その運転手は、亮子を湯河原までの約束で乗せたそうです。ところが、湯河原まで来ると、熱海に行ってくれと命ぜられました。そして、熱海の海風荘という旅館の玄関に着けて亮子を降ろし、帰ってきたといいます。
私は雀躍(こおどり)しました。すぐに熱海に急行し、海風荘を調べたことはいうまでもありません。するとつぎのような事情が分かりました。
亮子は「楓(かえで)」の間(ま)の女客に面会したそうです。この女客というのは、一月十四日の八時半ごろ、一人で来て、五日間滞在していたのです。年齢、人相からみて、お時に間違いありません。宿帳は、むろん偽名です。偽名ですが、なんと、名前が「菅原雪子(すがわらゆきこ)」になっていました。菅原というのは、ほら、佐山も博多の宿の丹波屋で使っていた偽名です。亮子は海風荘の玄関では、菅原さんに会わせてくれと言ったそうです。ここにおいて、はっきり、佐山、お時、亮子の打ち合わせがあったことがわかりました。打ち合わせというよりも、亮子の計画でしょう。二人の女は、部屋で夕食をとり、十時ごろ宿を出ていったそうです。そのとき、お時の滞在の宿料は亮子が払いました(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。
さて、お時が十四日の午後八時半ごろ宿についたことで、《あさかぜ》から下車したことがわかります。《あさかぜ》は熱海着十九時五十八分ですから、まさしく彼女は、佐山と東京からここまで同乗し、途中下車したのです。あなたの推理された「御一人様」は適中したわけです。
つぎに、彼女たちは十九日の午後十時ごろに旅館を出た。これを時刻表で考えると、熱海発二十二時二十五分の博多行急行《筑紫》があります。この列車は、終着駅博多に二十日の十九時四十五分に着くのです。
まさに、ぴたりという感じです。博多の丹波屋にいる佐山のところに、女の声で呼び出しがあったのは、午後八時ごろではありませんか。すなわち、彼女たちは列車から降りると、すぐに佐山を呼び出したのです。
ここまでわかったが、それから先が行きづまりました。佐山を呼び出したのは、お時か亮子か。むろん、はじめはお時とばかり思いこんでいましたが、お時では、どうも辻褄が合わなくなりました。佐山とお時とは、なんでもないのだから、電話で呼び出しても佐山が応じるわけがない。佐山は一週間も、博多でその電話のくるのを、いらいらして待っていたのですから、お時では変です。亮子の方なら可能性があります。
なぜなら、亮子は安田の妻だから「代理」になれます。つまり、佐山は安田が来る(ヽヽ)のを待っていたのです。だから彼は亮子が安田の代理で来た、と言えば、すぐに出かけられるわけです。
亮子は佐山に会うと、彼の一番心配していることを告げました。それが香椎の海岸に連れて行ってからです。どういう口実を言ったか定かでないが、おそらく秘密を要するからと言って、人気(ひとけ)のない場所をえらんだのでしょう。この香椎の海岸も、かねての設計図の中にはいっていました。
佐山が心配したこと、それは進行中の汚職事件の成りゆきでした。佐山は課長補佐として実務に通じており、捜査の手が伸びる寸前でした。佐山に言いふくめて、「休暇」のかたちで博多に逃避させたのは石田部長です。彼こそ汚職の中心人物ですから、佐山が拘引(こういん)されたら危なくなります。それで佐山に因果を含めて博多に逃避(ヽヽ)させたのです。十四日に《あさかぜ》に乗ることまで指示しました。それから何分(なにぶん)のことは、安田が博多に行って言うから、宿で待っていろ、と命じたのです。
佐山は、上司の命令に唯々諾々(いいだくだく)と従ったのでした。彼をわらうことはできません。律義(りちぎ)で目をかけられている上司に、自分の供述で迷惑がおよぶことを恐れただけです。課長補佐には、そういう人が多いのです。自殺した人さえあるくらいです。いや、この自殺の可能性が犯人の狙いでした。
石田部長は、安田が事件のもみ消しをするから様子をみているように、とでも言ったのでしょう。佐山は安田が来るのを今か今かと待っていました。その安田は来ないで、「代理」の亮子が来ました。佐山は安田の家に行ったこともあるので、亮子を知っていたのです。いや下心のある安田は、鎌倉の家に呼んで、亮子を引きあわせていたと思います。
この二人は博多から国鉄香椎で降りました。すぐあとから安田とお時とが西鉄香椎駅で降りて同じ道を海岸に来ていることを知らないで。いや、知らないのは佐山だけで、亮子は万事、知っていました。
亮子は佐山に話しました。万事、都合よく運んでいるからと安心させ、寒いからウィスキーを飲めとすすめました。酒好きの佐山は安心してウィスキーを飲みました。青酸カリがはいっていて、佐山は倒れました。現場に残っていた青酸カリ入りのジュース液の残り瓶は、亮子の偽装でした。
一方、すぐあとから来た安田は──彼は板付到着十九時二十分の日航機で東京から来たばかりで、お時とどこかで会って、いっしょになったのです。落ちあう場所も決められていたでしょう。それは亮子が告げたと思います。その安田は、お時を海岸につれて出ました。途中で、お時は「ずいぶん、寂しいところね」と言い、それを通行人に聞かれています。
その人気のない、寂しい暗い夜の海岸で、安田はお時に同じく毒入りのウィスキーを飲ませたのでしょう。それから彼女の死体を抱いて、息の絶えている佐山の横に置きました。そこには亮子が立っていました。おそらくお時が殺された場所は、佐山の現場と二十メートルとは離れていなかったでしょう。暗い闇だから、お時には何も見えなかったのです。
安田はお時を殺すと、
「おおい、亮子」
と、大きな声で呼んだに違いありません。亮子は、
「はあい、ここよ」
と、闇の中で答えたでしょう。安田はお時の死体を抱いて、佐山の死体のころがっている妻の声のあった方へ歩きました。鬼気迫る光景です。
ここで現場の様子を考えましょう。あの辺は私もあなたのご案内で実地に見ましたが、岩肌だらけの海岸です。少々、重いものを抱いて運んでも、足あとが残りません。犯人にとってはどこまでも計算ずくめです。おそらく、安田は香椎の海岸を前から知っていて、殺人の場所はそこにしようと考えたに違いありません。
情死に見せかけた殺人は、夫婦合作でした。亮子は計画者だけでなく、その実行者の半分でした。お時は安田夫婦の言うとおり、なんの疑いもなく従ったのです。
ここで、奇妙なのは、安田夫婦とお時の関係です。以上でもわかるように、安田とお時とは深い情事関係があることが想像されます。それはきわめて秘密が保たれたから外部にもれませんでした。二人のなれそめは、安田が「小雪」に通っているうちにできたのでしょう。お時は、安田の係女中でした。お時が電話でときどき呼び出されたり、外泊したりした相手は安田です。
だが、亮子の態度は奇怪です。いわば、夫の愛人であり、敵でもあるお時に会ったり、いっしょに汽車に乗ったりして、むつまじいのは、どういうわけか。
私は、ふと亮子が熱海の宿でお時の滞在費を支払った(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)ということで、事情を察しました。亮子は万事を知っているのです。のみならず、お時の月々の手当(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)は、亮子の手からも出ていたのです。亮子が病弱で、夫とは夫婦関係を医者から禁じられていることに思いいたってください。いわばお時は、亮子の公認の二号さんだったのです。歪(ゆが)んだ関係です。われわれには想像もできないが、世間にはよくあるのです。封建時代の昔には当然だったことでしょう。
はじめの計画では、佐山一人を自殺に見せかけるつもりだったと思います。しかし、これはどうも危ない。遺書もないし、自殺は弱い。そこで「情死」を思いたったのです。情死の方がずっと検案もゆるやかで、解剖もありません。捜査も起こりません。きわめて安全性のある殺人です。かわいそうに、お時がその相棒にえらばれました。
安田にとっては、お時にはそれほどの愛情もなく、どっちでもいい存在でした。「生理」のおかわりはいくらでも都合がつきます。亮子は、お時を夫の道具と思って割りきっており、ついでに情死の道具にもしました。やはり意識の底では好感をもっていなかったのでしょう。恐るべき女です。頭脳も冷たく冴えていますが、血も冷たい女です。お時の死体の着物の乱れを直し、用意していた新しい足袋を、死体の土によごれた足袋とはきかえさせたのは、お時が覚悟して死んだという見せかけの操作で、どこまでも周到な注意です。
その晩は、夫婦で博多にとまり、安田は一番の日航機で東京へ、さらに北海道に乗りつぎして行き、亮子は上り列車で鎌倉に帰ったのです。
それから、お時と佐山とが十四日に出発したあと、なぜ安田が六日間も間を置いて福岡に行ったか、という理由ですが、これは安田がすぐ東京を離れては疑われるという用心からです。現に、彼はお時が出発した十四日のあとも二三日つづけて、「小雪」に現われています。そして何食わぬ顔で、「お時が恋人と旅行に出た」という女中たちの話を聞いています。あくまでも、無関係を他人に印象づけたかったのです。だから、お時も、熱海の旅館で五日間足どめされていたわけです。
かくて、親しい石田部長の依頼をうけた安田辰郎は、完全に佐山課長補佐を抹殺し、部長を安泰ならしめました。ひとり石田部長のみでなく、安堵の胸を撫でおろした佐山の上役はずいぶん多いでしょう。同時に機械商安田辰郎は、××省部長に絶大な恩(ヽ)を売りました。
安田と石田部長の結びつきは、外部で想像した以上の深さでした。自己の商売を××省に広げるために、安田は石田部長に必死に食いこんだに違いありません。おそらく供応や金品の贈与もあったでしょう。それは今度の汚職でも、石田の疑惑の濃厚なところから、彼の性格がわかるのです。現在では、まだ、それほど大した納品はなかったのです。それでわれわれは両者の関係を表面だけで見のがしてしまったのですが、安田こそは将来を望んで、持ち前の社交的な魅力で石田に近づいたのです。それは個人的な、ひそかな交際にまで成功しました。安田は、石田部長が発展中の汚職事件で、自分の身辺が危険なため懊悩していることを知り、捜査のもっともキイポイントに立っている佐山課長補佐抹殺の役を引きうけました。いや、それはあんがい、安田から言いだして石田部長を説き伏せたかもしれません。
もっとも、石田部長には、はじめから佐山を殺す(ヽヽ)意志はありませんでした。ただ、できれば自殺に追いやるようにしたかったのでしょう。他の同じ性質の事件の、犠牲者のようにです。
しかし、それは不可能です。そこで安田は自殺に見せかける他殺を考えたのです。自殺は単独よりも、情死する方がよけいにそれらしく見えます。単独自殺なら、もしや他殺ではないかと疑われることもありますが、女と心中したとなると、まず疑われる心配は薄くなります。うまいところに着眼したものです。現に捜査当局がそれでだまされましたから。
まさか佐山を殺すためとは知らない石田部長は、彼を自殺に追いこむ工作とばかりに思いこみ、安田のゴマカシの言いなりに、北海道出張のことや、青函連絡船の乗船客名簿用紙の用意や、旅客機乗客の謀略を遂行したのです。一省の高級官吏ともなれば、出張はいつでも自由なのでしょう。部下の一事務官を抱きこむことも容易です。
その後、「佐山が青酸カリで女と(ヽヽ)自殺した」と知ったときの石田部長は、さすがに顔色が蒼くなったでしょう。はっきり安田が殺(や)ったことをさとったからです。こうなると安田の方が居直って、かえって石田部長に圧力をかけたと思います。石田部長は、ただ、おろおろしていたでしょう。佐々木事務官を、警視庁にやらせて、安田のために北海道行を立証させたのも、安田の指し金だと思います。かえって、それが安田の墓穴の一端(いつたん)になったのですが。
しかし、安田は、佐山を殺す道具に、飽きの来たお時を使いましたが、安田の妻の亮子は、「夫の手伝い」よりも、あんがい、お時を殺すほうに興味があったかもしれません。いくら自分が公認(ヽヽ)した夫の愛人であっても、女の敵意は変わりはありません。いや、肉体的に夫の妻を失格した彼女だからこそ、人一倍の嫉妬を、意識の下にかくしつづけていたのでしょう。その燐(りん)のような青白い炎が、機会をみつけて燃えあがったのです。佐山もさることながら、この事件の犠牲者は、お時です。安田自身も、石田部長に恩を売るために佐山を殺すのが本体か、うるさくなったお時を抹殺するのが本体か、しまいにはわからなくなったでしょう。
以上は、私の推理のしだいと、あとの部分は、安田夫婦の遺書によったものです。
そうでした。安田辰郎と亮子は、私たちが逮捕に行く前に、鎌倉の家で死んでいましたよ、どっちも、青酸カリを飲んで。こんどは、偽装はありませんでした。
安田辰郎は、われわれが追いつめたことを知ったのでした。そして病勢が悪化した妻と自らの生命を断ちました。安田に遺書はなく、亮子だけに遺書がありました。
それによると、罪を意識して死んだとあります。はたしてそうでしょうか。私には、どうもタフな安田辰郎が自殺したとは思えません。死期遠くないことをさとった亮子が、またも何かの詐術をもって、夫を道づれにしたように思えます。亮子という女は、そんな女なのです。
しかし、実のところ、安田夫婦が死んで、ほっとしましたよ。なぜかといって、これには物的証拠がまったくといっていいほどないからです。情況証拠ばかりです。よく逮捕状が取れたと思ったくらいです。公判になったら、どうなるかわからない事件です。
証拠がないといえば、××省の石田部長もそうです。彼はさすがに、汚職問題でその部をやめて他部に移りましたが、なんと移った新しい部が前よりはポストがいいのです。そんなばかなことはないのですが、役所というものはふしぎなところですね。将来、局長になり、次官になり、あるいは代議士ぐらいに打って出るかわかりません。かわいそうなのは、その下で忠勤をはげんで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮(かんぷん)しますからね。「出世」したい気持はかなしいくらいです。そうそう、石田部長のため一役買い、安田辰郎の片棒をかついだ佐々木喜太郎という事務官は、課長になりましたよ。これも、安田夫婦が死んでしまった今は、われわれはなんともできず見送るばかりです。
なんとも後味の悪い事件でした。こうして、今日、家で冷たい井戸冷やしのビールを飲みながら、ほっとした気持でくつろいでいても、犯人を捕えて検事さんに送った他の事件の解決のように、すっきりしないのです。
長い手紙を書きました。さぞ、わずらわしかったと思います。
お招きもありますので、九州には、この秋、女房でも連れて、休暇をもらってゆっくりと遊びにまいります。
時節柄、おからだ御自愛願います。