集まりの時にも、「学校に来ないでよ」と言い続けて来ました。一緒に出掛けた時でも、向こうから友達が来ると私はすーっと母から離れて、まるで他人のような素振りをとってきました。
私の誕生日はいつも父と母と私でした。「たまにはお友達を呼んだら?」と母が言ったこともありましたが「そんなこと。恥ずかしくて呼べないわ」と私が怒ったので、翌年からは、母は何も言いませんでした。
先月のことです。家庭科の宿題を置き忘れて来てしまいました。夕べ遅くまでかかって縫ったのに、朝寝坊して慌てて家を出てきたからです。一時間目の途中で気がつき、取りに帰ろうか迷っていました。先生のお話もよく耳に入らぬまま一時間目が終わり休み時間になりました。
「M子さん、お母さんが廊下に来ているよ。」と言われた時「宿題を届けてくれたんだわ」とほっとした気持ちと同時に「お母さんの顔がみんなに見られてしまう」という気持ちとがごちゃごちゃになって「学校へ来ちゃ駄目って、あんなに言っておいたでしょう」と怒鳴りました。1母はニコニコしながら「わかっているけれど、せっかく夜遅くまで頑張ったんだもの、困っていると思って」と言いました。私は、風呂敷包みを乱暴に奪い取って「そんなおばけみたいな顔で、いつまでもいないでよ」とまた怒鳴り後ろも振り向かずに教室に駆け込んでしまいました。気の重い、それはとても長い一日でした。
その夜、父が「M子、お前に話しておきたいことがある」と言われ静かに話し始めました。
「お前が一歳の時の冬、近所で火事があり驚いて飛び起きた時は、火に包まれて逃げ場がない。2とっさにお前を毛布ですっぽり包み、しっかり抱きしめたまま炎の中をくぐって、やっとのことで表に逃げ出すことが出来たんだよ。お母さんの顔をよく見てごらん。そのヤケドはその時のヤケドなんだよ。」
私は始めて聞くその話に息もできませんでした。今まで本当のことを言わなかったというとね。お母さんが「私のヤケドがM子を助けるためにできたんだなんて、もし思うと心に負担が残るんじゃないかしら」ってずっといい通して来たから、つい、今日まで本当の話をしなかったんだよ。M子の顔が、こんなにきれいでいるのも、お母さんが濡れた毛布でお前を包み、しっかりとい抱きしめたまま必死で逃げてくれたからなんだよ。お父さんは、お母さんの顔のヤケドを見ると、心の中で「ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。」ってお礼を言っているんだよ。
私は後から、後から流れてくる涙をどうすることも出来ませんでした。「お母さん有難う。今までのことごめんなさい」も胸が詰まって言葉にはなりませんでした。
3母の顔にあるヤケド。今では私の誇りです。私への愛のしるしなのです。だから、よそのどんなきれいな顔のお母さんよりも、私は私の母の顔を美しいと思っているのです。