私の人生のあるときから順に現れ、山も 谷も、波も、共に越えて来た子どもたちは成人と呼ばれる年齢を過ぎた。実は私、心の中で彼らを、スケさん・カクさんと呼んでいる。あの長い旅のお供をする、助さんと格さんに名を借りた。しかし、彼らは決して剣豪でもなければ、切れ者というわけでもない。ではどういう者なのかを顧みてみた
スケさんは、私にとって「窓を開ける人」である。私に、次々と窓を作っては開けていく。新しい風が、情報が、びゅうびゅう入ってくる。開かれた窓のそれぞれに、私の知らない景色が広がり、素早くめくられる紙芝居のように、勢いよく場面は変わっていく。私にはその一つ一つを鑑賞しているゆとりはない。半ば目を回しながら、そのめまい感覚を楽しむのが正しい鑑賞法だと気づいた。
一方、カクさんは「遺失物係」だ。私の落としもの、忘れものなど、もう失ってしまったと思われるさまざまなものを拾って届けてくれる。実行できなかった計画。習得したかった技術。それらをできなかった言い訳と弱さ。後悔や自己嫌悪の垢にまみれている記憶を、彼は拾って少し垢を拭い、そっと手渡してくれるのだ。私は、やり残してきたことを再びやってみよう、垢を落としてみよう、という気持ちを呼び起こされる。やり直す気力を与えられるのが嬉しい。
そしてもう一人、彼らより少し前から共に旅を続ける八兵衛さん。甘いものが好きで、おっちょこちょい。時には事件の火種を拾い、時には解決の意外な糸口にもなる連れ合い。「うっかり八兵衛さん」と私はこっそり呼んでいる。
ところで、黄門様は誰なのか。実際、この旅に威厳あるご老公様は見当たらない。では私はいったい何者だろう。よくよく眺めてみれば、私も甘い物好きでおっちょこちょいの八兵衛ではないか。何のことはない。この旅は少々せかせかスケさん・少々のんびりカクさんと、うっかり八兵衛ふたりの迷い旅だったのだ。迷いっぱなしなのだから、口げんかも、山のような失敗や顔から火が出る勘違いもあって当然。愛おしい思い出である。
さて、この旅の行く末が一本の道のように見えて来たところで、今まで旅のお供となってくれたことに、一旦感謝の気持ちを渡したい。ここらが旅の分岐点だろう。私には解読できない地図を片手に、若者は自分たちの旅路を生きていくのだ。達者でな。旅立ちを見送る側になり感傷に浸りかけて横を見れば、甘い団子を頬張る八兵衛さん。団子が丸々と並んだ串を私にも一本手渡してくれる。私はもう一人の八兵衛として黙って受け取り、頬張る。八兵衛二人の漫遊は、まだまだ続く。