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「父のだし巻き玉子」

时间: 2016-08-14    进入日语论坛
核心提示:私のおいしい記憶は、今から23年前の私がまだ23才の独身の頃のことです。私の父はその頃51才。48才の時に胃がんになり手術で胃を
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私のおいしい記憶は、今から23年前の私がまだ23才の独身の頃のことです。 
私の父はその頃51才。48才の時に胃がんになり手術で胃を全部摘出しました。それ以来体調があまり思わしくなく、会社を退職し家で療養生活をしていました。散歩が好きな父でしたが、手術後は歩いての散歩はからだにきつかったらしく、原付に乗って家の近くをゆっくりと走るのを楽しみにしていました。幸い家の近くには田んぼや畑、川などがあり気分転換にはとても良いようでした。 
父は徳島の山間部の出身で若い頃から阪神間に仕事で出てきていたので、母と出会った結婚するまで長く独り暮らしをしていました。もともと几帳面な性格の父は、家事をこなすのも上手く、共稼ぎをしていた母もずいぶん助かったようです。①特に料理が得意で、まだ元気だった頃、仕事の休みの日にはよく父の故郷の徳島のそばの実を使った雑炊や、おだしのきいたふっくらやわらかなだし巻き玉子を作ってくれました。鶏肉と大貝をメインに白菜、大根、人参などの入った薄口醤油だけであっさりと味付したそばの実雑炊はとても素朴な味で私は大好きでした。そしてもうひとつ父特製のしっとりやわらかだし巻き玉子も絶品で、子供の頃からよく作ってもらっていました。 
父が胃の手術をして家にいるようになった頃は、私も年頃の娘となり、仕事も忙しくバタバタと日々を送っていました。父もからだの調子がなかなかよくならず、大好きだった父の料理を食べることもなくなっていました。 
冬のある日、とても寒さの厳しい日の朝、父と私は些細なことで親子げんかを、私は毎朝自分で作っていたお弁当も作らず、その日は外で昼食をとることに決め会社に出勤しました。私の職場は家からそう遠くなく、バス一本で通勤していました。会社の私のデスクは3Fの窓際にあり、首を伸ばせば会社の玄関が見下ろせる位置にありました。 
朝、父けんかしたことを後悔し、体調が悪い父のことが気になりながらも仕事をしてそろそろお昼休みという時間になった頃、聞き覚えのある原付の「ピッ!」という音が短く聞こえました。窓の下を見下ろすと、父が原付にまたがって上を見上げていました。びっくりした私はあわてて父の所まで駆け下りて行きました。すると父はにっこり笑ってもこもこのダウンジャケットのふところからお弁当包みを出し「お弁当忘れたやろ。」とだけ言って私の手にホカホカのお弁当をもたせてくれました。「ありがとう。今朝はごめんなさい。」と答えて職場に戻って時、ちょうどお昼休みが始まり私はお弁当の包みを開けました。②お弁当のふたの上には、使い捨てカイロがのせてあり、お弁当が冷めないようにとの父の心遣いがありがたくて胸が熱くなりました。ふたを取ると中には、久しぶりに見る父のだし巻き玉子がいっぱい入っていました。父のだし巻き玉子はほかほかのできたてで、いつも作ってもらっていた優しい味で本当においしくて、うれしくてポロポロ泣きながらお弁当を食べました。もこもこのダウンジャケットの中のやせ細ったからだに厳しい寒さはきつかったはずなのに父の笑顔はとても優しくて後から後から涙が溢れました。 
それから約2年後、優しかった父は静かに他界しました。 
その後、私は結婚し、2人の子供にも恵まれ、③私の作るだし巻き玉子は主人の好物となり晩酌の時によくリクエストされます。子供たちもお気に入りでお弁当に欠かせない一品となっています。 
この冬寒い日のできごとが私のおいしい記憶です。 
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