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壁の穴

时间: 2017-12-30    进入日语论坛
核心提示: その青年は、ゆっくりと目をさました。目ざまし時計の響きによって起こされたのではないことに気づき、きょうは休日だったなと
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 その青年は、ゆっくりと目をさました。目ざまし時計の響きによって起こされたのではないことに気づき、きょうは休日だったなと思う。ゆっくり眠っていていいのだが、それほどのねむけも、残っていない。といって、すぐ起きる気にもなれず、ぼんやりと天井に目をやった。
 ごくありふれた、アパートの二階の一室。交通にはわりと便利な場所にあったが、そのかわり、近所の物音がうるさい。自動車の音や、窓の下を通る人びとの声が、雑然と聞こえてくる。きょうは休日のため、子供のかん高い声も多かった。遠くでは、音質の悪いスピーカーが音楽を鳴らしている。
 この室内は、整理されてはいるものの、殺風景だった。この青年がまだ独身のせいだった。年齢は、三十に少し前。大きな会社につとめ、その点では現在から将来へかけての不安を、あまり感じない。しかし、地味で平凡な毎日でもあった。そのくせ、彼は内気な性格で、刺激を積極的に求めようとしなかった。
 その日常は、三つに区分することができた。ひとつは、つとめ先にいる時間。それは、退屈と不満感にみちていた。実力を充分に出しきった時に感じる生きがいを、めったに持てないからだ。彼は他の者も同様なのだろうと、自分をなぐさめて時をすごす。
 つぎに、この部屋に帰ってきてからの時間。近所のざわめきの音に、悩まされる時間だ。もっと静かな場所へ移ろうとも考えるが、そうすると、交通の便も悪くなる。それもいやだし、引越しの手間を思うと、うんざりする。
 夜になってあたりが静まると、こんどは孤独を持てあます時間となる。もともと殺風景な室内が、さらに生気を失い、テレビにかじりついていても、それはたいしてまぎらせない。
 この三つの時間は、どれも好ましいものでなく、いずれもがまんを必要とする。そのくりかえしが、彼の日常となっていた。
 
 青年は、ぼんやりと天井を眺めていた。その時、どこかでなにかがキラリと光ったように感じた。不審に思って身を起こし、あたりを見まわすと、枕もとに一本のナイフがころがっていた。夢のなごりのように、ぽつんと置かれてあった。そこだけが、夢からさめていないようでもある。静かに光を受け、静かに光を反射していた。
 手にとると、かすかな涼しさが皮膚に伝わった。青年は、首をかしげながら見つめた。ナイフと呼ぶべきだろうか。西洋の剣と呼ぶべきだろうか。名前をつけられるのを拒絶するかのように、そのどれともちがっていた。
 どことなく、異様な感じを発散していた。それは、どこからきているのだろう。青年は注意ぶかく、目を注いだ。全長は、三十センチぐらい。その三分の一が握りで、こまかな彫刻がほどこされてあった。材質はよくわからないが、硬度の高い金属らしい。刃の両面は鏡のように光り、やわらかな布でプラチナをゆっくりみがきあげたように、なめらかな面だ。
 青年が顔を近づけると、そこに自分の顔がうつった。しかし、少しゆがんだ顔だった。それは、ナイフの面がゆるい彎曲から成っているためとわかった。すなわち、形の点からいえば、太い竹を割って作ったヘラのようだったのだ。もちろん受ける印象は、まったくちがっていたし、このナイフは先に至るほど細くなり、先端は鋭くとがっている。
 どうしてこんなものが、と彼は考えた。自分のものではないし、第一、はじめて見る品だ。といって、他人のものとも断言できない。だれかからあずかった覚えもないし、まちがって持ってきた記憶もない。ポケットに入れるには長すぎ、無理に入れたとしても、とがった先端は服を破き、ことによったら、からだに傷をつけるだろう。
 眠っている間に、だれかが持ってきたのだろうか。そう想像すると、ちょっと恐怖を感じた。胸でもさされたら、永久に目がさめなかったかもしれない。しかし、たしかめてみると、ドアも窓も、内側からしまったままだった。まさしく、夢からこぼれ落ちたような出現だった。
 なんに使う品だろうか。と青年はつぎに考えた。しいて呼べばペーパーナイフだが、それにしては、刃が鋭すぎる。武器にしては、持って歩くのに不適当なようだ。大工道具にしては、形が優美すぎる。また、くだものナイフかとも思ったが、それを必要とする、くだものの想像はつかなかった。だからといって、単なる装飾品のようでもない。なにか、実用性を秘めている感じだった。
 とまどいを笑うように、ナイフはきらきらと光っていた。青年の手のふるえがナイフに伝わり、鋭い先端がゆれていた。なにか、突きささるのを欲っしてでもいるようだ。
 隣室との壁に穴でもあけてみるかな、と青年は思った。となりには、夫婦と子供ひとりの家族が住んでいた。その男の子は活発で、青年は騒音の被害を時どき受ける。そのしかえしと思えば、小さな穴ぐらい、あけてもいいだろう。日曜はそろって外出するのが習慣だから、いまなら、気づかれることはあるまい。
 しかし、こんなナイフで壁に穴があくかどうかはわからないし、あいたむこうが本棚の奥かもしれない。だが、ためしに壁をちょっと突っついてみるぐらいは、いいだろう。
 青年はナイフを壁にむけ、そっと押した。ほとんど抵抗もなく、刃が半分ほど突きささった。壁がやわらかいためか、ナイフが鋭いためかは、手ごたえだけでは判断できなかった。しかし、予想もしなかったことだけは、たしかだった。
 はっと思ったとたん、ナイフが動いた。握った手が無意識に動いたようでもあり、ナイフが自分の意志で動いたようでもあった。いずれにせよ、ナイフが動いたのだ。そして直径三十センチほどの穴があいた。刃の面についていた、彎曲のためのようだ。
 同時に、くり抜かれた丸い盤が手前に倒れてきて、青年は左手で、あわてて受けとめた。この、あまりにも鋭い切れ味は、驚異だった。おろしたての安全カミソリの刃で紙を切った程度の感触で、壁に穴があいてしまったのだから。
 驚きがおさまると、かわって当惑が湧いてきた。こんなに、大きな穴があいてしまうとは。自分だけでは、修理できそうにない。管理人に言って、修理してもらわなければならないだろう。その時は、どう言いわけをしたものだろうか。青年は左手の丸い盤と、右手のナイフとを見くらべ、困った表情を浮かべた。
 だが、のぞいてみたい好奇心も、残っていた。彼はおそるおそる顔を近づけ、呆然となった。力の抜けた手からナイフが滑り落ちそうになり、あわてて、われに返った。そして、ふたたびのぞきこんだ。ここと大差ないつくりの、ごたごたした室内があるはずだった。そうでなければ、ならないはずだ。
 しかし、まったくちがった光景が、そこにあった。室内は室内だが、広く豪華な部屋だった。じゅうたんが床にしかれ、その上には、上品な家具が並べられている。高い天井からは、シャンデリヤがさがっている。壁には油絵が飾られてあった。婦人の像で、その服装から十七世紀頃のものかと思われたが、彼にはそれ以上の知識はなかった。また、大理石でできた置物もあり、すみの机には、電話機がのっていた。
 人影は見あたらず、広さと静かさの支配する眺めだった。窓をおおう薄物のカーテンの揺れ方も、優雅だった。青年の部屋とくらべ、天井も二倍ちかく高く、広さは少なくとも五倍は……。
 ここに気づき、彼は軽い叫び声をあげた。こんなことが、ありうるだろうか。このアパートのなかに、おさまるわけがない。幻覚か錯覚だろうか。それとも、レンズかなにかを利用した、いたずらだろうか。
 青年は目をこすり、またのぞいた。広い部屋は依然としてそこにあり、鮮明であり、レンズを通して眺めるような、ゆがみもなかった。眺めつづけていると、風のためにカーテンが揺れ、そとの景色がちらと目に入った。それは一瞬だったが、彼の目の底には焼きついた。
 異国の街だった。石造りの建物が並び、ひときわ高く教会の塔があり、そのむこうには海があった。彼は海のにおいを感じた。街路樹は午後の陽ざしをあび、道に影を落とし、町角の噴水は虹の色に光り……。
 その時、電話のベルが鳴りはじめた。その広い部屋のすみにある電話機で、耳なれない明るい響きをたてていた。それを見ていて、青年は少しいらいらした。だれかが出なければいけない。そう思っていると、窓と反対側にあるドアのとってが回り、扉があき、だれか人の入ってくるけはいが……。
 ほっとすると同時に、青年はあわてた。のぞき見をしていた反省と、見とがめられた時のばつの悪さに気づいたのだ。彼は、左手で持ちつづけていた丸い板を、急いで穴にはめこんだ。それはうまくおさまり、青年ははじめて長い息をついた。
 まるで、夢からさめたようだ、と彼は思った。しかし、夢なら、こんなに細部にわたって鮮明には見えないはずだし、また、記憶にも残らないだろう。夢でないことを確認するためには、小さなすきまを作って、もう一回そっとのぞけば……。
 だが、それはできなかった。丸い板をはめこんだはずなのに、あとが少しも残っていない。指でさわっても、目を近づけても、ナイフを突きたてる前の壁と、まったく変わっていなかった。円形の線さえみとめられず、さっきの穴が、うそのようだった。ということは、やはり夢だったのだろうか。
 青年は少し恐怖を感じ、手のナイフを、そっと机の上に横たえた。手のひらには、汗がにじみでていた。それから、いまの現象について、ゆっくり考えようとした。休日の午後だから、時間はたっぷりある。
 見たことを回想した。室内の配置、窓のそとの景色。それらは、はっきりと覚えている。それに電話のベル。あの電話をかけてきたのは、だれなのだろう。開きかけたドア。ドアのむこうにいた人物は、だれなのだろう。だが、考えても結論はでなかった。
 時どき、彼は横目で机の上を見る。ナイフは消えずに残っており、手に取れば重みがある。これを使って、さっき、隣室との壁に穴をあけたのだ。しかし、そこには隣室がなかった。そのことは、たしかだ。訪問したことはないが、あんな広さと、あんな窓外を持つ部屋のあるわけがない。
 解答は得られず、無理につけようとすれば、狂気しかない。つまらない毎日の仕事、せまいアパートの部屋、さわがしい物音。これらの重圧が精神をゆがめ、理想の光景を投影したのではないだろうか。しかし、あまり気持ちのいい仮定ではなく、青年はそれを頭から追い払った。
 考えていたってだめだ、と彼は決心した。唯一の方法は、もう一回やってみることだ。こんどは、事情が少しはっきりするかもしれない。青年はナイフを手に、壁ぎわに寄った。
 そして耳に押しつけた。ドアの開く音が伝わってきた。アパートの各室にある、安っぽいドアの音だ。つづいて、なにか呼んでいる子供の声、なにかを投げる音。隣室の住人が、帰宅したらしい。となると、試みるのはぐあいが悪い。こんどは、どんな穴があくかわからないのだ。青年はためらい、ひとまず中止した。
 
 つぎの日、彼は出勤した。しかし、アパートの机のひき出しにしまったナイフのことを思うと、気分がそわそわした。なぞを追う夢みるような心になり、また現実にもどる。それにつれて青年の表情も、楽しげな微笑から、重大なことの開幕に立ち会っているような真剣さに、変化する。
 同僚が気づき、恋愛でもはじめたのかと、からかうような質問をし、青年は打ち消す。打ち消すだけで、説明はしなかった。あのナイフは出現した時と同じに、霧のごとく消えてしまうのかもしれない。他人にくわしく話すには、はかなすぎる存在のようにも思えるのだ。
 それでも、勤務時間が終ると、青年は急いで帰った。ナイフの見えざる力に引き寄せられるかのように。部屋に入り、ドアに内側から鍵をかけ、机のなかを、そっとのぞいた。鉛筆だの、ハサミだの、薬のびんなどにまざって、ナイフはそこで静かに光っていた。誠実な恋人のような感じがした。
 青年はそれを手にし、どこへ穴をあけてみようかと迷った。へたなところへあけたら、文句を持ちこまれるおそれがある。考えたあげく、天井はどうだろうと思いつく。二階建てのアパートの二階の室だ。とがめられることは、あるまい。
 机の上に立ち、彼はナイフを天井板に突きさした。きのうと同様に、ほとんど手ごたえがなくささり、直径三十センチの円を描いて一回転した。かまえていた左手の上に、くり抜かれた丸い板が落ちてきた。
 彼はまず、その板を眺めた。ふちは鋭く切れている。だが、ふしぎなのは裏側だった。さぞほこりがたまっているだろうと、軽く口で吹いてみた。しかし飛びちったものは、なにもない。指でなでたが、なにもついていない。なめらかな感触があるだけだった。絹を糸でなく平面にしたら、こんな感じになるのではないだろうか。
 しかし、その検討は、ほどほどで中止した。それよりも問題は、穴のほうだ。顔をあげてのぞくと、そこは暗かった。屋根裏だから暗いのは当然だろうが、暗黒と呼びたいような底しれぬ闇だった。もっとも、それは彼の目がなれていないせいもあった。
 やがて目がなれてきた。暗さのなかに光の点が散在していた。なんだろう、と彼は目をこらし、そして気づいた。星座だった。
 息の止まるような思いだった。この部屋のそとは、夕ぐれの明るさだ。また、この上には屋根があるはずだ。しかし、星であることに、まちがいない。深い空間をバックに、青や赤や白や黄色に輝やき……。
 その輝やきは、いつも眺める星と、どこかちがっていた。彼はその原因を考え、まもなく答えを得た。星々が、またたかないのだ。すると、この眺めは、大気圏外の宇宙なのだろうか。なぜか、彼は少し寒けがした。しかし、目を離す気にはならなかった。
 なんの変化もなく、時が停止しているようだった。そのうち、目がさらになれてきて、視界のなかに、浮いている岩石を三つほど発見した。距離の関係がわからないので断言はできないが、小さなビルぐらいの大きさらしい。小惑星とでもいうのかな、と彼は思った。
 光景の左のほうから、動くものが現れた。銀色の円筒状のもので、アンテナがそとへ伸びている。小型の宇宙船のようだな、と彼が見つめていると、そこからなにかが発射された。炎の尾をひき、しだいに速力をあげ、浮いている岩石に命中した。閃光がおこり、爆発した。だが、岩石が粉々になったのではなく、どういう作用か、三つほどに割れただけだった。
 鉱物の調査でもやっているのだな、と青年は自分なりの想像をした。静寂のなかに展開される、雄大でメカニックな作業だった。乗員の姿は見えなかったが、青年はそれを心に描き、羨望と嫉妬を感じた。それが伝わりでもしたかのように、また宇宙船からの発射がなされた。しかも、炎を噴射する物体は、こちらへと進んでくる……。
 青年は急いで左手をあげ、穴をふさいだ。ぴしりとふさがり、きのうの壁と同じく、あとは少しも残らなかった。だが、彼の胸は、激しく波うっていた。いまにも天井を破って、物体が飛びこんできて爆発するのではないかと、心配したのだ。不安の時が流れたが、それは起こらなかった。机の上にあがりなおし、板を指で叩いてみた。天井板に特有の、軽いうつろな音がしただけだった。あたりはいつもと変わらぬ、平凡で見あきた部屋なのだ。
 青年は、さらに試みてみようと思った。あいた穴が、あとを残さずにはめこめることは、たしかなようだ。これに勢いを得て、こんどは廊下に面した壁に、ナイフをさした。例によって、丸い穴があく。のぞいてみると、森のなかだった。どこの森かは、わからない。濃い緑の木が奥深くつづき、幹にはつたがからまり、葉の発散する青っぽいにおいが……。
 においがするからには、と青年が気づいた。きのうは、むこうの電話のベルの音を聞いた。ということは、穴でむこうとつながっているのだろうか。おそるおそる手をさしこもうとした。しかし、なにかにさえぎられて、穴の面を越えられなかった。透明な板の感じともちがう。手を近づけるにつれ、押しかえす力が急速に高まり、ついに進めなくなるといった感じだった。彼はそばにあったマッチ箱を取り、穴にぶつけてみた。それは音もなくはねかえされた。
 やはり遮断されている、と彼はうなずいた。そうでなかったら、さっきの宇宙空間で、ただではすまなかった。真空と接触してしまうところだった。しかし、むこうの音やにおいが伝わってきたのは、どういうわけだろう。考えてもわからず、彼はそれ以上、その疑問を追求するのをやめた。
 それより、もっと知りたいことがあった。裏側は、どうなっているのだろう。彼は、廊下へ出るため、ドアを開けた。静かな森にふみこめるだろうか。しかし、その期待はすぐに消えた。そこには廊下しかなかった。だが、彼は廊下へ出て、穴の裏側に相当する個所を調べた。そこには、なんにもなく、穴はもちろん、ひび割れすら発見できなかった。
 なるほど、こういうしかけなのか、と彼はつぶやいた。といって、なにかがわかったわけではない。隣室の人に気がねなく、壁に穴をあけても大丈夫と知っただけのことだ。青年はまた部屋に戻った。
 しかし、ドアをうしろにしめた時、彼は室内で混乱がはじまったことを知った。小さな鳴声とともに、小動物が何匹もかけまわっている。リスのように思われた。こいつらは、どこから出現したのだろう。それへの答えは、すぐに示された。穴からまた二匹が、つづいて飛び出してきたのだ。床の上を走り、机に飛びあがり、柱をのぼっている。動きは休むことなく、目まぐるしい感じがした。
 彼は、この処理に困った。動きが早く、つかまえることは不可能だ。穴へ追いかえせるだろうか。それもむずかしそうだし、またも一匹が穴から飛び出してきた。いったい、むこうでなにが起こったのだろう。彼は穴からのぞき、その原因を知った。樹上へ追いつめられたリスが、逃げ場を求め、飛びおりる。そのうちのいくつかが、ここへまぎれこんでくるのだ。そして、追っているのは、大きな蛇。
 蛇は頭をもたげ、穴のそばまで迫っていた。こんなのに入ってこられては、ことだ。青年は反射的に穴をふさいだ。穴はふさがり、なんの跡もとどめなかった。彼はまた、あたりが静かになったのに気づいた。室内を見まわすと、かけまわっていたリスたちの姿も消えていた。消えたのか、ふさがる前に穴へ戻ったのかは、わからなかった。しかし、後者のように思われた。さっきまでただよっていた森のにおいも、まったくしなくなっていた。
 ナイフの性能なるものを、青年はいくらか覚えた気がした。こちら側からはむこうに行けないが、むこうから入ってくることは起こりうるのだ。そして穴がふさがれるとともに、押し戻されたように消える。だからといって、安心はできない。宇宙で発射されたものがこっちへ入って爆発したら、そんな場合はどうなるだろう。生命を失うことになってはつまらないし、混乱はそれでとどまらないかもしれない。
 穴がふさがると同時に、すべては旧に復するかとも思えるが、わざわざそんな冒険はしないほうがいい。いままではそんなこともなかったが、穴のむこうが海底だったら、どうなる。たちまち押し流され、ふさぐのに使う部分を、なくしてしまうかもしれない。こんご穴をあける時には、注意したほうがよさそうだった。また、いくつもの穴を同時にあけることも、避けたほうがよさそうだ。
 
 かくして、しだいに青年は、この新発見の行為に熱中していった。部屋のあらゆる面に穴をあけ、のぞき、穴をふさぐことをくりかえした。同じ壁に試みたからといって、同じ光景が展開するとは限らなかった。隣室との壁のかなたに、以前には広い部屋があったが、つぎには有史前の世界があった。
 夕焼けで雲が赤くそまり、沼地がひろがっていた。ところどころにシダ植物がはえ、首の長い恐竜が、ゆっくりと歩いている。想像していたより、ずっとやさしい目をしていた。のどかな、夕ぐれ。こんなおだやかな日々が、地球上に存在したのかと思うと、恐竜がうらやましく思えてきた。
 窓ガラスに穴をあけたこともあった。そこには、未来の社会があった。プラスチックのような材質の高層ビルが並び、その色彩は調和のとれた中間色で、どぎつくない上品さがあった。動きはスムースで、清潔と整然と輝やきがあった。また、人々の表情にも、理性と微笑がある。
 そして、その丸い穴の周囲には、現在の都市が見えるのだ。雑然とし、薄くよごれ、息苦しいような町が。この対照は悲哀感を高め、青年はすぐ穴をふさいだ。
 壁の鏡に穴をあけてみると、海賊船上での戦いが展開されていた。船の上で刀を振り、切りあい、突きあっていた。映画のように派手ではないが、作りものでない緊迫感があった。一枚の金貨が、飛びこんできた。はげしい息づかいが聞こえ、血しぶきが飛んできて、青年の頭にかかる。
 片手を斬られ、バランスを失って海へ落ちる男もあった。しかし、その男の顔には、自分の時代をせいいっぱいに生きたことへの、満足感のようなものがあった。
 青年は、穴をふさいだ。鏡には、彼自身の顔がうつっている。かかったはずの血は、消えていた。それにしても、われながら気力のない、平凡な日常と妥協した顔だった。いまの海賊の表情とくらべ、恥ずかしくなるような感じだった。青年は目をそらせ、落ちたはずの金貨を探した。もちろん、それはなかった。
 ナイフを使ってのこの楽しみは、彼をとらえて、はなさなかった。彼はまた、それにおぼれていった。ひそかな楽しみ。他人には話さなかったし、写真にもとらなかった。秘密がもれたら、これを失うにきまっている。
 青年は自分の時間を、すべてそれに費やした。会社に持って行きたかったのだが、それは思いとどまった。同僚に見つかったら、ただではすまない。
 しかし、ひとりで宿直する夜には、持っていった。そして、いろいろな壁に穴をあけ、のぞき、ふさぐのだ。金庫室の壁に、ナイフを突きさしたこともあった。これで札束が手に入るのならありがたいのだがな、と彼は思った。だが、穴からは明るい光がもれ、大きな|蝶《ちょう》がゆっくりと舞い出てきた。蝶は薄暗い電灯の下で、まごついたようにはばたいた。
 むこうの光景は、どこか南の島だった。ヤシの木の葉が風にゆれ、波はおだやかに浜に寄せ、鳥の声が高く、熱帯の花の色があざやかだった。少し離れて若い男女が……。
 彼は穴をふさいだ。見てはいけないと反省したからではない。ことの差の大きさが、不快になったのだ。蝶は去り、ただ電灯に照らされている冷たい金庫室のとびらと、がらんとした空気と、自分ひとりが……。
 青年はあきることなく、この行為にふけった。穴からのぞくことにより、日常の退屈さがまぎれる。穴は、不満のはけ口であるといえた。
 だが、同時に、これによって、不満はさらに高められもする。自分のみじめさが、はっきりと浮き彫りにされてくるのだ。穴のむこうの世界は、みな生気にあふれ、個性をもち、そして、なんらかの意味で、すばらしさを秘めている。それなのに、こちら側の世界は、疲れ、ひからび、ぐったりとし、とりえがない。
 自分と関係のないよその場所、近い将来や近い過去、また遠い未来や遠い古代。それらの世界がこっちにむかって、あざけり気の毒がり、軽蔑しているようだった。自分の周囲の空間、自分のいる現在という空間。それだけが他からとり残され、あえいでいるのだ。彼はたえがたい圧力を感じ、みじめで悲しい気分になる。
 一種の、限りない拷問のようだった。恐るべき|檻《おり》に、入れられたようでもあった。この檻のなかでは、不満を解消しようとすればするほど、さらに大きな不満が育ってしまう。また、自分の存在価値がしだいに薄れ、やがては消失してしまうのではないかとの、いらだたしい感じにもなる。
 青年は、ナイフでの作業をくりかえしつづけた。なんとかして、むこうの世界に行けないものだろうかと思いながら。彼は穴をあけるたびに、手をさしこもうとしてみる。しかし、むくいられることはなく、見えない障壁は、いつも存在していた。からかわれているような、手ごたえのない感触でありながら、強くさえぎられてしまうのだ。すぐそばにある世界なのに、無限に遠い。
 むこうの住人に、連絡だけでもとりたいと思った。しかし、こっちに視線をむける者があっても、表情は少しも変化しなかった。完全に無視され、黙殺されているようだ。腹立たしい、あせりを感じる。いったい、むこうからこの穴は、どうみえるのだろう。
 ある日、例によって壁に穴をあけると、そこには酒場があった。楽しげな談笑、豊富な酒。しかし、そんなことより、前方に鏡のあったことが、彼を緊張させた。待っていた機会だ。青年はそれを見つめた。だが、そこに写っているのは、その酒場の内部だけだった。この穴も、のぞいている自分も、こっちの壁の裏さえ、うつっていなかった。いやな気分だった。むこうにとって、こちらは無の存在なのだ。幻影ですらない。
 しかし、青年はあきらめなかった。なんとかして、むこうへ脱出したい。脱出の方法があるはずだ。この考えにとりつかれ、彼はもがくように、あらゆる方法を試みた。すべてむなしい結果に終るのだったが、彼は望みを捨てなかった。
 そして、ある日。彼は新しい試みを思いつき、大きなスリガラスを買ってきた。椅子や机にもたせ、部屋の中央にそれを立て、ナイフをさした。ナイフは忠実に動き、穴のむこうの光景が現れた。
 夜の公園がそこにあった。春の夜らしい。おぼろ月の下で梅が咲き、そのにおいが、ただよってきた。右のほうの池では、鯉が水音をたててはねた。
 変なものが飛びこんでくる心配は、なさそうだ。彼はそれを見きわめ、スリガラスの反対側にまわった。そこは傷ひとつないガラスの面だ。青年は穴のちょうど裏に当る部分に、ナイフをさした。穴の奥には、やはり梅の咲く公園があった。しかし、月はみえなかったし、花びらを浮かべた池は左のほうにあった。そのことから、さっきの眺めにつづく光景とわかった。
 彼はあっちへ回り、こっちへ戻り、ガラス板の穴から、交互にのぞきこんだ。夜の公園を、ひとり散歩している気分になってきた。この部屋、この世界が実在していないように思えてきた。支えのない、不安定な、他人の夢のなかにいるような気持ちに……。
 公園のかなたから、寺の鐘の音が聞こえてきた。それによって、彼は記憶をよびさまされた。この場所は、少年時代に時たま遊びに来た公園だったと。遊んだのは昼間に限られていたので、すぐに思い出せなかったのだ。
 そうだ、たしかにあの公園だ。泉のように、思い出が湧いてきた。あの方角に小高い築山があり、上には小さな休息所があったはずだ。目をこらすと、ぼんやりと暗いなかに、たしかにそれがあった。あれを越すと広場があり、ブランコや遊動円木があり、友達とよくそれに乗ったものだ。なつかしさは、高まる一方だった。
 そんな思い出の場所なのに、なぜすぐに気がつかなかったのだろう。彼は考え、その原因を知った。いつだったか通りがかりに眺め、すっかり模様がえされていたのを見ていたためだ。梅や築山はなくなり、近代的な配置の花壇が、その場所を占めていた。
 となると、これは過去の公園だ。少年時代の公園なのだ。この公園の出口は、よく知っている。そこから自分の家への道も、よく知っている。それを駆けていって、早く帰らなければ……。
 青年はあせった。いまの自分は、夢のなかにいるのだ。少年の自分が見ている夢のなかに、いるのだ。いままでの生活は、ずっとその夢だったのだ。まちがった空間、まちがった時間、その最悪の方向に迷いこんだ悪夢なのだ。
 早く、目をさまさなければならない。そうすれば、すべては終り、活気と希望にみちた自分がとり戻せる。だが、前にはガラスの壁がある。これを破らなければ……。
 青年は手にふれた灰皿を、勢いよくぶつけた。ガラスは割れ、砕け散った。なつかしい光景は一瞬のうちに消え、あとには変わりばえのしない部屋だけが残った。
 彼は手を振りまわした。しかし、そこには春の夜もなければ、梅の匂いも残っていない。彼はナイフを拾い、目を閉じていまの光景を追い求めた。しかし、それはどこへともなく去ってしまい、二度と現れない。
 激しい落胆のため、彼は目まいを感じ、倒れかかった。目まいのせいではなかったかもしれない。心のすみに、生きるのがいやになった感情がおこり、それがそそのかした行為ともいえた。
 青年は倒れ、ナイフは胸をさした。しかし、痛みもなく、死も訪れてこない。彼は両手で、胸を押さえてみる。たしかにささったはずなのに、なんということもなかった。彼は、事態を理解した。
 穴があき、そしてふさがれたのだろうと。
 苦笑いしながら、青年は立ちあがった。手から血が出ていた。だが、それは、ガラスの破片によるものだった。彼は割れたガラスを片づけた。しかし、そのなかにナイフがなかった。どこかへ飛んだのかと、あたりをくわしく探して見る。しかし、どこにもなかった。いまの胸の穴のなかに、消えてしまったのかもしれない。彼はそう思った。そうとしか考えられなかった。
 もはや探しても、無意味だった。たとえ胸を引き裂こうが、それを手にすることはできない。あの楽しい遊び、悲しい遊び、みじめな遊びは、二度とできなくなってしまったのだ。自分に与えられた時と場所は、この平凡な生活という、永久にさめることのない夢のなかだけなのだ。
 あきらめる以外にない、と青年は思った。やがては、これに安住できるような気持ちにもなれるだろう。それよりほか、どうしようもないではないか。
 それからの毎日、彼は朝になって目ざめるたびに、枕もとのほうに目をやる。しかし、静かに光るあのナイフは、現れてくれなかった。天井も壁も窓も、なにごともなかったかのように、そしらぬ表情で彼をとりかこんでいるだけなのだ。
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