学校に入ってからは、持ち物を隠されたり上履きや靴に画びょうを入れられたり、背中に墨をつけられたり、階段から突き落とされたこともあった。
学校帰りに待ち伏せされて、いじわるをされたこともある。その時は、一人で帰るのがいやで、毎日、母に会社を早退してもらい学校に迎えに来てもらった。
今までのことを思い出すと悲しくなってくる。新しい学年になるたびに、「今度こそいじめにあわなければいい」と思う。
なぜ、いじめをするんだろう。自分がいじめられたら、どんな気持ちか考えたことがあるのだろうか。人にされていやなことはやってはいけない。簡単なことなのになぜできないのだろう。いじめをする人は、こころが病気なんだと思う。心の病気が治った時、きっと後悔するだろう。
いじめが原因で、自分から命を落とす人がいるが、それは本当に悲しくて、残念なことだと思う。家族の悲しみを考えたら、ぼくにはとてもそんなことはできない。
ぼく達は、生まれてから今日まで、家族に支えられ、大切に育てられてきた。
僕は、未熟児で生まれた。他の赤ちゃんに比べて発達が悪く、二歳すぎても歩けなかったので、みんなとても心配したそうだ。
母は、「この子が一生歩けなかったらどうしよう」そんなことばかり、毎日考えて、落ち込んでいたそうだ。そんな母は、ぼくが元気がないと必ず、「何かあったの?」と、聞いてくる。ぼくが話をすると、自分のことのように、怒ったり、悔しがったりしてくれる。母は、ぼくにとって何でも話せる相談相手だ。
そして、僕は、学校でいやなことやつらいことがあっても、家に帰るとほっとする。僕が、「ただいま」と言うと、祖母が、「お帰り」と、元気に返事をしてくれる。祖母は、ぼくの愚痴も、いやがらずに聞いてくれる。
それだけで、気持ちが軽くなる。祖母は僕の好きな歴史にも詳しいので、祖母と話しているととても楽しい。
父は、いつも仕事で帰りが遅いけれど、毎晩、ぼくの部屋に来て声をかけてくれる。父も、仕事でつらいことがいろいろあると思う。それでも、ぼく達のために、がんばって働いてくれる。照れ臭くて、言葉にはだせないけれど心から感謝している。
二人の弟には、ぼくがいやなことがあって機嫌が悪いときなど、八つ当たりをしてしまい、いつも悪いと思っている。生意気だけど、いなくなると寂しい存在だ。
ぼくにとって、家族の一人一人が、とても大切な存在になっている。同時に家族にとっても、ぼく達一人一人は、世界にたった一人しかいない大切な存在で、かけがえのない宝物だと思う。
家族に大切にされた人は、自分自身を大切にでき、自然と相手のことも大切に考えられるようになると思う。そう考えると、むやみに人を傷つけたり、自分から命を落とすことなど出来なくなると思う。
人はみんな一人一人違っている。いいところもあれば悪いところもある。人と違うからと言ってからかったり、差別したりするのではなく、相手を理解しようとする気持ちがあれば、いじめや差別はなくなると思う。心の底から悪い人間なんていないはずだ。
こんなぼくにも、人に自慢できることがある。それは、学校を休まないということだ。どんなにつらくてもがんばって学校に行っている。
ぼくはせっかくこの世に生まれてきたのだから、意義のある人生を送りたいと思っている。できれば、自分は好きな領域に従事し、人の役にも立てるようにがんばりたいと思っている。
これからも、いろいろなことがあると思うが、「まけるな、がんばれ!」と、いつも自分に言い聞かせて、自分を元気づけながら、がんばっていきたい。