一行の中によほど精進のいい人がいたのか、雨は夜降っては朝やむのであった。
それと、ガイド嬢の根気よいアイヌの祈り言葉も効を奏したのかもしれない。
「ニサッタカ、シリピリカ、クニーネ」
どうぞよい天気になりますように。このアイヌ語、覚えられそうでなかなかの曲者《くせもの》。みんなはそれを言わされる最前列を敬遠したりするのだった。
でも、おかげで摩周湖は晴天。
神秘な湖を心ゆくまで眺めることができたが、めったに姿を見せぬ霧の湖ゆえに「この湖を見たひとは縁がおくれる」という言いつたえもあるそうな。おそらくは見られない多くの人への慰めであろう。
さて、バスは斜里で昼食をとって右、知床の矢印へ曲がる。斜里の駅前には若者の自転車隊やバイク隊がたくさんいた。食堂のおじさんがくれたじゃがいも「お一人様三キロ」が足許でごろごろするのも旅情である。
オシンコシンの滝や、左手のオホーツク海が噛む巨岩奇岩を縫って、目玉の一つ知床五湖に到着。
さむい。おまじないをいやがったせいか雨もはげしく降ってきた。
しかし、ここまで来たのだもの。一行はガイドの旗に従《つ》いて熊笹をかきわけて進んだ。
ガイド嬢の旗がぴたと止まった。しーんとした中に笹に降る雨音だけが高い。
そのときである。
「ぐおっ、ぐおーっ、がっ」
「クマだ、クマの啼き声だ、近くだぞ!」
一行にまじっていた土地の人らしいのが低い押しころすような声で言ったからたまらない。色とりどりの傘は先をあらそって廻れ右をする。後方は何のことやらわからないので前へ進もうとする。傘と傘とのこぜりあいがしばらくつづいたが誰も声を出さない。
ただ、「クマだ」「クマ」「クマ」という小さな声だけが傘の上を正確に伝播していったのである。
バスの座席に坐ると正直に汗が噴き出た。
「たすかったあ……」
三週間ほど前に高校生のハイカーが熊に襲われたばかりだという。
くわばら、くわばら。
バスはコウフンさめやらぬ人々を乗せて一目散に斜里へ引き返したのだった。
そこから網走まではオホーツクの道がつづく。
オホーツクかなしいまでに黒である
「これ、川柳になってるかい?」
相棒の声に答えるゆとりもなく、私はバス前方の橙色《だいだいいろ》の灯をじっと見ていた。
網走刑務所の灯が近づいて来たのである。