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竹取物語(口語訳)10

时间: 2018-01-06    进入日语论坛
核心提示:あとがき やっと、ひと息。 物語が完結したので、ページを改めて最後の章について、いくらか書いておく。 かぐや姫は、天空の
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あとがき
 
 やっと、ひと息。
 物語が完結したので、ページを改めて最後の章について、いくらか書いておく。
 かぐや姫は、天空のかなたの世界の人。当時とすれば、まさに夢にも思わなかった展開だろう。あれよあれよと感じているうちに、天へ帰ってしまうのだ。それまでの伏線が、生きてくる。
 いくらかの問題点は残るが、それは仕方ない。たとえば、姫が自分の身の上を、最初から知っていたのか、しだいに思い出したのか。どちらでもいいが、私は後者をとりたい気分だ。
 ラストの光景は、映画「未知との遭遇」を思わせる。UFOに関して、私は昔から関心を持っているが、その実体について、まだ判定は下せない。しかし、目撃談のなかには、光に包まれ、戸がしぜんに開くような例が、いくつもある。なにか関連があるのかもしれない。
 かぐや姫の帰る先を、私は「月のかなた」と現代訳で書いた。アポロ乗員の撮影した月面写真を見ては、正直いって、そうしたくなる。
 しかし、原文によると、かぐや姫も最初は「月」と話すが、日が迫ると「あの国」とか「かの都」と言うようになる。迎えに来た人たちも「天人」であり「月人」ではない。だから、月を経由して来たとも、とれる。
 物語の作者も、天のかなたと、ばくぜんと設定したかったのではないだろうか。月を人に似せた話はあるが、それは神話の形をとってである。住民のいる話は、ほかにないのではないか。
 このはるかあと、一六〇〇年代の前半、シラノ・ド・ベルジュラックが『月と太陽諸国の|滑《こっ》|稽《けい》|譚《だん》』を書き、月をアダムとイブの楽園とした。ドイツの天文学者ケプラーが、太陽系を思考したのは、一五九五年。話題として、耳にしていたのだろう。
 かぐや姫の書かれた時代、月の住民という感覚があったかどうか。満ち欠けもするし、月を見つめるなとの文も出てくる。夜空で目立つ月、そのむこうにとすれば、賢明な進め方となると思う。
 その八月十五日だが、少し加筆し 旧暦と説明した。現行の太陽暦より、約一ヵ月、うるう月がその前に入ると、二ヵ月ちかくあとになる。いまの十月という場合もある。旧暦だと、十五日は十五夜、満月だ。
 もちろん、原文にはない。明治も半ばすぎに「来年の今月今夜のこの月を」とのせりふの小説が書かれた。太陽暦だと、月が出ないことだってあるのだ。
 おひまなかたは原文をもだが、気になったのは、竹取りのじいさんの年齢である。初めのほうで、姫に男性との交際をすすめる時、自分は七十になると言っている。月からの迎えの人には、二十年間も世話をしたと言っている。
 ミカドの使いに会った時には、五十なのにふけ込んでいるとの描写がある。
 書きうつす時のまちがいとの説もある。それなら、逆に直されてもいいのに、そういう本はないらしい。なにか意味があってとは、思えない。五十五から六十五ぐらいの間の事件と考えたい。二十年間とは、天人への大げさな形容だろう。あるいは、五、六年とすべきかもしれない。
 物語では、ひとり三年ずつで順次にととられる形になっているが、普通なら、五人が同時にとりかかるだろう。現代なら、他者との競争の話に仕上げるだろうが、それだと複雑になってしまう。これでいいと思う。
 持参した不死の薬。じいさんに渡すのを天人がさまたげ、ミカドになら許す。じいさんには富を与えたから、薬はまだ若いミカドになのか。敬意を表わしてか。ここも、それでいいだろう。他の世界の人の判断なのだ。
 ミカドについては、親しみやすい人間に描かれている。その時代は、人口もごく少なかったし、気やすく話せる存在だったのだろう。じいさんだって、直接に会って話せたのだ。帝の字を使いたくなかったのは、そのためである。
 想像を絶した発想は、羽衣の作用だ。着ると、すべての思考が一変する。けがれた世から天界へという仏教思想なら、死の意味になりそうだが、そんな印象を与えない。スチーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』は、十九世紀後半の作である。
 SFの祖、H・G・ウエルズも、タイムマシン、透明人間、巨大生物など、さまざまな空想上の装置や薬や生物を作りあげた。前例だのヒントなどなくても、個人の才能でユニークなものが作れるのだ。
 羽衣伝説が先かあとか知らないが、あれは飛ぶ性能が主だ。かぐや姫の作者は、大変な才能である。
 羽衣に着がえるところで、私は適当に訳したが、姫は形見にと着物をぬぎ、ミカドへの手紙を書く。どの程度にぬいだか、気にすると、とまどう。すっと読めてしまう部分だが。
 結末は、地球人を下級人間としていて、SFのそのテーマの元祖ということになる。いやな気分の効果をねらったのが多い。しかし、ここでは、あっけらかんと終っている。あと味も、とくに悪くない。
 |寓《ぐう》|意《い》のないのがいい。作者の才能と人柄のせいだろう。ご自由にお考え下さい。お考えにならなくても、けっこうです。面白い話は、決してなにかを押しつけない。
 娘を嫁にやるのも、天に帰すのも大差あるまいと思うが、それは現代でのこと。姫はそのまま家に住み、特定の男性が|通《かよ》ってくる形でもよかった時代である。
 あとは解説で。
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