休暇になって、何かの興にかられ、三人の子供たちだけで相談しあって、いきなり宣言する。
「お父様、あたくしたち、今晩てつやするのよ。」
「え、徹夜?」
「みんなで、一晩徹夜してみることにきめたの。お父様は?」
「お父様は……さあ……」
云いしぶってるのがおかしくて、父も子供たちも笑いだしてしまう。がその後で暫くして、子どもたちは父を誘いにくる。
「お父様、今晩、お仕事がおありですか。」
「なぜ?」
「今ね、きくやが、アイスクリームをそう云いに行ったの。お父様の分も一つありますよ。だから、それがくるまで、トランプをするの。」
もうそれにきめてるという顔付だ。だからちちもその通りになる。四人でトランプの遊びをして、アイスクリームを一つずつ食べて……さてそれから先は、もう、父親は書斎に籠ろうと、寝室に退こうと、全く自由だ。用は済んだのだ。
「おやすみなさい。」と子供たちは云う。
父親は寝る。子供たちは徹夜だ。
非常時にあっては、父親は子供たちに対して、一種の神秘な力を持つ。子供たちはその力によりかかってくる。
三十九度以上の病熱に悩まされてる子供のそばに、父親は殆んどつききりでいる。夜がふけて看護婦はうつらうつらしている。覆いをした電灯の光のうすなかで、熱にうかされた子供の大きな黒い瞳が、じっと父親の方に向けられる。何かを訴えているようだ。
「なあに?」
「……」
返事も何もない、その沈黙のなかに、魂が溺れていく……
「大丈夫よ。」
「……」
「じきになおりますよ。」
「なおりますよ。」
「あしたから、熱が下がるの。」
「熱が下がるの。」
「今日は、いい気持ちだ。」
「いい気持ちだ。」
子供はうっとりと、赤ん坊のように父の言葉を真似ている。
「だから、もう、ねんねしましょう。」
「ねんねしましょう。」
「おめめつぶりましょう。」
「おめめつぶりましょう。」
子供は眼をつぶる。
「ねんねしましょう。」
「ねんねしましょう。」
2父の掌に小さいな手を任せたまま、子供はうとうとと眠っていく……何か大きなものに信頼しきった眠りだ。
この子供たちには、母親がない。そして、母親の細かな監視の眼がないだけに、至って自由にある。自由な子供たちは、亡き母親への追憶を中心にお互いに結びつくこと以上に、またお互いに年齢の差の少ない女児二人に男児一人という実情以上に、自由な境遇にあるというそのことのために、極めて仲が良い。然るに、仲の良い自由な子供たちには、ただ精神的規律だけが必要だ。云いかえれば、自律的にしっかりしていなければならないという感情が必要だ。
その一事が、まだ子供たちにはよく会得出来ないらしい。
よそから、子猫が一匹来る。まだ小さくてよくしつけの出来ていない子猫だ。食卓の上にはい上がる。食事の時になき立てる。遠慮もなく皿に頭をつきこむ。時とすると、とんでもない場所にそそうをする。3ところが、その不行儀を叱ることが、子供たちにはどうしても出来ない。
「可哀そうだ。」と彼等は云う。
猫のような飼養動物にとっては、精神的規律は第二の天性になるということが、子供たちには分からないのである。
「だって、可哀そうよ。」と朗らかに云う。
父親は苦笑する。それから微笑する。子猫に対する子供たちの朗らかな愛撫が、彼の微笑を誘うのである。そして、子猫は叱っても、子供たちはまだ叱れない……と思うのである。