へそ曲がり どこの産婆が 取り上げた
可笑(おか)しくなって、すぐにお袋に電話した。お袋は祖母の長女である。
「へそ曲がりってじいちゃんのこと?」
「うん、父さんのことだろうね」とお袋。
大正生まれの祖父母が若い時分、結婚は今と比べ物にならないぐらい「家と家のもの」であった。結婚を決めるのは当人同士ではなく、周囲の大人たちだった。
「母さんの場合、母さんの父親が勝手に決めてきたんだって。父さん、シャキッと背筋が伸びた日本男児だと評判だったようだから。母さんも納得して嫁いだらしいけど
「でも一緒に暮らしてみたら、へそ曲がりだったのが判(わか)ってきたと……」
そこまで話して、電話のあっちとこっちで声を合わせて笑った。
しばらくすると、豆大福を手土産にお袋がやって来た。話の続きがしたかったようだ。私たちはコーヒーを啜(すす)りながら昔話を続けた。
「ここに来ながら考えたんだけど、へそ曲がりって父さんのことだけじゃないかもしれないなと思ってさ」。お袋が言う。
お袋もまた祖母と同様、若い頃から川柳を趣味としてきたので、作品の真意を読み取って解説するのはお手のものなのだ。
「へぇ、誰のこと?」
「姑(しゅうとめ)。つまり旦那(だんな)を産んだ母親のことを遠回しに、へそ曲がりめ!って思っていたんじゃないかな」
祖母の姑さん……私から見ると曾祖母である。今から四十年近く前、九十八歳で大往生したが、今でも頑固者だったとして一族の中では有名な伝説の女なのである。
「なるほど。確かに子供心におっかないババアだと俺も思ってたもんな。漫画の『いじわるばあさん』に似てたよね」
「確かに!」と、お袋は愉快そうに笑いながら「旦那のことを言っているように見せておいて、実はそれを生んだ親を皮肉って詠んだ可能性は大だな」と言った。「かなりの強情っ張りですな」と私も声を出して笑った。
「厳しく嫁教育しようとしたんだろうけど、気分屋の婆(ばあ)さんだったから、教育の域を越えて理不尽なことも結構言ったんだと思うよ」
話を聞きながら、家柄や周りの大人たちの都合で決められた相手と結婚生活していくというのはどんな感じなのだろうと考えていた。ともに生活するうち、やがては互いを認め、尊敬し合い、本当の夫婦となっていくものなのだろうか。それとも納得できず、本音も話せないまま、それが運命なのだからと割り切るしかなかったのか。
「でも、いろいろあったようだけど、母さんは父さんのことを愛していたんだと思う」
コーヒーを一口飲んで、お袋が呟(つぶや)いた。
「私がずいぶん小さかった頃、父さんが戦争に行くことになって、出征祝いの宴会がうちで行われたんだよ」
今思えばとても悲しい祝宴だ。私はお袋の話に身を乗り出して続きを聞いた。
「古くからの友人や知人がたくさん集まって酒を酌み交わし、母さんは忙しそうにお給仕していた。宴会がお開きになって、父さんも酔って寝てしまった後、静かになった座敷で母さんは火鉢に捨てられている煙草(たばこ)の吸殻を一つずつ拾って袋に入れていた。私は母さんに何をしているのって聞いたんだよ」
「何て答えた?」と私が聞く。お袋は軽く首を振って「ただ笑っただけだった」と言った。そして「だけどね」と続けた。
「後で判ったんだけど、父さんが吸っていた銘柄の吸殻だけを拾い集めていたんだって。一度だけ見たことあるんだ。父さんが戦争に行った後、その吸殻に火をつけ吸っている母さんを。ポロポロっと涙を零(こぼ)しながらね」
語るお袋の目にも光るものがあった。
祖母は時折そうやって、取っておいた祖父の煙草の吸殻を出して来ては吸っていたようだ。私は、幼子を抱えながら、主なき家に残された嫁と、昔気質(かたぎ)の姑だけの生活を想像してみた。きっと淋(さび)しくて胸が張り裂けそうな夜が何度もあっただろう。そんな時、祖母は遠い戦地にいて生死も判らない夫を誰よりも近くに感じたいと思ったのではないか。一つの吸殻を挟み、唇と唇で夫婦は会話していたのかもしれない。
「へそ曲がり達に囲まれて大変だったろうけど、その家族や川柳の心を拠(よ)り所にしながら幸せだったんだろうね。どうあれ家族が悲しい思いをする戦争は二度とあってはいけない。孫や曾孫(ひまご)やそのあとの時代もずっと」
お袋の言葉は、懐かしい祖母の声と重なって聞こえた。