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倒れていた二人

时间: 2017-12-30    进入日语论坛
核心提示: とある谷間の、細い川にそった道。そのそばに若い男と女が倒れている。あたりには、びんの割れたガラスの破片が散らばっている
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 とある谷間の、細い川にそった道。そのそばに若い男と女が倒れている。あたりには、びんの割れたガラスの破片が散らばっている。これがことのおこりなのだが、それは、さておき……。
 
 昼すぎのひととき、テレビの画面では、なんということもなく番組が進行していた。学識のありげな顔つきをした人物が、もっともらしくしゃべっていた。
「これからは個性の時代です。しかし、個性とはなんでしょう。考えてみると重大な意味を持っています。個性的な生活というものが、新聞や雑誌でさかんに紹介されています。それを読んだ人が、なるほどなあと、その通りにやるとする。しかし、それは人まねであり、個性的な生活とはいえない。というわけでありまして、個性とはなにか。その答えはなにか。すなわちイマジネーション、想像力です。だれにでも、少しずつ性格のちがいがある。そのちがいを、想像力で伸ばす。それが個性的な生き方です。アインシュタインも言っております。想像力は知識よりも重要である、とか。や、他人の言葉を引用するということは、個性や想像力に反するものかもしれませんな……」
 ユーモアのつもりか、苦笑いをしてみせる。あまり変りばえのしないコマーシャルが二つほどつづき、ニュース担当のアナウンサーが画面にあらわれた。まわってきた紙片に目をやり、読みあげる。
「本日はたいした事件もありません。こんなところです。ハイキング・コースとして有名な桜沢の道ばたで、若い男女の心中死体が発見されたことです。目撃者の話によりますと、やすらかな死に顔で、少しはなれて遺書があったそうです。おたがいに愛しあっているのだが、各種の事情でいっしょになれない。この上は天国で結ばれることにします、との内容だったとか。ドライないまの世に珍しいほどの純情さ。この点で、さまざまな話題を呼ぶことになりましょう……」
 視聴者、ふうん、そんなこともあるだろうなと感じるだけ。なにかもっと、面白いことはないものかな。他の局へチャンネルを切りかえてみる。そこでも、たまたまニュースをやっている。アナウンサーが、仕事と割り切った表情と口調でしゃべっている。
「桜の名所としても有名な桜沢で、若い男女の死体がみつかったそうです。遠くから目撃した人の話によりますと、いやがり逃げまどう女性に対し、男がむりやり乱暴をしようとし、争いとなった。男は女の首をしめあげ、女は必死に抵抗し、割れたびんで男を刺した。女をしめ殺したものの、男も出血多量のために死んだとのことです。またも発生した血なまぐさい事件。社会のうれうべき傾向と、人びとの|眉《まゆ》をひそめさせる話題となりましょう……」
 視聴者、ふうん、そんなこともあるだろうさ、とうなずきかけ、ふと気がつく。桜沢というと、どこかで聞いた地名だぞ。いつ、どこで耳にしたのかな。ええと、なんだ、ほんのちょっと前に聞いた地名じゃないか。
 しかし、なんだ、こりゃあ。男女の死体が二組、みつかったということなのだろうか。そうじゃなかろう。ちょっとした見解のちがいにすぎないのだろうな。
 愛しあったあげく、それがこじれ、かわいさあまって憎さ百倍とでもいった心境になっての結果。つまり、けんか心中とでも呼ぶべき新手法かな。そのへんまでは頭に浮かぶが、それ以上の想像をしてみるのは、めんどくさい。だれかが真相を教えてくれるさ。信頼できそうなテレビ局へと、チャンネルを切りかえてみる。
 やはりニュースをやっていた。画面には桜沢の場所を示す地図が出ており、アナウンサーの声が流れていた。
「桜沢の駐在所から所轄警察署へもたらされた報告によりますと、ハイキングをしていた男女ふたりが、なにものかに襲われて殺されたとのことです。犯人らしいのが逃走してゆくのを見たという人があらわれ、警察ではその捜査活動を開始したとのことです。犯人の早期逮捕は、だれもが期待していることでしょう……」
 視聴者、ははあ、なあんだ、やっぱりよくあるたぐいの事件か。まもなく犯人が逮捕されるのだろう。そして自白し、事情がわかる。一件落着という経過か。こういったことに頭をあれこれ使うのは、浪費というものだ。
 それにしても、いくらかは気になるな。ニュースにそれぞれ、ずれがある。早く真相を知りたいものだ。犯人はもうつかまったのだろうか。ラジオをつけてみたくなるというものだ。音楽が流れ、女性歌手が甘ったるい声で歌っていた。その曲が終ると、ディスク・ジョッキーのアナウンサーが言った。
「桜沢ちかくの山に銀行強盗の一団が逃げこみ、警官隊が出動し、山狩りにむかっている。そのような電話が入りました。早くつかまってくれるといいですな。もっとも、つかまらなかったからといって、われわれ預金者が損をするわけじゃなし。なぜ、つかまってほしいなんて思うのでしょう。うまくやったやつへの|嫉《しっ》|妬《と》心かもしれませんな。では、つぎにお送りする曲は〈ジェラシー〉……」
 うむ、銀行強盗がからんでいたというわけか。これは、ちょっとした事件といえるかもしれないな。しかし、さっきのテレビのニュースで言っていた、男女の死者はどうなったのだろう。強盗団の巻きぞえにされたのかな。気の毒に……。
 しかし、あれこれ推測の努力をするより、ダイヤルをべつな局に回したほうがてっとりばやい。その局もディスク・ジョッキーをやっていた。
「桜沢のちかくにお住いのかたから、電話でおしらせがありました。みなさまのさがしたニュースを、新鮮なままただちにおしらせし、ほかのかたがたと電波で親しく結びあわせるのが、この番組の特色。よその局で、このまねをはじめたのは、まことに困った現象ですが……」
 そこで一息ついて言う。
「……さて、桜沢の山のほうに過激な政治的な一団がたてこもり、警官隊と対立している状勢とのことです。火炎びんの破片をたしかに見たとか、興奮した声の電話でした。いずれ、くわしいことがわかりしだい、またおしらせいたしましょう。ぶっそうな世の中ですね。これというのも政治が悪いからです。ところで、顔の色のお悪いかたへの、耳よりなおしらせ。栄養および化粧の二つの作用をそなえたクリームは……」
 過激派の集団が銀行強盗をやったのだろうか。銀行強盗のやりかたが過激な政治的傾向をみせはじめたのだろうか。顔の色の悪さの解決の重点は、栄養にあるのか、化粧法にあるのか。それに匹敵するほどの大問題かもしれないぞ、これは……。
 こんな日の夕刊は、いささか楽しみだ。電波というやつは消えてうやむやになるが、活字となると、そうでまかせな報道はしないはずだ。配達されるのを待ちかね、のぞいてみる。
 わあ、出ている、出ている。わが社のスクープとばかりに、大きく出ている。道ばたに倒れていた若い男女は、近くの民家に収容され、医師の手当ての結果、生命はとりとめるもよう、と書いてある。おいおい、どういうことなんだ。死んだものとばかり思わされていたのに。しかし、新聞報道だから、うそではないのだろうな。
 |昏《こん》|睡《すい》状態で面会禁止となっているが、わが社から急行した記者は、ひそかに近づき、男のほうの声を聞くことができた。「先生、すみません」と、力ない声でつぶやいている。その記者の推測だが、その男の言葉からこんな印象を受けた。政界上層部の裏面にからむ、なにか複雑な事件に巻きこまれたあげく、死の道をたどらざるをえなかったらしい。
 そして、識者とやらの意見が、二つほどのっていた。ひとりは「憂うべきことである。よくあることだ。何回くりかえせば、すっきりするのだ」と言い、もうひとりは「憂うべきことだ。まれにみる大不祥事というべきだ。このさい徹底的に究明して、すっきりさせるべきだ」
 べつな新聞では、それなりのスクープをやっていた。驚くべきことに、若い男女とも生命をとりとめたそうであり、面会禁止の点までは同じだったが、この社から飛んでいった社会部記者は、なんとか女のほうのうめき声を聞くことに成功したという。
 それによると、女は「あんたは、ばかよ」との、うわごとをくりかえしているという。男を批難する感じがこもっている。一部では純愛的な内容の遺書があったように伝えられているが、その現物は確認されていない。しかし、たしかにそれを見たという少女はおり、その言葉にうそはないようだ。それらから推理されることは、三角関係のからんだ、心中をよそおった巧妙な殺人未遂事件ではないかと思われる。記事はそんなふうに結んであった。
 読者としては、そとへ出て、べつな新聞を買って読んでみたくもなる。そして、買えば買ったで、それなりの面白さを味わえた。
 ある新聞には、こんな報道がのっていた。桜沢には昔から、どこかに埋蔵金があるとのいいつたえがある。倒れていた二人は、ある歴史学者にたのまれて調査にやってきたというわけ。そして、ついにその手がかりを発見しての帰途、どうするかについての意見が対立し、争いとなったあげく、二人は倒れて気を失ったようである。
 地図らしき紙片が川に落ちて流れてゆくのを見たという老人は、以上の真相を本社の記者に話してくれた。警官隊があたりを警戒しているのは、その埋蔵金のうわさを聞きつけ、どっと人が押しよせるのを防ぐためのようだ、と。
 興味のある人は早く押しかけろと、そしらぬ顔でそそのかしているような印象を与える記事だった。新聞とは、事件の大きく発展するのが本質的に好きなのだ。多くの読者がそれを望むので、新聞もそれに応じているわけで、どっちのせいかはわからないが……。
 埋蔵金か。うん、そのへんが真相かもしれないな。そううなずく人もいることだろう。倒れていた男のほうは「先生、すみません」とか言ってたそうだ。先生とは政治家のことでなく、歴史学者のことかもしれない。女の「あんたは、ばかよ」との言葉は、金銭への欲望のあらわれかもしれない。争いにもなるだろうな。おれだったら、どうするか。恩師への義理、金銭と女、この二つをくらべた時、どっちを選ぶだろうか。
 そういった平凡な空想はしてみるが、事件についての想像など、だれもやらない。情報とは、だれかが結果を知らせてくれるものなのだ。考える必要などない。ちょっとのあいだ待てばいいだけのこと。
 つぎの日になると、朝のニュースショーは、それをとりあげていた。現地へ行っている中継車からは、各局それぞれ、べつべつな説を伝えていた。
 麻薬密売団がからんでいるにちがいないとの、新説を持ち出したテレビ局もあった。現場に散っていたびんの破片が、なによりの証拠だ。断固たる口調で語っていた。
 すべてに共通していたのは、ヘリコプターからうつした画面だけだった。地上では、そのへんの住民、警官隊、報道関係者、それらが意味ありげに動きまわっている。いったい、本当のところ、なにがおこっているのだろう。
 こんな日には、だれも一瞬、ふと考える。テレビが五台ほどあり、各局の各説をいっぺんに知ることができたらなあと。新聞も六種ぐらい購読しておけばよかったかなと。
 
 一方、世の中には、テレビや新聞など、まるで気にしないで生活している人が、いないこともない。ここにもそのひとりがいた。
 桜沢の少し先に別荘地があり、老科学者がひとり、そこで余生をすごしていた。食事や掃除のたぐいは、近所の農家から中年の婦人がやってきてしてくれる。
 その老科学者、まさに学問の鬼。すなわち世俗的なことに関心がないため、テレビや新聞に目をやろうとしない。定年退職のあと、時間を持てあます形となった。アイデアだって浮かんでもくるわけだ。
 この別荘の一部を実験室に改造し、その思いつきをもとに研究をつづけ、やがて、ある薬品の合成に成功した。
「できた。これでいいはずだ。これこそ、イマジネーション・ガス。これを少しでも吸うと、大脳の細胞に刺激が及ぼされ、当人の想像力を大きくひろげる。つまり、その人の個性的な思考を、ぐんと伸ばすという作用がある……」
 濃縮液化したそれを、びんにつめ、老科学者はうなずく。
「これは人類史上、大変な発明だぞ。いまや情報はコンピューターとマスコミ媒体で、すべて処理できる時代。これからは、個性を伸ばすことが各人の最大の課題だ。個性とひとくちに言うが、これまでは非常な努力をして築きあげなければならないものだった。それがこのイマジネーション・ガスによって、苦労することなく入手が可能となった。人間が画一化し、どんぐりの背くらべといった世の中だったが、これによって、どんぐり相互のあいだの微小なちがいが、ぐっと拡大されるのだ。変化にとんだ人生を、各人がそれなりに持てるようになる……」
 彼はにっこり笑う。
「有効に使えば、新しい文明期の幕あけともなる。夢のような気分だぞ。しかし、ここでは動物実験も、人体への作用の試験もできない。それは、知人の経営している製薬会社にたのむとするか」
 そこへやってきたのが、かつて助手であった青年。ガールフレンドと近くまで来たので、あいさつに寄ったという。老科学者は言った。
「都会へ帰るのだったら、ついでにこのびんを持っていって、わたしの知人にとどけてくれないか。これからどこかへ回るのなら、荷物になるから、たのんでは悪いが」
「先生のおたのみなら、引き受けますよ。それに、どうせ帰り道なのです」
「それはありがたい。では、これはその謝礼だ。とっておいてくれ」
「いいんですか、こんなにいただいて」
「遠慮しないで、とっときなさい」
「いただきます。わかりました。たしかにおとどけいたします」
 青年はガールフレンドと帰っていった。そのあとも、老科学者は満足感にひたりつづけた。ぶじにとどき、有効性がはっきりすれば、わたしも大金持ちになれる。いや、金銭などは問題じゃない。学者としての名声があがるにちがいない。もしかしたら、歴史に名をとどめることになる。
 あの青年、びんを落して割ったりはしないだろうな。多額の謝礼を渡したのだから、気をつけて持っていってくれるとは思うが。しかし万一、途中で割ったりしたら、あの液体はガス状となって発散し、ひとさわぎ発生しかねない。ちょっと、いやな予感がした。
 ところが、その予感が現実のものとなった。青年はびんを落し、液体はガス状となって爆発的にひろがった。ショックで気を失った二人には、脳細胞への刺激もさほど及ばなかった。だが、あたり一帯には、ほどよい濃度でそれがひろがった。
 桜沢は谷間のくぼ地であり、あまり風が吹かない。そのため、ガスはあたりにただよったまま。だから、そこへふみこんで呼吸した者は、たちまち作用を受ける。つまり、ちょっとした見聞をもとに、その人の個性に応じて、想像をどんどんひろげるということになる。
 純愛小説の好きな少女は、その性格によって、倒れている二人を見て美しい死と思いこむ。暴行事件の記事の好きな男は、それにちがいないと、見てきたような錯覚をひろげる。だれかに襲われるのではないかとの不安感を心のすみに持っている者は、倒れている人物を見ると、それが原因にちがいないと信じてしまう。
 警官の出動を見て、銀行強盗を連想する人と、過激団体を連想する人と、いろいろある。その性格のちがいは拡大され、話の差も大きくなってゆく。新聞記者やテレビ局のレポーターにだって、政界裏側趣味、三角関係傷害趣味、埋蔵金趣味、麻薬団趣味、いろいろ各人の好みがあるはずだ……。
 
 取材のため現地にかけつけた社会評論家は、深呼吸したあと、あたりの各人各説を見聞し、すぐに結論を出した。電話をかけ、週刊誌へと意見を伝える。
「真相はぴんときました。来る前から、そうじゃないかと考えていた通りです。これはまさしく、マスコミの陰謀です。どれもこれも大差ない記事なら、新聞は一紙だけとればいい。しかし、それでは部数がのびず、利益があがらない……」
「なるほど」
「いいですか。この販売競争が限界に達したわけです。そこで、ついに共同してこの予想外の事件を作りあげたのです。だから、この事件発生以来、各紙の売行きはそれぞれ伸びているはずです。どの社も損をすることなしにね。テレビ関係も加わっているかもしれない。ガチャガチャとチャンネルを切りかえるため、視聴率も高まっているはずです。わたしは、この張本人を必ずつきとめてみせます」
 出版社系のその週刊誌は、緊急特報と称し、すぐに記事をのせた。これまた売れに売れた。その週刊誌だけはマスコミの分類に属さないようなふりをして。
 なにごとも革命と結びつけなければ気のすまない若い学者は、これまた興奮して意見を送っていた。
「いよいよ革命です。この地点に革命の火がともった。この桜沢という地名は、歴史の上に大きく記録されるにちがいない。警官隊のものものしさを見たとたん、わたしはそれを直感した。警官たちの表情には、おびえたものが感じられる。これは事態が、権力ではすでに止めようもない勢いに至っているからです。自由と解放を求めるこの力は、ここを中心に、とめどなくひろがるにちがいない」
 電話の相手は聞きかえしている。
「もっと具体的に、冷静におっしゃってくれませんか。なにへの自由、なにからの解放を求めているのですか。現地の、そのへんの事情を知らせて下さい」
「なんたる質問。冷静でいられる場合じゃない。これは革命なのですぞ。世の中には解放感があまりに多すぎ、ぬるま湯にひたっているようなものです。それから脱出して自由になりたいとの心からの欲求ですよ。おわかりでしょう。また、ですよ。自由が多すぎることでの、なにをしたらいいのか目標のわからぬ不安とあせり、それからの解放を求める叫びですよ。わたしには|肌《はだ》でそれがわかります。うそだと思うのなら、来てごらんなさい。わたしはこれから、山へ入り、指導者を激励してきます」
 聞いているほうは、なにがなんだかさっぱりわからないが、真剣な声に接しているうち、そうかなと思えてくる。
 防衛関係の役所の一人は、そこへやってきて、つねづね思っていた不安をかきたてられ、それが現実化したのではとの錯覚におちいる。本部への報告を送る。
「ただならぬ状勢です。奇襲にちがいない。どこかの国の|落《らつ》|下《か》|傘《さん》部隊の一団が降下したようです。わたしは以前から、わが国のレーダー部門の研究のおくれを気にしていました。どこかでレーダー網にかからない技術を開発するかもしれないから、その対策を考えておくべきだと。それにちがいない。敵の一団はどんな武器を持っているか、予想もつかない。この周辺に包囲態勢をととのえるべきでしょう。一刻も早く」
 べつな一人は、本部へこう報告する。
「外敵の侵入なんかじゃありません。これは重大な陰謀に関連した計画の一端のようです。このあいだから気になっていた。このへんに防衛態勢を集中させておき、そのすきに首都でクーデターを発生させようという計画の可能性です。いや、可能性なんてものではなく、現実ですよ。そもそも、敵兵らしき姿をみとめられないのですから」
 報告を受けた本部は判断に迷い、さらに調査のために人員を派遣する。やってきた人物は、その人の個性を最大限に発揮した報告をやってのけることになる。
 防衛関係者ばかりでなく、どの報道機関も、現地へ行かずに報告だけ聞かされている本社の者は、みな当惑していた。なにが起っているのだ。集めた限りの資料をコンピューターに入れたが、なんの解答もでてこなかった。しかし、報道しないわけにもいかない。
 一種の集団ヒステリーとして片づけるべきではなかろうかとの、名案を出した者があった。混乱しかけた大衆を落ち着かせるには、それに限る。そのつじつまをあわせるよう言いふくめられた専門の学者は、苦労した。
 みなが同一の幻覚を抱いたのなら、集団ヒステリーと呼ぶこともできる。しかし、各人がさまざまな錯覚でさわぐとは、どういうことか。そのあげく、多極分散型の、新種の集団ヒステリーとの命名をした。そして、原因は一種の公害であろうと仮定した。新しい公害としておけば、説明はひとまず先へとひきのばせる。
 そして、現地へやってきて報告する。
「まさしく公害です。これまでの公害の例とまったく同じ。わけのわからないうちに現象がおこり、ぐずぐずして対策をおこたっているうちに、さわぎが大きくなる。公害の公式どおりです。一刻も早く対策を……」
 それは当然。公害だと思いこんでやってくれば、その想像力は大きく強力になり、すべてがそのように思えてしまうのだ。
 この桜沢の一帯は、個性発揮の場と化していた。いつもならちょっとした性格のちがいにすぎないのだが、ここに来ると、ちょっとしたという程度のちがいではなくなってくる。
 数日後の夜、空に大きな流れ星があった。だれかが叫ぶ。
「円盤だ。ついに宇宙人の増強部隊が到着しはじめた。地球の危機だ。あ、あそこに一人いる。ほら、緑色のやつが動いている」
 たまたま、そばに宇宙小説を読みすぎた警官がいて、それに共鳴し、拳銃を発射した。容疑者を簡単に殺してはいけないと教えられてはいたが、宇宙人の来襲となると話はべつなのだ。弾丸は命中し、草が倒れた。警官は叫ぶ。
「やった。宇宙人をやっつけたぞ」
 同じ宇宙小説の読みすぎでも、べつな好みで読んでいる者だってある。
「宇宙人を殺すなんて、なんてことだ。友好的な目的で訪れてきた相手なのに。とんでもないことになった。人類は野蛮な生物であるとみとめられ、滅亡させられるかもしれない。ああ、すべて終りだ」
 と、ふるえあがり、泣き叫ぶ。
 その銃声は、べつな警官の一団の耳へもとどいた。その指揮者は、相手はギャング団の一味と思いこんでいる男だった。一味はついに、やぶれかぶれの抵抗をはじめたらしいと判断する。照明灯がつけられ、拡声機から声が流れる。
「むだな抵抗はやめろ。完全に包囲した。武器を捨てて出てこい」
 安物の拡声機であり、遠くにいる者には、なにが叫ばれているのかわからなかった。革命マニアはそれを自分なりに判断し、絶叫した。
「ばんざい。ついに革命は現実となった」
 そばにいた、耳の遠い老人が言う。
「そうですか。ついに神が現実となりましたか。あの光を見ていると、なんとなく神々しい気分になります。ありがたいことです。長生きしたかいがありました。これで死ななくてすむか、この世が天国になるか、どちらかでしょう。いずれにせよ、同じことです」
 うれしそうにひれ伏す。しかし、そばでとがめるやつがあらわれる。
「天国とはなんだ。神なんて、あるわけがない。おれは仏教の信者だ。|阿《あ》|弥《み》|陀《だ》さまといえ。あのお声は、阿弥陀さまにちがいない」
「なにいってんです。阿弥陀さまのあらわれるわけがない。地蔵|菩《ぼ》|薩《さつ》ですよ」
「よっ、待ってました。この仲裁はわたしにやらせて下さい。つまらない論争はおやめなさい。宗論はどちら負けても|釈《しゃ》|迦《か》の恥といいますよ……」
 と口を出したのは、落語の好きなやつ。そばで、釈迦をシャケと聞いたやつがある。
「シャケですって。やっぱりそうですか。わたしはシャケの群れが川をさかのぼるのを見たいと、前から思っていました。どうしてこの川にのぼってこないのか、ふしぎでならなかった。ついに現実となりましたか。そういえば、下流からそれらしきもののさかのぼって来るけはいがする」
「シャケのさかのぼる川には、クマが出るはずです。出なければならないのだ。あ、あの林のくらやみでなにかが動いた。わあ、クマだ。クマが出た」
「ウマが出たから、どうだっていうんです。わたしは競馬ファン。ウマは大好きです。安心なさい。ウマは人を食べたりはしません。ウマはウマです」
「うまい食べ物があるんですか。ひと口くれとは言いませんよ。わたしは料理の研究家です。教えてもらうだけでいいんです。これまでにわたしの感心した味は、カエルをすりつぶして浮かせた、フランス風のコンソメあたりですな……」
「カエルですって。どこに出たんです。このところ、気象のぐあいがおかしいと気になってました。カエルの異常な大発生ということは、たしかにあります」
 なにか言葉の断片を耳にすると、それをもとに、各人の個性にもとづく想像がひろがり、そんな錯覚にとらわれるのだ。そして、それは伝染する。
「大量のカエルが出れば、それにともなってヘビも大発生するはずだ。これこそ、生態学の原理。早く対策を……」
「それなら、つぎはナメクジの大発生となるわけでしょう」
 ヘビとかナメクジとかの襲来のうわさがひろまり、あたりで女性たちの悲鳴があがる。こんなのは、その一端にすぎない。各所ではなにかしら、この種のたぐいの混乱が発生し、そのつじつまをあわせようとし、新説が出たり、論争となったりし、どうにもつじつまがあわせられなくて絶望的に叫んだり、その絶望の叫び声から世の終りを連想しておびえたり……。
 このままだとどこまで発展するのか見当もつかなかった大混乱も、やがておさまっていった。ガスがうすれ、人体に作用しない濃度に下ってしまったからだ。だれも、とりついていたキツネが落ちたような気分となり、気の抜けた表情で散っていった。
 最初に倒れていた若い男女は、ショックのためか、高濃度のガスの副作用のためかもしれないが、その前後の記憶をほとんど失っていた。老科学者からびんをあずけられたことも。
 
 その一週間ほどあと、別荘の老科学者は新聞をのぞいた。新聞なんてものは、一週間ずつまとめ、さっと目を通せばすむという主張と習慣の主。それだけ、研究に頭と時間とがさけるというものだ。
 そして、事件の報道を知った。
「や、あいつ、びんを落して割ったとみえる。それでこうなったというわけか。なるほど大混乱になったようだな。しかし、桜沢のへんに集った人たち、内心にさほど凶暴性がなかったためか、べつに死者も出なかったようだな。それにしても、めちゃくちゃな混乱だな。無秩序もいいところだ。個性と想像力をいっせいに高めると、こんなふうになるわけか。考えるべき点だな。さて、わたしの研究のすべてを燃やして消滅させてしまうべきか。それとも、もっと大量に作って大都会にばらまいてみるとするかな……」
 彼は腕組みし、長いあいだ考え、やがてうなずいた。そして、自分の判断の実行にとりかかった。
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