もう何年も音色が寂しくて、箱に仕舞ったままでいた風鈴を久しぶりに取り出してみた。雨上りの軒に吊るすと水を得た魚のように
「ちりりん…ちりりん…」
と、短冊の尻尾を振りながら風の流れに泳ぎだす。
懐しい風鈴の音色は七年前の、あの暑い夏の日と少しも変わっていなかった。
近所にすぐ下の妹夫婦が住んでいたが、夏になるとよく野菜を届けてくれた。家庭菜園で形の悪い茄子やトマト、それに曲った胡瓜など素人の作る野菜はどれも不揃いだが、新鮮なのが何よりも嬉しかった。
台所で夕飯の支度をしていると、玄関辺りで「かちゃかちゃ」と門扉を開ける音がする。チャイムは鳴らないが…と、あわてて手を拭きながら出てみるが誰もいない。空耳だったのかと家に入りかけて、ふと見上げると、ビニールの袋が門扉にぶら下っている。
「あっ、妹夫婦の差入れだな?」
出がけに急いで摘んだのだろう、青々とした初なりのいんげん豆が、心待ちしている私を見透かすように、一握り袋の中に入っていた。
妹の主人は肝臓を悪くしていて、夫婦で断酒会に入会していた。土曜日のお昼は会社近くで待合せ揃って会に出席していた。旭川添いのベンチでお弁当を広げている二人の姿を、私はバスの中から微笑ましく何度か見かけたこともあったが…。
ある日、妹の方が身体の不調を訴えだした。
「食欲がないのでレントゲンを撮ってもらったら、神経性胃炎だったの」
一緒に草抜きをしながら話す妹に
「夫のために三日集会に出掛けたら、あとの一日は自分のために身体を休めなさいよ」
無理を重ねている妹を見ていて、姉の私は切なかった。
そんななかで梅雨は明け、一斉に蝉が鳴きだしたある日、妹はおなかの激痛に救急車で運ばれた別の病院で開腹手術をしたが、進行性の胃癌はもう手遅れの状態だった。
高校生の二人の娘や、年老いた母には内緒で、本人には勿論隠し通すことに義弟は決め、看病を続けた。つらい闘病生活だったが七月最後の週末、その日町は花火大会の騒めきに、旭川の土手や、河原は人の波で埋っていた。
「ヒュルヒュルヒュル、ド ド ドオン」
突然夜空を焦がす打上げ花火がはじまった。
夫や娘達や母に囲まれて、妹は最後の儚い命の火を、花火の炸裂する音に入り交って燃やしていた。
「ちりりん…ちりりん…」
風鈴の音色はあのころと少しも変っていないのに、月日だけが通り過ぎて、妹が逝ってもう七年目の夏になる。