用水でドンクソ亀を捕まえると、あぜ道の隅に土を盛り、その上に甲らを下にして仰むけにのっけておく。こうしておけば下校時まで、そのまゝの姿で、逃げないで待っていてくれるからである。
穂先の丸いネコジャレ草を小川に ひたして ゆさぶると、ナマズの野郎がパクリと食いついてきた。
わら屋根の軒下には雀が巣をつくって卵を生む。こいつを見つけたら、みんなで肩車をし、脊高をして つかみ出した。肩車になるのは大体、体力の強い上級生で、体重の軽い低学年が上になって卵を とる。しかし たまには「今日はお前が四つん這いになれ、わしが脊中に乗って卵を とる」と、這いつくばいに された。
秋の刈り取りの了った田圃は広々とした快適な遊び場となった。藁ぐろに もたれゝば、新しい藁の にほいが ぷんぷんとした。
だから、これらの楽しみ いっぱいの道を一とっ走りに家に帰ることなど出来はしない。
そんな或る日、夕餉も終わって、宿題をしようとしたところ―あっカバンがない。しもうた あの藁ぐろのところに忘れてきた。
母は、困った こどもだナーという顔つきをしながら「さあ取りに付いていってあげる」と提灯に火を入れた。二人で暗やみの あぜ道を歩いた。あったあった、藁ぐろの側にカバンがあった。
母は帰る道すがら「お前、あんたは からだが弱かったから、まず元気になってもらわねばと思うて、母さんは一度も勉強しなさいなんて云うたことは ないでしょう、でも もう六年生になるのよ、来年は中学の試験があるんぞナ、少しは勉強して中学くらいには入ってくれんと、母さんは あの世に行って、お前のお父さんやお母さんに、申し訳が立たんがナ」。母は ぼくの肩に手をかけて、ポツんと こう云った。
ぼくの本当の母は ぼくが三才の時に亡くなり、やがてこの母が来た。すると今度は父が結核で亡くなった。その時 この母は未だ三十四才の若さであった。しかしそれから、ずっと ぼくを育ててくれた母である。
この母の言葉は こたえた。思わず「母ちゃん」と云ったと思う。今でも、あの時の母の声と手の温かさを思い出すことが出来る。その母も もはや亡い。
思い出いっぱいの故郷、母の姿を見い出すことの出来る故郷、百間川の護岸工事は、いささか当時の自然をサマ変わりさせてしまった。しかし この川辺に立つと、ぼくは今もなほ、この古稀の齢になっても、あの少年の日を川面に思い浮かべることが出来る。
もう一度呼んでみたい??母ちゃん!