車が横づけされて芍薬《しやくやく》のような笑顔がこぼれる。「ありがとう」私は助手席に乗る。車が走りだす。青い風が次第に濃さを増して空気がおいしくなってくる。
ははん、M子の家へ行くのだなと気がつくが私はわざと黙っている。弾む心に車も弾んで芍薬の君は「ゆうべの楽しかったこと」などを話してくれるのだ。「わたししあわせ」が彼女の口ぐせなのである。毎日何べんもそう言うものだからシアワセ氏のほうでも彼女のところを素通りできないわけだ。
薫風に乗って「しあわせな話」を聞いていると私も倖せな気分になれる。何も思うまいと思う。あのことも考えまいと思う。このひとときは神が与え給うたのだと肺の中へいっぱいに緑を吸い込む。
芍薬の君の電話はとつぜんに鳴る。
「行きましょう」「ハイ」これで万事OK。朝のコーヒーだけの日もあれば山麓の里へ足を伸ばすこともある。
山麓の里には鉄線の花の君が棲んでいる。この紫の上は手料理の名人。蔓《つる》のような細身に醤油の前掛など締めてサッサッサと美味《おい》しいものを作ってくれる。これまた予告なしの訪問にびくともしない。その辺の蕗《ふき》や三ツ葉や筍《たけのこ》をあしらって、運がよい日は蟹ちゃんがいたりして、見た目も味も満点の昼食。
ここでも私はこのひとときを謝す。味噌汁がゆっくりと喉から胃へおりてゆく。芍薬の君と紫の上は茶の心得があるからしてその道に従っての礼をかわしたりしているのも面白く、私はうぐいすの声にうっとり。一体この倖せはどうしたことだろうと考えている。川柳もなく家庭もない。わき目もふらず走りつづけた川柳というマラソンのゴールはまだ見えないが、ふと絵巻の中へ誘いこまれてビリになるのもたのしからずやの心境である。
藪うぐいすがまた啼いておみな二人の優雅な話し声にかぶさる。
そのとき、涼しげなベルが鳴って“源氏の君”のおなりとなる。源氏の君は紫の上に二言三言何やら仰せられて踵《きびす》を返された様子。芍薬の君はともあれ名もなきはしため《ヽヽヽヽ》の同座を嫌われ給うたかと、いかに鈍なるわれも気づきて目で問うに、やさしき紫の上は打ちほほえまれて「何でもないよ、ミシンのセールスだったンさ」。思わずも笑声高きはしたなさ。
山里の日暮れは早く、芍薬の君にうながされて私は夢から醒める。君はズボンにスニーカーという身替りで、グイとハンドルを切る。山には書割の如き三日月と星。空はまだ昏れ切っていない。おんな三人ピタゴラス、夢かうつつか、夢ならば。
早春の花を盗みぬわが乳房
れんげ菜の花この世の旅もあと少し
天蓋を少しずらせば天に星
れんげ菜の花この世の旅もあと少し
天蓋を少しずらせば天に星