鄧小平は中国共産党または中華人民共和国の最高指導者の職に就いたことはない。1978年の第11期三中全会から1989年の第11期四中全会までの期間中、事実上の最高指導者に認められ、中国共産党党規約に盛り込まれ、確認された。死の間際(1997年2月19日)まで影響力を持ち続け、中華人民共和国政府の間では「マルクス主義者、無産階級革命家、政治家、軍事家、外交家、中国共産党2代目の中央指導グループの中心」と呼ばれている。
鄧小平は「改革開放」と「一国二制度」を提案し、鄧小平の政治理念を中心にした中国共産党の理論は「鄧小平理論」と呼ばれる。鄧小平は「中国改革開放の総設計士」と称され、20世紀後期の中国人に大きな影響を与え、世界を変えた。1978年から1985年までの間に2度、米誌『タイム』の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(Person of the Year)」に選ばれた。彼はかつて「私は中国人民の息子である。祖国と人民を深く愛している」と語った。