散歩の途中、突然、道路にうずくまる。身をアスファルトからはがすようにして抱き上げると「クンクン」と鳴き声をあげる。
そうかと思うと、川に向かって突っ走ったりもする。ゆるい首輪をするりと抜けて、川へ飛び込み、犬掻きを披露したときもある。
診察をお願いした獣医は、思いがけないことを言った。緑内障で全盲に近いと言うのだ。「手術をする医師もほとんどいませんねえ」
私の質問に答えて、獣医は続けて言った。
夕食のとき、夫は言う。
「日赤の眼科へワンを連れていったら、先生どんな顔をするじゃろうなあ」
私は大声で笑った。笑っているうちに、涙がにじんできた。
九年前、ふらりと、犬が、我が家にやってきたのは、蝉時雨のなかだった。薄汚れた毛。すぐに身をすくめるしぐさ。野良犬生活の長さがしのばれる。
夫がしっぽを引っぱって「おい、ワン」と呼んだとき、犬の名は決まった。洗ってやると、ふさふさとした白い毛に、茶色のボタンのような目。愛嬌のある犬だった。
「犬は人間様の余り物を食べとったら、ええんじゃあ」
夫の、こんなセリフが聞こえたのかもしれない。余ったご飯にみそ汁をかけただけのを、喜々として、口に運んだ。
お年寄りや子供には、キャンキャンと吠えたてる。そのくせ強そうな人がくると、頭を垂れて、犬小屋へ退散してしまう。
そんなワンの目が見えなくなったのだ。
次の日から、私はワンの盲導人となった。
三キロ程先の原っぱへ、中型犬のワンを抱いていく。車の音も人の声も届かない野原で、ワンは一日、一日と落ち着きを取り戻した。
一週間もすると、思いきり前足をあげて、得意気に走った。「ほらほらボクを見てよ」
と言わんばかりだ。
十メートルも走ると、立ち止まって振り返る。「ワン」と呼ぶと駆けよってきて、私にじゃれる。骨ばった背中を、二、三度叩いてやると、また、走っていく。
風が過ぎてゆく。冬枯れの蓬やすすきを揺らしながら。その音に包まれて、ワンと私は、昼下がりのひとときを、しばらく過ごした。
今では、私が持つ鎖の先、道路でも颯爽と歩く。
「ワンちゃん、目が見えるように上手に歩いて、健気じゃなあ」
近所の奥さんに声をかけてもらうと、言葉が分るのか、しっぽを大きく振る。
遠雷が聞こえる。ワンは歩みを止めると、音を確かめるかのように、ピンとたった耳をかすかに動かした。