父の一字一字をじっくり眺めた。無学の父にしては達筆である。しかも毛筆なのである。父は養子で逸見と言う字とのつき合いは浅い。しかしうまい字である。手すじがよかったのかも知れぬ。長女が初めて裁縫を習う物差しである。心こめて上達することを祈りながら書いてくれたのであろう。
字を見ているうちに、私は半世紀前に戻っていった。若かった父母、大勢の兄弟、ガヤガヤと貧しくはあったが、健康で明るかった。
父母は再婚同士で、四人も子供のあるところへ父は来た。そして私達四人が産まれ、八人の子供を育てたのである。朝早くから夜おそくまで、農業をしながら義理の子二人を東京の大学へ進ませた。片田舎の百姓で現金収入もなく、縄を綯い、草履を作り、薪を売って収入を得た。そんな暮しの中から東京への送金である。苦労したことだろう。「学問を身につけていないと苦労する。勉強せよ」と後の六人も中等教育を受けさせてくれた。今私が父母から貰った誰にも盗まれない大きな財産である。働くことのみに追われた指は、太く短かく節くれだっていたが温かかった。武骨な指だ。よくあんなうまい字が書けたものだと感心する。本を読むとか、筆を持つということは皆無と言ってよかった。だから一度も手紙を貰ったことはない。父が読書したり書き物をしている姿も見た記憶もない。
その父母もとっくに他界してしまった。懐しさと淋しさで、私の目から涙が流れた。思い出は次から次へと、走馬灯のように浮かんでは消えていった。故郷とは幾つになっても忘れられぬ懐しい地である。ひとときこの文字で幼い故郷を踏んだ思いがした。
半世紀前の文字が目の前にある。父が書いた二つとない文字である。二度と書いてもらえぬ文字である。私に残してくれた唯一の贈り物である。大事にしなくてはならない。たかが物差しの裏に書いてある字ではないか、子供達は笑うかも知れない。しかし私にとって得難い文字である。父と対話の出来る文字なのである。
ふっと我に帰る。私は、ようかんを容器から出して寸法を測った。
外は、子供の声ひとつなく、久しぶりの雨がのうぜんかずらの花に降っていた。