岩手は田舎だと思う。テレビで見るような都会の女子高生とは違って制服は地味だし、遊べる場所も少ない。見たいテレビ番組も岩手では放送しない、ということがよくある。盛岡を出て祖父母の家に遊びに行けば、周りには畑と田んぼしかない。
「こんな田舎に来ないよね」
ぼそっと漏らした独り言は、バスが揺れる音にかき消された。
貸し切り状態のバスは、そのまま私を乗せて夕方の盛岡を走る。辺りにいる人は疎(まば)らだ。高校を卒業したら東京の大学に行きたいと言っていた友達の言葉が、ふと頭の中をよぎった。東京に行ったら、きっと今とは全然違った生活を送ることになるんだろうな。おしゃれな店があって、おいしいスイーツが食べられるカフェがあって。想像するだけで胸が躍るようだった。もし私が都会に生まれていたら、どんなふうに暮らしていたんだろう。現実とのギャップを考えるのも嫌になるくらい楽しそうなイメージばかりが浮かんできた。自分を慰めるために、耳にイヤホンを押し込む。好きな曲をかけて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。夕方と夜の、ちょうど真ん中。ゆっくりと日が沈んだ深い紫色の空が、町を包んでいた。いつもと同じでつまらない景色だ。退屈になった私は、スマートフォンを見る。すると、今朝、友達から写真が送られてきていたことに気が付いた。
「桜咲いている!」
可愛(かわい)い絵文字が添えられた文章と共に、私の手のひらで桜が満開に咲いた。友達から送られてきたのは石割桜の写真だった。私が毎日、バスで通り過ぎている桜だ。私は驚いた。もう咲いていたのか。全く気付いていなかった。私は顔を上げた。帰り道でも、バスは石割桜を横切る。まだ通り過ぎていなかった。よし、と心の中で小さくガッツポーズをした。ローファーのつま先が、ぱたぱたと動く。私は少しどきどきしながら石割桜が現れるのを待った。
「次は、県庁市役所前、県庁市役所前です」
そのアナウンスと同時に、私の目には大きな桜が映し出された。私は息をのんだ。そこにそびえ立っていたのは、ライトアップされた石割桜、初めて見た石割桜だったのだ。薄暗い空の下に、淡いピンク色の花びらが浮かび上がる。後ろの建物と、桜の花びらとの境界線がくっきりと見えた。堂々とした腕を惜しげもなく伸ばして、自分の美しさを誇っているようだった。まるでイヤホンが外れたときのように、私の周りから音が消えたようだった。
遅い時間に帰ってくることがあまりないから、ライトアップされた石割桜を見たことがなかったのだろうか。いや、違う。私はただ、見ていなかったんだ。こんなに綺麗(きれい)なものに気付いていなかったんだ。
一瞬で通り過ぎていく桜を見て、はっとした。私は、盛岡のいいところを全然知らないんじゃないか。知ろうともしなかったんじゃないか。私はずっと、テレビの向こうに広がる、きらきらした都会に憧れていた。そこにあるものが全て輝いて見えていた。羨(うらや)ましく思っていた。でも。
私はもう一度、さっきの石割桜の姿を思い起こした。こんなに輝いているものが、ここにはあったんだ。どうして気付かなかったんだろう。胸の奥から、じわりじわりと後悔と期待が混ざったような感情が湧き出てきた。きっとここには、私がまだ知らない魅力がたくさんあるんだ。石割桜が、それを教えてくれた。
いつものバス停について、私は立ち上がる。優しい風がスカートをひらりと揺らした。明日は朝の石割桜をよく見てみようかな。写真が撮れたら、それを待ち受け画面に設定してみるのもいいかもしれない。自分の中でそんな小さな目標を立て、自転車置き場に向けて足を踏み出した。