さっき庭に出ていた父がふいに私の方をふり向いて言った。
「なあ、おとうさんはもしかすると百まで生きるかも知れんよ」
今ひょいとそんな気がしたという父に、私は大きく大きく笑顔でなんべんもうなずいてみせた。
父は耳が遠いので、こちらはほとんどジェスチャーになる。OKよOKよ!
ただいま九十二歳。本人はこれが不満で、「満九十二年はすんだじゃないか。今は九十三年目を生きとる」と言ってきかない。
朝はコーヒーとトーストに果物。昼と晩は好き嫌いなく何でもいただく。月に二回、ビーフステーキを欲しがるほかは食にぜいたくは言わない。
ちょうど今ごろの野のススキそっくりの胸毛をかくし持っていて、これだけは私にもさわらせない。
「おかあさんの物じゃけえ」とはにかむ父の愛くるしさ。
──この人はハイカラで都会好きで。母と私たち姉妹を田舎に放りっぱなしの若い日々だった。
まっくろになって働いた母にこそ私は感謝しなければならないのに、この父好きはどうしたことか。
年に何回か父を招《よ》ぶ専属のタクシーをまわすと、気軽に乗って来てくれる。
今は今年三回目のご招待。
しずかな初冬の山の町で、父は読書にふけっている。私はこれを書いている。父と二人の時間がとてもあたたかい。
「〇×子、〇×子」
と父が呼ぶ。誰のこと?
「あっ、私のことだ、ハーイ」
「Yさんはまだかいの」
(もうすぐ来られますよ)と大書した紙をひらひらさせると父はにっこり。
Yさんは、父が私のところへ来たと知るや、いつもおっとり刀で訪ねてくださるのだ。広告紙をつづった部厚いノートを何冊も抱えて。Yさんは耳の不自由な奥さんを長く看取った人なので筆談がすこぶるうまい。
筆談にもコツがあって、私はどうもよけいなことまで書くらしくて、父の判読に時間がかかる。Yさんのはツーカーで、父が笑い声を立てるほどうまいのだ。
父は今朝、私の亭主を見送って出て、こんなことを言っていた。
「おはようお帰り。ゆうべは負けましたが今夜は仇を取らせてもらいますけえ」ハッハッハと。──どうやら今夜も麻雀らしい。
耳しいの父と話せば微笑《えみ》多し