幌市内を歩いた。だが、気がかりなことに圧迫され、目は見物のそれになりきれなかった。
ようやく黄昏(たそがれ)が来た。
焦燥と、睡眠の十六時間がようやくに経過した。緩慢な、もどかしい経過であった。
函館駅に着いたのは、六時すぎという早さだった。風が冷たかった。
係員が出てくる二時間あまり、三原はいらいらして時間を消した。
係というのは若い男であった。三原の来意をきくと、
「昨日電話で連絡があったから、えり出しておきました。二十一日の17便ですね」
と、紐でくくった乗船客名簿の束をどさりとおいた。
「二等と三等と分けてあるのですが、どちらですか?」
係員はきいた。
「二等と思いますが、三等かもわかりません」
三原は答えた。三等の方はうんと数が多く、一枚一枚見てゆくには時間がかかりそうであった。
「二等はこれだけです」
それは三十枚にもたりなかった。
三原は、片端からしらべていった。安田辰郎の名があるはずがない、あるわけはない。そう歌うように心でつぶやきながら見てゆくうちに、十二三枚目のところで、おや、と彼の目は一枚の文字の上にとまった。
「石田芳男官吏五十歳東京都──」
石田芳男が××省の××部長であることを三原は知っていた。いや、知りすぎていた。捜査二課が努力を集中している汚職事件の中心地にある問題の部長であった。
(石田部長がこの船で北海道に来ていたのか)
悪い予感のようなものが働いた。
三原は、つぎつぎと慎重にめくった。さらに五枚目ぐらいのあたりで、彼は思わず、叫びを上げるところだった。
あった!
「安田辰郎機械商四十二歳東京都──」
彼は文字に目をむいた。信じられなかった。こんなものがあるはずがない。が、彼の目にそれは冷然と大写しに映っていた。
三原はあえいだ。ふるえる指で鞄の中から丸惣で押収してきた安田の宿泊人名簿を取り出し、横にならべた。二つの筆跡は、三原を嘲笑するようにみごとに一致していた。
やっぱり安田辰郎はこの船に乗っていた!
三原は自分で顔色が蒼くなるのをおぼえた。
この船に乗っていることが証明されている以上、接続の《まりも》に乗車したことも当然に証明されたのだ。安田辰郎の供述には、一分の嘘もなかった。
壁に亀裂を見たと思ったのは幻覚であった。この現実の前に三原は完全に敗北を悟った。彼は名簿をひろげたまま、頭をかかえてしばらく動きえなかった。