万里の長城に着いても、夫のいるところはどこかわかりません。孟姜女は長城に働く人々を訪ね、うわさを追うようにして、ようやく夫ことを知っている人を捜し当てました。
「それで、あの人はどこにいるのですか?」
「死んだよ。ちょうどこの当たりに埋められているはずだ」
「えっ? そんな!」」
孟姜女はへたへたと座り込んでしまいました。ひたすら思いつづけていた人がもうこの世の人ではなくなっていたとは。今まで張り詰めていた糸が急に切れると、これまでの肉体的、精神的な疲れとどうしようもない絶望感が襲って来ました。
「どうして。どうして。私たちは一日も一緒に暮らしていないのに。あの人はどんな思いで死んでいったのだろう。私に何か言い残したいことはなかったのだろうか」
と夫の無念を思い、涙が流れ出しました。
「ああ、私はこれからどうして生きてい
いったらいいのだろう」
夫がいないのだという空しさも襲って来て、涙は止めどなく溢れ、時間が経つのも忘れ泣き続けました。
孟姜女は悲しみのあまり、三日三晩泣き続けました。すると空が暗くなり雨がふりだしました。風が起こり強く吹き出しました。そして雷鳴が轟いたかと思うと、その轟音と共に孟姜女の目の前の万里の長城が、突然からがらと音を立てて崩れ落ちました。そして崩れたところから、何人もの遺体が現れたのです。孟姜女は目を見張りました。そして思い直すと、狂ったようにその遺体の中に夫の姿を捜し始めました。常人には考えられないまでの気丈さで、多くの死体の中から必死になって夫の遺体を捜しました。そしてとうとう、愛する夫の遺体を発見したのです。長い間脳裏から離れなかった夫との対面でした。
孟姜女は夫の遺体を抱え帰路に着きました。ところが悲しいことに、孟姜女はその途中で亡くなったと伝えられています。
山海関の絶壁から、夫と共に海に身を投げたという説もある。孟姜女が飛び込んだ場所には、お寺が建てられ、孟姜女寺(河北省秦皇島市海関、山海関から五キロほどのところ)と呼ばれてる。小高い山の108段の石段を登ると孟姜女の坐像があり、白い服で心配そうな顔をして海を見つめている。像の上に「万古流芳(=美名を後世に残す)」という文字が掲げられている。両脇には「秦皇安在哉 万里長城築怨 姜女未亡也 千秋片石銘貞(=秦の始皇帝は死して、万里の長城で恨みを築く。孟姜女は未だ死せず、永遠に貞女の名を残す)」という対聯が掛かっている。寺の両側には「海水朝朝朝朝朝朝朝落、浮雲長長長長長長長消」という有名な対聯がある。寺の後ろには人の背丈ほどの「望夫石」と刻まれた岩があり、その岩の頂までに大きな窪みがあって、孟姜女が夫を眺めて踏んだ足跡だと伝えられている。(おわり)