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重なった情景

时间: 2017-12-30    进入日语论坛
核心提示: 夢というものは、見るのが当然なのだそうだ。それが正常。夢も見ないでぐっすり眠ったという人も、めざめた時に忘れているだけ
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 夢というものは、見るのが当然なのだそうだ。それが正常。夢も見ないでぐっすり眠ったという人も、めざめた時に忘れているだけで、やはり見ているのだという。
 もっとも、眠れればのことだが……。
 その青年は、その夜、なぜか寝つきが悪かった。ベッドの上で何度も寝がえりをくりかえすが、いっこうに眠くならない。なぜだろう。あれこれ考えてみるが、これといって原因が思い当らない。彼は独身の、平凡な会社員だった。健康も、まあまあ。
 なにか会社で失敗をやっただろうか。きょう一日をふりかえってみたが、べつになかった。眠れないのにまかせて、ここ一週間を反省してみたが、文書に誤字を書き、それを注意されたぐらいだけだった。
 自分はなにか不快な心境にあるのだろうか。しかし、それもなかった。新聞にはいろいろな事件がのっている。これは許せない、さあ腹を立てろという調子の文章だが、それは毎度のことで、なれっこになっている。また事実、このところさして刺激的な事件はなかった。不快さはない。
 健康上で気になることもない。老後の設計の心配など、まだ先の先の話だ。独身であることの欲求不満か。そうでもなかった。青年はバーの女性たちと、適当に交際していた。
 なにもなしだ。となると、気候のせいかもしれなかった。夕方ごろから、急に暑くなりはじめた。といって、冷房を入れるほどでもない。中途はんぱな暑苦しさ。彼は毛布をかけたり、はずしたりした。
 むりに眠ろうとするからいけないんだ。そう考えてもみた。あす、特に重要な仕事があるわけでもない。たまには遅刻したって、どうということもない。それでいいんだ……。
 気は楽になったが、眠くならない点は、さっきと変りなかった。青年はベッドからおり、ウイスキーを水で割って飲んでみた。酔ってくる。ねそべったまま、雑誌を読む。そのうち酔いがさめてしまった。
「ああ、あ……」
 むりにあくびをしてみる。しかし、ねむけを呼び寄せる役には立たなかった。なんだかんだで、やがて夜があけてしまう。しかし、睡眠不足の疲労感という気分はなかった。
「変な気分だが、出勤するか……」
 欠勤する理由はなにもなかった。青年は朝食をとり、ひげをそり、出社した。仕事をしながら、となりの同僚に言う。
「きのうは眠れなくてね」
「きみもか。じつは、ぼくもだ」
「すると、やはり気候のせいのようだな」
 青年はほっとした。仲間がいたとなると、気が落ちつく。どうやら、ほかにも不眠だった人が何人もいるようだった。それでいて、勤務中にいねむりをする者もなかった。青年もまた同様だった。どういうわけか、いっこうに眠くない。
 帰途、バーへ寄り、昨夜の不眠を話題にしながら酒をいくらか飲み、青年は帰宅した。きのうはまるで眠っていない。きっと今夜は、ぐっすり眠れるだろう。彼はそう高級でないアパートの一室に帰りつく。着がえて、ベッドに入る。
 しかし、またも昨夜と同様だった。眠りの精に見はなされたかのように、あくびすら出ない。いったい、これはどういうことなのだろう。考えてもわからなかった。そんなことを考えるからいけないんだ。そこで、考えるのをやめてみる。目をつぶって、ぼんやりとしている。しかし、やはり眠くならないのだった。
 目をつぶっているのが、無意味に思えてくる。なにげなく目をあけてみると……。
 
 ひとりの若い女が、そばに立っていた。それがだれかは、すぐにわかった。彼のよく行くバーの、ちょっとした美人。時どきくどいてみるが、いい反応はなく、そのため青年はかえって気をひかれていた。
「なんだ、きみか。来てくれたのか……」
 思わず声をあげ、青年は自分の目を疑った。信じられない。まさかという思い。しかし、自分の日ごろの慕情が相手に伝わり、こうなったのだろうと、なっとくした。うぬぼれは男性に特有の現象。
 しかし、女はなにも答えない。答えなくったっていいさ。ここに、こうして来てくれたことが、なによりの答えだ。青年は女の手をにぎり、引き寄せようとした。
 それがうまく行かなかった。青年はベッドからおり、だきしめようとした。これなら、やりそこなうことなどない。
 しかし、やはりだめだった。まるで手ごたえがない。空気をつかまえようとするのと同じだった。
「こりゃあ、どういうことなんだ。不眠つづきによる幻覚なのかな。それにしても、いやにはっきりしている」
 眺めなおしたが、たしかに鮮明だった。うすぐらい場所にぼんやり出現する幽霊とちがって、細部まではっきりしている。むこう側がすけて見えるなどということもない。手を伸ばすと、なんの抵抗もなく突きささり、入った部分は見えなくなってしまう。
 その幻の女は、意味ありげに声を出さず笑っていた。青年は腕組みし、あらためて眺める。見ているうちに、幻ということを忘れ、だきつきたくなる。そして、飛びつき、実在でないことを知るのだった。
「気体でできた、色つきの精巧な人形といった感じだな。いらいらさせられ、むなしくなる。しかし、面白いところもある」
 何回か飛びついたあと、青年はつぶやいた。どうやら今夜も眠れそうにない。いいおもちゃができたというものだ。ひまつぶしに悪くない。
 その時、となりの部屋から、女の悲鳴がした。緊迫した恐怖がこもっている。
「助けて。出てってよ……」
 とも叫んでいる。隣室の住人は、女子大生。勉強好きで、そう美人ではない。青年の関心外の存在だった。しかし、ただならぬ叫びとなると、ほってもおけない。青年は廊下へ出て、隣室へ飛びこんだ。
「どうしました」
 と聞きながら見まわすと、六十歳ぐらいの男がいた。しかし、どう見ても凶悪そうな点はない。ぶっそうなものも持っていない。いやらしい侵入者という感じもない。
「そ、そこに……」
 女子大生は男を指さし、青ざめ、ふるえている。
「この、見知らぬ男が、勝手に入ってきたというのですか」
「知らない人というわけじゃないんですけど……」
「すると、だれなんです」
「あたしの父よ」
「ばかばかしい。父親に訪問されて悲鳴をあげるなんて、ひとさわがせだ。親子の断絶というわけですか。しかし、それにしても大げさな」
「断絶なんてこと、ありません。いい父なんです。でも、でも……」
「思わせぶりだな。早く説明して下さい」
「あたしの父は、二年前に、病気で死んでしまったのです」
「なんですって。そうでしたか。なるほど、そうなるとこれは異常ですな……」
 青年はまたも腕組みし、もっともらしい表情をした。ここにも鮮明な幻が出現したというわけか。しかし、内心はさほど驚いていなかった。ふりむくと、幻の女がくっついてきていた。それを指さして言う。
「誤解しないで下さい。ぼくが連れ込んだのではありません。勝手に出現したのです。ここにおいでの、あなたのおとうさんと、同じたぐいのようですよ」
 指をさらに伸ばし、幻の女の姿のなかにそれを埋没させ、虚像であることを示してみせた。女子大生は、ふしぎがりながらも少し安心した。
「あたしのとこだけじゃ、なかったのね。だけど、どういう現象なのかしら、これ」
「それは、ぼくだって知りたい点です」
 あけたままになっているドアのそとの廊下を、人間の大きさほどの怪獣が歩いていった。見えたような気がしただけかもしれない。しかし、こうなってくると、いちいち驚いてはいられない。女子大生は、反射的にテレビのスイッチを入れていた。現代人の習慣。しかし、チャンネルをひと回ししてみたが、なんの映像も出なかった。深夜のせいだろう。
「ぼくの部屋に、ラジオがあります。それを聞きに来ますか」
「ええ……」
 女子大生がついてきた。すなわち、青年のほかに、女子大生、その亡父、幻のバーの女の四人が集まったことになる。ラジオからは声が出た。若い男が早口にしゃべっている。
〈……しばらく放送が中断し、ご迷惑をかけてしまいました。局のなかで、なにか混乱がおこり、電波がとぎれたのです。なにか変なやつがあらわれたとかで……〉
 青年はうなずく。声はつづいた。
〈……あなた、だれ。さむらい姿をした人。|由比正雪《ゆいしょうせつ》スタイルなんかで。困りますよ。ここへ入ってきちゃあ。仕方ない。いてもいいけど、静かにしてて下さいよ……〉
 青年は女子大生に話しかける。
「各所に出現しているようですね」
「ここだけじゃない。安心したものか、大事件というべきか、あたしにはわかんなくなっちゃったわ」
 ラジオの声はしゃべっている。
〈……とにかく、番組をつづけましょう。さて、例によって、電話による身上相談の受付けです。お申し込みのなかからえらび、ハガキでここの番号をお知らせしてありますね。そのかたは、順番にどうぞ……〉
 ラジオのなかで電話がなり、女の子の声がした。
〈あたし、本当はね、にきびの治療法を質問するつもりだったんですけど、べつなことにします。変なことがおこったの。あたし、中学三年生。高校入試のため勉強してたんですが、さっき気がつくと、そばにいるんです。だれだと思いますか。その高校の制服を着た、あたし自身なんです……〉
 それにはアナウンサーも弱っていた。
〈勉強のしすぎで、頭が疲れたのじゃないでしょうか。ドッペルゲンガーとかいって、自分の幻影を見る例はあるようですが、あなたの場合、合格したいとの願望が強すぎるかして……〉
 適当にごまかす以外になかった。しかし、つぎの質問者も同様だった。
〈ぼくは高校生です。予定した質問を変えさせていただきます。歌手の、みどり礼子って、いるでしょう。ぼく大好きなんです。それがですよ。さっき、不意にやってきたんです。なぜでしょう。どうしましょう〉
 アナウンサーも、しだいにことの重大さに気づいた。
〈理由はともかく、けっこうなことじゃありませんか。好きなようになさったら。しかし、どうやら、これはただごとでない。異変が発生しはじめたようです。電話の相談は、中止です。心理学の専門家に、電話をしてみましょう。まったく、わけがわからない……〉
 呼出し音となり、やがて相手が出た。アナウンサーが聞く。
〈先生でいらっしゃいますね。こちらはラジオの深夜番組です。おやすみのところを、申しわけありませんが……〉
〈やすめればいいんだが、なぜか、ずっと眠れないんだ。しかし、いま来客中でね、変な来客が……〉
〈どなたがいらっしゃるのですか〉
〈ヒットラーなんだ〉
〈先生、しっかりなさって下さい。ヒットラーが訪問してくるわけなんか、ないじゃありませんか。心理学の分野がご専門なんでしょう〉
〈そうだ。とくに独裁者の心理を専攻している。そこへの出現。どう見てもヒットラーだ。こんないいチャンスはない。そう思って質問しているのだが、ちっとも答えてくれない。残念でならん。しかし、言われてみると、ヒットラーが来るわけなどないな。といって、自己診断しても、狂っているような気分はない。ふしぎなことだ〉
〈先生のところだけではないんですよ。各所に、いろいろなのが出現している。鮮明な幻影といったものです。わたしのそばには、由比正雪がいるんです。最初は、だれかがふざけて入ってきたのかと思った。あっちへ行ってろと、メモ用紙を丸めてぶつけたら、からだを突き抜けた……〉
 アナウンサーに言われ、心理学者もそれをやってみたらしかった。
〈なるほど、たしかに幻影だ。こんなのがほうぼうに出ているというわけか。少し気が楽になったよ〉
〈安心もいいけど、この現象の解説をお聞かせ下さい。みな知りたがっています〉
〈そう急に言われても困るが、あるいは、立体テレビの試験放送がなされているのかもしれない。たしかに立体的な映像だ〉
〈そんなことはないでしょう。第一、受信機がないのに。現在のエレクトロニクスの段階では、試験放送なんか、とても……〉
〈となると、宇宙人が円盤から……〉
 心理学者は、専門以外のことに関する無知をさらけだした。脱線しかけるのを、アナウンサーのほうがなんとか引きとめ、会話はしだいに軌道に乗ってきた。学者は言う。
〈……きのうの夜から、多くの人がずっと眠れなくなっている。それに関連があるようだ。現代の不安が高まったせいか、平穏がつづきすぎたせいか、不眠の原因については、調査の上でないとなんともいえない。しかし、眠れないでいるのは現実だ。それにもとづいての仮定だが、ここのヒットラー、そちらの由比正雪、これらはすべて夢だ〉
〈夢ですって。目ざめているのに、なぜ夢があらわれるのです〉
〈夢は人間の生存に必要なものなのだ。毎晩、だれもが見ている。夢を見なかったと言う人も、目ざめた時に忘れているだけのことで、かならず見ている。つまり、正常な人にとって、夢は見なければならぬものなのだ〉
〈その学説は、なにかで読みました〉
〈見たい見たくないにかかわらず、夢は必需品。われわれは夢を見なくてはならないのだ。そのため、夢のほうから出現してきた〉
〈しかし、この夢は第三者にも見えるらしいのですが、それはなぜでしょう〉
〈不眠のあげくという前例がないので、断定はできませんがね。本来なら夢は、頭の内部で見るものだ。しかし、眠っていないので、それが不可能。形容すれば、レンズのような作用でというべきでしょう。体外に投影された形となってしまった。現実に第三者に見えているとすれば、そうとしか考えられん。解説とは、そういうものなのだ〉
〈なんとなく、わかったような……〉
〈どなたか、ほかの人にも聞いてみて下さい。あ、来客があった。本物だ。新聞記者の名刺を出した。意見を聞きに来たらしい。深刻そうな顔をしているぞ。や、すごい夢を連れてきたぞ。ビキニスタイルのグラマー美女だ。うらやましい。わたしのヒットラーより、ずっといいぞ。そういうわけで……〉
〈あ、もうひとつの質問。この変な現象は、いつ終るのでしょう〉
〈さっきの私の解説が正しければ、不眠の流行がおさまれば、夢はまた睡眠中の世界に戻り、外部からは消えるでしょう〉
〈いろいろと貴重なご意見、ありがとうございました……〉
 心理学者との電話アンケートは終った。アナウンサーはほかの学者にも電話で質問したが、いずれもこんな仮説におちつくのだった。
 
 青年は女子大生に言う。
「なんとなく、わかったような気分にさせられたな。電波|媒《ばい》|体《たい》と解説の力は、偉大なものですね。まだ、こわい気分ですか」
「夢とわかれば、安心ですね。父の姿を眺め、なつかしい気分にひたることにしますわ。あなたは、そのかたとなにをなさるの」
「なにもできませんよ。どうしようもない。やはり見てるだけです。しかし、もし今夜も眠れないとすると、朝の通勤はすごい光景になるだろうな」
「あら、あしたは休日でしょう」
「そうだった。夢の出現さわぎで、すっかり忘れていた。すると、テレビの前で一日をすごすことになりそうですな」
「じゃあ、あたし自分の部屋に帰るわ」
 と言う女子大生を、青年は引きとめなかった。亡父の幻影をともなった女性では、からかってもつまらない。
「おやすみなさい」
「眠れればね……」
 ひとりになり、青年はベッドの上に横になった。しかし、やはりいっこうに眠くならない。目をとじても、夢のことが気になる。で、目をあけると、そこに夢の女がいる。つい眺めてしまう。飛びついてもみたくなる。
 夢の出現のために、ますます眠れなくなってしまうのだった。だれでもそうだろう。
 テレビの朝のニュースはみものだった。どこの局も、まっさきにこれをとりあげた。
〈昨夜から、夢が出現するという、奇妙な現象が発生しています。それについての学者の説明は……〉
 各種の説が紹介されたが、夢の出現はみとめざるをえず、ラジオで話した学者の解説と大同小異だった。くれぐれも交通事故に気をつけましょうと、アナウンサーは深刻そうに言った。事実、深刻な立場にあったのだ。そばには、大きなヘビがとぐろを巻いていて、時どき首をもたげた。
 個人的なことをしゃべるのは職務上ゆるされないのだが、アナウンサーはふれないわけにいかなかった。
〈このヘビを気になさらないで下さい。これは、わたしの夢なのですから。ヘビがきらいで、時たまヘビにおそわれる悪夢を見るのです。どうやら、それが出現してしまったようです〉
 テレビの画面を見て、青年はうなずく。自分のそばに悪夢が出現しないでくれて、本当にありがたかったと。悪夢に出られたら、ねむけなど遠ざかる一方だろう。
 ほかの局にチャンネルを回すと、子供むけのショーをやっていた。なまの番組と、すぐわかった。それぞれ夢をひきつれている。
 ぬいぐるみのクマ、フランス人形など、子供らしい、たわいない夢が多かった。なかには口を大きく開いたオオカミもいた。それは悪夢なのかもしれなかったが、その持主の子供は、あまりこわがっていない。子供は事態にすぐ順応してしまうのだろうか。あるいは、無害と知って、なれてしまったのか。
 ロボットもいたし、怪獣もいたし、マントをひるがえした正義の味方もいた。空想好きな子供なのか、頭から|触角《しょっかく》の出た、大きな目をした緑色のやつを連れているのもあった。たぶん宇宙人なのだろう。
 どれも、ほどよい大きさだった。夢の大きさとは、そういうものらしい。
 時どき、画面にちらちらと、海水着姿の悩ましげな美女がうつる。場ちがいな印象だが、カメラを操作している若者の夢が入ってしまうためだろう。
 べつな局では、討論会をやっていた。特別番組、この事態にいかに対処すべきか論じあっていた。司会者がしゃべっている。
〈まず、最も重要な点はなんでしょう〉
 その司会者のそばには、モナリザがいて、なぞの微笑をうかべていた。美術愛好家なのだろう。
〈この現実を直視しなければいけません。一に共存、二に共存です。夢との共存になれて、日常生活をスムースにすることが第一でしょう〉
 その発言者のそばには、料理の山があった。幼時に空腹を体験した人なのか、食道楽の人なのか、料理が夢なのだった。
〈そもそも、政府がいけないのだ。政治の貧困、公害の拡大、物価の上昇、それらがこれを発生させた。ただちに手を打つべきだ〉
 この発言者のそばには、大きな金庫があった。大臣らしいのが応じていた。
〈政府を攻撃されても困ります。事態を検討し、善処するつもりでおりますが、さし当っては事故の防止に力をそそぎたい。なにかいい案があったら、お教えいただきたい。あなたの、その金庫のなかに、名案が入っているのではありませんか。それとも、なかは大金ですか〉
〈わたしの夢を、とやかく言わないで下さい。あけようにも、あけられないのですから。夢はプライバシーの問題だ。だいたい、あなたのそばの、白い煙みたいなのはなんだ。ごまかしつづけの政治家だから、雲のような夢になるんだ〉
〈いや、これはワタです。うまれた家が、ワタの問屋だった。その倉庫で遊んだ、幼時の思い出が夢となって出ているのです〉
 司会者がそれを制した。
〈まあまあ、そういう議論は、いずれのちほどに。べつな発言をうかがいましょう〉
 中年の女性が、それに応じた。彼女のそばには、仏さまがくっついていた。信心ぶかい人なのだろう。
〈夢は当人の自由だといっても、困ったことですわ。若い男のそばには、はだもあらわな女性がくっついている。少年の教育上、よくありません〉
〈しかし、やがてなれるのでは……〉
〈そうかもしれませんが、やはり感心しません。それより重要なことは、存在とはなにかの問題です。これからは、目に見えるもの、かならずしも実在とはいえなくなる。さわれなくてはならない。となると、太陽や星はどうなります。その実在を、どう教えたらいいかという……〉
 科学者が言った。
〈いずれ、この異変も終りましょう。そうなれば、すべてもとに戻るわけです。それまでの一時的なものと考えれば……〉
 そのそばには、アインシュタインがいた。悪くない夢だが、そっちのほうが目立ってしまい、当人はなんとなくたよりない。
 どのテレビ局も大差なかった。結局、早く事態になれよ、事故に注意でしめくくる。そんなことで一日がすぎた。夜はやはり眠れなかった。
 
 つぎの日の出勤はすごかった。ラッシュアワーは、みなが夢をともなっているので、倍の密度となる。手ごたえがないのだから、容積としては同じだが、そのバラエティの点で、まさに壮観だった。
 腰に刀を一本ぶちこんだ、渡世人スタイルの夢を連れているやつがある。鮮明だから、へたに近づくと、ぐさりとやられそうな気分にもなる。電車内で押され、ぶつかってみて、やっと他人の夢と知って安心するわけだ。
 有名な歌手、みどり礼子が、あっちにもこっちにもいた。いまや文字どおり、彼女は身近な存在だった。
 ガイコツを連れている者もあった。
「わたしは医学者です。すみません。人骨の研究をしているのです。安心して下さい。これは昔から夢に見つづけの、|北京《ペキン》|原《げん》|人《じん》の全身です。シナントロプス・ペキネンシス。すばらしいでしょう」
 と、しきりに弁解し、説明していた。
 両手のあるミロのビーナスを連れているのもある。新しい画風なのか、目や鼻が変なところにくっついた人物の立体的になったのは、眺めていて気持ちが悪い。
 聖徳太子もいるし、福の神もいた。もっと現実的に、札束の山を夢として連れているのもあった。乗客たちは、思わず手をのばし、つかめないとわかって、顔を赤くする。
 はだかの女もいるし、フランケンシュタインの怪物もいる。ナポレオンもいるし、自由の女神もいるし、大きなウサギもいる。
 この上ない壮観だった。いかに大金をかけても、こんな特撮映画は作れないだろう。それがいま無料で見物できるのだ。
「すりだ……」
 だれかが叫んだ。すりにとって絶好のかせぎ場にちがいない。みなはそばの警官のほうを見る。しかし、その警官は夢で、つぎの駅でおりてしまった。どうやら、警官の夢の持主が、すりだったらしい。発覚を気にしつづけ、警官の夢を見るようになったのだろう。
 こんなありさまだから、肉体的より精神的な疲労のほうがひどい。会社についた青年は、ぐったり。しかし、そのくせ眠くならないのだった。
 会社内もまた雑然。過去から現在までの人物のロウ人形館ともいえる。動物園ともいえた。受付けの女の子は、パンダの夢をそばにおいていた。彼女は来客を見て、とまどっていた。親会社の社長が、秘書を連れてやってきたからだ。しかし、秘書が社長の夢を連れてきたのかもしれないのだ。
 金のなる木をも含めた植物園でもあり、美術館でもあり、古道具屋でもあった。重役の椅子だの、ハシゴだの、電話機だの、機関銃だの、千両箱だの、なにからなにまで、そのへんにある。人びとの夢は、さまざまだ。
「とても仕事にならんな」
 青年が同僚に言った。
「まったくだ。何百種もの映画フィルムを、不統一につぎあわせ、見させられているようなものだからな。神経が疲れるよ。当分は見物だな。それにしても、これだけ疲れながら、なぜ眠くならないのだろう」
 そのうち、だれかが言った。
「おい、見ろよ。眠ってるやつがいる」
 みな、うらやましそうに見た。床の上でひとりの美男が眠っている。しかし、顔をのぞくと、有名なタレント。女性社員の夢の人物だった。
「本人が眠れず、夢のなかの人物が眠るとは……」
 それがきっかけとなり、夢たちはつぎつぎに眠りはじめた。パンダも、福の神も、吸血鬼も、眠れる森の美女も、重役の椅子も、ギターも、殿さまも、なにもかも眠りについた。
 あたりの光景が、いくらかおだやかになる。しかし、だれも仕事をする気にならない。眠っている夢たちを見ていると、ふしぎな気分となる。いったい、この奇妙な現象は、いつまでつづくのか。ずっとつづいたら、どうなるのだ。いっこうに眠くならないが、このあいだからの精神的、肉体的な疲れは、かなりのものだ。このままだと、気が狂うかもしれない。なんとかしてくれ、どうにでもなれ、そんな気分もある。それに、形容しがたい不安感。
 そのなかで、時間はゆっくりたっていった。
 だれかが、床の上の美男タレントを指さして叫んだ。
「おい、やつが起きるぞ」
 床からおきあがり、目を開き、のびをし、軽い声を出した。夢がはじめて声を出した。すがすがしそうな顔つきだった。みな、うらやましそうに、それをながめる。ふと、その持主の女性社員に目を移す。いっせいに悲鳴があがった。
「あ、消えてゆく……」
 彼女の姿は、しだいに薄れて消えた。夢の人物は、机の上のタバコを口にし、うまそうに吸った。
「なぜ、彼女は消えたのだ」
「目がさめれば、夢は忘れ去られてしまうとかいう話だった」
「しかし、われわれが本物だ」
「こうなってくると、なんともいえないぞ。あれを見たか。声を出すばかりか、タバコを吸っている。そんなことのできるわけがない。やめさせよう」
 だれかが、その美男タレントにむかっていった。しかし、それもむなしかった。タレントの手は、こちらのからだのなかに突きささる。相手はなにも手ごたえを感じないらしく、平然としている。
「まさか。こっちが夢になった……」
「なぜだ……」
「答えられるものか。つまり、こうなったというだけのことだ」
「すると、この夢のやつらが目をさますにつれ、われわれが消えて……」
 そこまで言った時、当人の夢が目ざめ、当人はたちまち薄れていった。
「もうすぐ、ぼくも消えるわけか。しかし、残念だな。この夢の連中ばかりの社会を見物できないというのは。きっと面白いにちがいない。それにしても、われわれ、また会えるのだろうか」
 薄れながら、青年が言った。同僚もまた、薄れながら答えた。
「やつらが、われわれの夢を見てくれればいいんだろうが、はたしてどうだろうか。あまり期待は……」
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