私の生家は山裾にあった。すぐ上の家には、おじいさんと目の見えないおばあさんが暮らしていた。子供がなかったせいか、おばあさんは私を可愛がってくれた。おばあさんの家に行くと、いつも錆のついた緑色の茶筒から水色や黄色の大きな飴を一つ取り出してくれた。時には「照ちゃん豆腐をこうてきてな」と言って、アルミの弁当箱を渡されることもあった。その頃は豆腐を買うのに容器を持って行った。小学校に入学したばかりの私は、おつかいの途中で走ったり飛んだりするので、弁当箱の中で踊った四角の豆腐は、いつのまにか丸くなっていた。
初夏の夕暮時、おばあさんは何を思ったのかお墓まいりがしたいと言い出した。陽は山の端に沈んだとは言いながら、あたりはまだ明るかった。墓は山腹にあった。子供の足で歩いて十五分位かかる。私のひまわり模様のワンピースのベルトをつかんで、おばあさんは後を歩いてきた。途中には大きな池があった。昼間は釣をしている人の声がするが、もうその時はしずまりかえっていた。目の見えないおばあさんとの二人歩きは、私が一人で歩く時の四倍も五倍も時間がかかった。
山路には夕やみがたれ込めてきた。名前も知らない小鳥達の羽音が聞こえる。びわの実にかけた袋がだらりと破れて、ユーラリとゆれている。足もとを黒いものが横切るので目をこらすと、蛇が鎌首をこちらに向けている。私はこわくてたまらなくなった。お墓は目前だったがベルトをつかんだおばあさんの手をふりほどくと、私は坂道をかけおりた。
家に着いてまもなくすると、仕事から帰った上の家のおじいさんが「おばあさんは来とらんかなあ」とたずねてきた。私はおばあさんのことが気になったが叱られるのが恐ろしいので何も言わないで押し入れにかくれていた。近所の人達が手分けして捜したので、びわ畑に座り込んでいたおばあさんはすぐ見つかった。おばあさんが私の事を何も話さなかったので「きつねにばかされたんじゃろ」と言うことになった。
一週間位たって、母が私の好物の柏餅を作ってくれた。私はそれを食べないでおばあさんの家に持って行った。おばあさんは何事もなかったように、赤い飴を一つくれた。
その時から、おばあさんに頼まれて買ってくる豆腐が、弁当箱の中で踊らなくなった。
両親のお墓に行くたびに、おばあさんのお墓にもおまいりする。おばあさんのお墓に花を供える時、なぜか私の口は大きな飴を頬ばっているようにふくらんでくる。